私たちは、誰かに褒めてもらいたくて仕事をしているわけではない。良い仕事を目指してはいるが、第3者からの評価を得るために、介護の質を向上させたいと思っているわけではないのである。

ただただ目の前の利用者の方々が、少しでも幸せを感じてくれることを目指して、そのためだけに、少しでも自分たちの支援技術を向上させ、安心と安楽の暮らしを送っていただけるように関わっていきたいと願っているだけである。そのために介護サービスの品質の向上を目指しているのである。

その時に利用者自身の笑顔が、我々の一番のモチベーションになる。利用者の満足そうな表情が、我々の日々の疲れを吹き飛ばしてくれるのである。

その結果を見て、利用者だけではなく、家族が喜んでくれれば、さらにうれしい思うのは当然である。それは我々が、介護サービスを通じて、無限に広がる幸せの樹形図を描いていると思えるからだ。(参照:介護が創る幸せ樹形図

そんな家族の思いが、時々伝わってくることがある。

昨年の押し詰まった時期に入所された方の妹さんが、他県に在住している。入所直後から、その妹さんから、お姉さんの施設での暮らしぶりを心配する電話連絡が入るようになり、ソーシャルワーカーや、ケアワーカーなどが都度対応してきた。

その妹さんが今年のゴールデンウイークを利用して、当施設を訪れ、お姉さんと数年ぶりの再会を果たした。数日当市内に滞在した妹さんは、毎日施設で日中の数時間を過ごし、お姉さんの元気な様子を確認して帰られた。

それからさらに数日。このところ電話連絡がないなと思っていた矢先、届いたのがこの手紙である。
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手紙の冒頭部分には次のような文章も書かれていた。

「GWに夫とともに、ようやく面会に出向くことができました。どんな様子か心配で心配でたまりませんでしたが、とても穏やかな笑顔を見て安心しました。」

「姉は昔から人に対して気遣いばかりする人で、我慢をため込む性格でした。そんな姉にとって、施設入所は相当な覚悟だったと思うし、泣いて過ごしている日々だと想像していました。」


妹としての心配と、安心の心情がにじみ出ている文章に思えてならない。

このブログ記事の冒頭に、「誰かに褒めてもらうことが目的ではない」という意味のことを書いたが、結果として家族が喜んでくれて、その感謝の声が我々に伝わってきたときに、「やはりこの仕事を続けていてよかった」と感じるのも事実である。この手紙は、我々にとって、まさにそう思わせてくれる手紙であった。

しかし同時に、施設に入所するということは、多くの方々にとっては一大事であるという理解が必要だ。相当な覚悟で入所を決断する人も多いし、家族が、「施設入所しかさせられなくて辛い」という思いを抱く場合も多いという事実を我々は再認識するべきである。

そしてそんな思いを抱かなくてよいと説得するのではなく、そうした思いを抱くのは、ある意味当然であって、その気持ちを十分受け入れたうえで、何をすべきかを考えた方がよいだろう。それは必ずしも喜んで施設に入所してきた人ではなくとも、いったんその施設で暮らしは始めたら、もうここから別な場所に移りたくないと考えられるような暮らしを創ることである。そうなるように支援することが大事だと思う。

そんなことを言うと、在宅復帰を否定するのかという意見が聞こえてきそうだが、在宅復帰ありきの施設サービスなどナンセンスである。

超高齢社会の暮らしの場は、もっと多様な価値観で考えられ、選択されるべきであり、自宅だけが最善の居所ではないという考えも必要だ。身体状況に合わせた住み替えも必要になり、特養が「生活の場」として選ばれるという視点の中には、終生施設として、息を止める最期の瞬間まで、安心と安楽な暮らしを送ることができる場としての機能なり、サービスなりがあって当然なのだという考えがあってしかるべきであり、生涯暮らし続けたい居所となり得るように目標を掲げることに何の問題があるというのだろうか。地域の中で最期まで安心した暮らしを送る場所が特養であってこそ、特養は地域包括ケアシステムの一翼を担うと言ってよいだろう。

そんな暮らしの場を目指していきたい。そのことに係る時間は、永遠ではないが、限られた時間であっても、ここに関わっている間は、その根っこを揺るがすことなく最後まで全力投球していきたい。

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