先週土曜日の夜、北海道砂川市で起こった一家5人の死傷事故が痛ましい。僕は高校・大学時代を通じて同じ空知管内の岩見沢市に住んでいたので、事故現場の国道12号線はよく通った道路だ。本当に見晴らしの良い広い道路であるが、あの直線が29キロにも及んでいることは、今回の事故報道で初めて知った。

しかし事故の様相が明らかになるにつれて、亡くなった家族の軽自動車にぶつかった車と、後続していて投げ出された長男を1.8キロも引きずった車のドライバーは、ともに飲酒運転で100キロ以上のスピードを出し、赤信号を無視した疑いが強いというのだから、これはもう事件である。

死傷された一家は、軽自動車の定員を超えて5人が同乗していたのだから、まったく非がないと言えないのだろうが、それにしても加害者の状況はひどすぎる。

このような事故のニュースに触れると、文明の利器であるはずの車の怖さがよくわかる。それを走る凶器にするもしないも、ドライバーの自覚ひとつにかかってくるのだから怖い。特に北海道の道路は、広くてまっすぐな道路が続居ている場所が多いので、ついついスピードがオーバーしがちでる。自分も気をつけなければならないと自戒している。

しかしスピードを出している自覚や、危険な運転状態になっているという自覚ができないまま事故につながっているのが、認知症高齢者の交通事故である。「早急なる認知症ドライバー対策を求めたい」でも指摘しているが、運転動作というものは、「手続き記憶」であり、エピソード記憶や意味記憶を失っても、最後まで残る記憶であるために、家族の顔や名前がわからなくなったり、直前に何をしていたかがわからなくなった人でも、運転という行為だけはできてしまうのである。よって車の運転はできるが、見当識障害があるために正常な運転動作ができず、いろいろな場所に車をぶつけて、やっと動かしている状態であるにもかかわらず、運転している認知症の人には、車を何かにぶつけたという記憶が残らないために、正常に運転していると思い込んでしまうという状態になる。こうした認知症ドライバーは、考えられている以上に多いのである。

この問題に関連して、認知症の高齢ドライバーによる事故を防ぐため、75歳以上の運転免許制度を見直す改正道路交通法が、11日の衆院本会議で可決・成立した。

認知症対策強化の道路交通法改正イメージ左の画像は、北海道新聞が今朝の朝刊で改正法の概要を図解しているものである。

とてもわかりやすいのでその図を写真画像にして紹介してみた。このように75歳以上の人の免許更新時に認知機能を調べる検査が行われているが、現在は「認知症の疑いがある」と判定されても、道路の逆走など、認知症と疑われる違反がなければ医師の診断を受ける必要はなく、原則、免許は更新されていた。しかし改正法では「認知症の恐れ」と判定された場合には、医師の診断を義務づけ、正式な診断が出れば、免許停止か取り消しとされた。

また、次の免許の更新までの3年間に認知症の症状が進む人もいるため検査で「問題なし」とされた人でも、逆走など認知症と疑われる交通違反を起こした場合は臨時の検査を受けることになり、この場合も「認知症の恐れ」と判定された場合には、医師の診断を義務づけ、正式な診断が出れば、免許停止か取り消しとされた。

これによって免許取り消しとなる高齢ドライバーは、確実に増えると予測される。高齢者の移動手段が自家用車に頼らざるを得ない地域では、そのことを危惧する声もチラホラ聴こえてくるが、だからと言って、認知症となっていることの自覚がない人の危険運転を放置してよいはずがない。危険運転の自覚がないまま事故を起こし、他人の命を奪った記憶さえないというのでは、事故死した方が浮かばれない。認知症の人が運転する車の事故で死亡するのが、運転していた人のかわいい孫であるという悲惨なケースだってあるわけだから、人の命にかかわる問題として考えるのならば、この改正は望まれる方向であると言ってよい。

しかしこの改正道路交通法が施行されても、認知症高齢者の運転事故は無くならないだろう。免許更新の3年間に臨時の検査を受けるようにされたとはいえ、それは、「逆走など認知症と疑われる交通違反を起こした場合」という条件付きである。その事故によって、人の命が奪われたとしたら、それは取り返しのつかないことである。

そうであるならば、何度かこのブログで指摘しているように、「手続き記憶」だけで運転できる車を作らないようにしてほしいのである。認知症ドライバーの多くが、アルツハイマー型認知症の初期症状であることを考えると、発症初期から衰える、「エピソード記憶」や「意味記憶」に着目して、その二つの記憶を使わないと運転ができない車をスタンダードにしてほしい。

そしてそれはさほど技術と費用をかけなくてもできることだと思う。

どなたかが提案していることで、僕の発案ではないが、例えばイグニッションキーを回したり、スタートボタンを押したりするだけでエンジンがかかるのではなく、自分が設定した暗証番号もしくはパスワードを入力して、キィーを回すか、スタートボタンを押さないとエンジンがかからない車をスタンダードにすれば、認知症を発症した初期から、車の運転ができなくなる可能性が高い。暗証番号やパスワードを覚えているというのは、「意味記憶」であり、仮にそれを忘れたことに備え、どこかにメモをしているとしても、メモしているという記憶と、そのメモをどこに置いているかという記憶は、「エピソード記憶」であるから、「手続き記憶」だけで運転できてしまうということを防ぐことができるのである。これは極めて有効な対策ではないだろうか。

国はこのことを自動車メーカーに要請してもよいのではないだろうか。

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