認知症の人の、「行動・心理症状」の一つに、「徘徊」と呼ばれる行動がある。

辞書を引いて徘徊という言葉の意味について調べてみると、「目的もなく、うろうろと歩きまわること。うろつくこと。」と解説されている。

ところで、2005年に全国に先駆けて「認知症の人とともに暮らすまちづくり」を宣言し、2007年からは市主催で、「徘徊SOSネットワーク模擬訓練」を行い、「安心して徘徊できる町」とうたってきた福岡県大牟田市が、その訓練の名称を、「認知症SOSネットワーク模擬訓練」と変更する方向で話を進めているそうである。

その理由は、「徘徊」という言葉が、偏見や無理解につながるとの指摘を受けたことと、専門家や認知症の人を抱える家族からは「目的なく歩き回るわけではなく、帰宅や買い物など、その人なりに理由がある」といった声が寄せられ、その行動が「徘徊」というにふさわしくないのではないかという指摘を受けたことによる判断だと報道されている。

その考え方については大いに賛同できる。・・・というか、認知症の方が歩き回ることについて、徘徊という表現をやめた方が良いのではないかということは、僕が10年以上前から主張してきたことである。

僕が全国のいろいろな場所で講演を行う際のテーマは様々だが、「認知症の理解」もその主要テーマの一つである。

近直の講演で、このテーマでお話しする機会としては、27年11月1日(日)14:00〜15:30・テクノプラザかつしか(東京都葛飾区区青戸)で行う、葛飾区介護サービス事業者協議会主催認知症研修会での、「認知症を知り、地域で支え合おう〜認知症の症状と対応を考える〜」というテーマの講演がある。(参照:masaの講演予定と履歴)※講演のお問い合わせ、ご依頼はメール等でお気軽に。

そうした講演で使用しているパワーポイントのスライドの1枚が下記である。
徘徊を歩き回りへ
認知症の人が歩き回る理由は様々であるが、それは決して理由もなく歩き回っているわけではなく、その人それぞれに理由と目的があって歩き回っているのである。

例えば、記憶を徐々に失っていく人にとって、現在の記憶から遡って10年前までの記憶がスッポリなくなってしまっている人がいる。そうすると、その人にとっての家族の顔の記憶は、10年前の顔でしかなく、10年後の現在の家族の顔を見ても誰だかわからないということになる。

そういう人にとって、ある日突然、自分の今いる場所に、顔のわからない誰かが住んでいるということが起きる。実際には家族といつものように暮らしていたのに、認知症の人にとっては、気づいたら自分が知らない人の中で生活しているという現象が起きてしまうのである。そうすると、認知症の人にとって、今いる場所は見知らぬ他人が暮らしている家=他人の家と思い込み、そこから出て、自分の家に向かって、「帰る」という理由と目的を持って、歩き回るという行動につながるのである。

そのほかにも、認知症の人はいろいろな理由で歩き回る。しかしそれはすべて理由と目的があっての行動である。(参照:過去に向って歩きつづける人々1〜認知症の理解 ・ 過去に向って歩きつづける人々2〜認知症の理解

だからこうした行動は決して、「目的もなく、うろうろと歩きまわること。うろつくこと。」ではないわけだから、そうした誤解を与えないためにも、徘徊という表現を別な言葉に替えた方が良いと考え、10年ほど前に僕はその表現を、「歩き回り」にしてはどうかと提案したわけである。

しかし残念なことに、この「歩き回り」という表現は、全くと言ってよいほど使われていない。僕自身は行動理解につながる表現変更さえできればよいと考えているので、「歩き回り」という表現にこだわりはなく、徘徊に替わる別の良い表現方法があれば、そちらを使いたいと思うので、アイディアをお持ちの方は是非教えていただきたいと思う。

ところでこうした提言を行うと、必ず外野から文句を言う連中がいて、「単なる言葉遊び」とか、「言葉狩り」とか、ちゃちゃを入れる輩がいる。そういう連中に限って、なんら建設的意見も持たず、実践論もない反対のための反対論者でしかないが、この表現変更は、決して意味のないことではない。

認知症の人々の中核症状は、今のところ医学の手も届いていないし、ましてや介護で中核症状が軽減されることはない、しかし行動・心理症状には、介護の手が届くのである。

中核症状とは、脳の細胞が壊れることが原因で起こる記憶障害、見当識障害、理解・判断力の低下、実行機能の低下であり、脳の変性、気質変化そのものが原因となtっており、治療やケアにより改善するものではない。しかし行動・心理症状は、中核症状がもたらす不自由のために、日常生活のなかで困惑し、不安と混乱の果てにつくられた症状なのだから、この不安と混乱につながっている身体的要因、心理・社会的要因、環境的要因が何かを探り、その要因となっているものにアプローチして状況を変えることによって、認知症の人の行動・心理症状が軽減したり、消失したりするのである。

つまり行動・心理症状は暮らしのなかで、ケアによって必ず治るのである。

歩き回る行動もしかりである。その理由と目的をしっかり把握し、歩き回る理由にアプローチして、歩き回らなくてよくすることが、行動心理症状で歩き回っている人に対するケアなのである。だから、歩き回っているという行動に、理由も目的もなくうろついているというイメージを植え付ける「徘徊」という表現は、適切なケアにつなげるバリアになりこそすれ、なんのメリットもないので、変えた方が良いのである。

つまり徘徊という表現を変えることは、認知症の理解を深め、適切なケアのために視界を広げるためにも必要だという意味なのである。

同時に徘徊という表現を変更したほうがよいという提言は、あくまで正しい行動理解につながる意識改革であり、それは単なる「言葉遊び」、「言葉がり」ではないし、そのように批判する輩の意識レベルの低さが、認知症の人の行動を理解せず、権利侵害が続けられる元凶にもなっていることを指摘しておこう。

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