幼稚園から中学校まで一緒だった同級生からお中元が届いた。同級生からの中元というのはあまり一般的ではないかもしれないが、数年前から仕事上のことで彼女とは関連があるため、いつもこの時期に彼女の感謝の気持ちとして送っていただいているので、僕も遠慮なくいただいている。その方が双方気を使わなくて済むからである。
お中元のワイン
本当なら、このワインを家飲みするより、友達同士で集まって飲みたいものだと思ったりする。何度か東京都内でクラス会を行っているが、ここ数年はみんなで集まる機会がないことが少しさびしく感じられる。

そんなことを考えていたら、昔のことがやけに懐かしくなった。実は僕たちの卒業した幼稚園も小学校も中学校も、もう既に存在していない。というより僕たちが生まれ育った町自体が無くなっている。

僕が生まれ育った町は、下川町の一部地域、下川鉱山という町である。下川町は今でも存在しており、スキージャンプの葛西さんや、岡部さんの故郷としても知られているが、下川鉱山はその町の中心部から車で20分くらいの山の中にあった鉱山地域である。北海道地図でいえば、真ん中の上の方。名寄市の隣町で、北北海道に属している。

そこは銅を算出していた鉱山で、最盛期の人口は約3.000人であったとの記憶があるが、教職員と商店の人以外は、すべて同じ会社の社員とその家族である。そこは三菱系グループの企業城下町であった。銅の国際価格が高値安定していた時期が長かったから(今はそうではない)、僕たちが幼少期〜中学校を卒業する時期までは、かなり豊かな街であったはずだ。生活水準もほかの地域より高かったのではないかと思える。

例えば住宅はすべて社宅であり、家賃はかからないし、上下水道料金も会社持ちである。光熱水費も会社補助があり、自己負担はわずかな額だったと思う。各地域にある公衆浴場も、会社の設備の一部だから無料でいつでも入ることができた。当然無料だから、「番台」など存在せず、僕たちは番台のない公衆浴場が当たり前と思っていた。

インフラ整備も進んでおり、下川町のほかの地域が汲み取り式便所であった時期に、下川鉱山だけは全山水洗化がされており、僕が小さなころ、鉱山以外の地域の親せきの家に行った際、汲み取り式のトイレが嫌だとむずがったという話も両親から聞かされた記憶がある。道路の舗装化も早い時期にできていた。

珍しいのは、そうした街に飲み屋が一軒もなかったことである。それはどうやら、風紀が乱れないようにという会社の方針であったらしい。そのため大人たちの呑み会と社交の場は、下川町に出る以外は、自宅に集まってと言うスタイルであり、僕の中にも、大人が僕の家に集まって父と酒を呑み、母親がそのための料理をしている姿がたくさん思い浮かぶのである。

そんな町で、同級生とは幼いころから中学卒業までずっと一緒だったわけで、僕らの学年は2クラスに分かれていたが、一緒のクラスになったことがない同級生などいなかったから、家族のことをはじめプライベートの様々なことも、みんな知っていたような仲である。

僕はその町を高校1年の途中で離れたのであるが、その数年後に、国際的な銅価格の暴落の波の中で、銅山経営が難しくなり閉山となった。社員は、全国の関連会社に転勤となり、同級生も離れ離れになって久しい。

かの町は、今は人の住まない廃墟となっている。僕たちの卒業した小中学校の建物だけは廃墟の中で、朽ちずに残っているらしい。

ただ僕たちの思い出の中には、その後者も昔のままの姿で記憶されているし、下川鉱山は一番暮らしやすい町として、今でも記憶の中にしっかり残っているのである。

そんなことを、少し感傷的な気分になって思い出したりした。

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