日本創生会議の高齢者移住提言は暴論なのか(前編)より続く。

日本創生会議の提言内容は「2025年に介護施設が不足する見通しや、41地域の魅力を高齢者の方に伝え、 元気な時から移住することを提言していく」(日本創成会議の広報担当者) というものである。

これに対し、菅官房長官は「地方の人口減少問題の改善や地域の消費需要の喚起、雇用の維持・創出につながる」と賛同の声を挙げている。

さらに石破地方創生担当相は、「姥捨て山をつくるのかとか、強制移住などできるわけがないという批判があるが、誰もそんなことは言っていない」としたうえで、「第二の人生を地方で送りたい人は現実にいる。それを阻害する要因を除去し、都市から地方への人の流れを作りたい」と述べている。

そうであれば、それは一つの考え方かもしれない。それは超高齢社会における、住み替えの必要性を議論するきっかともいえ、地域社会の再編成議論の中での一つの提案として見ることはできるのではないだろうか。

そもそもこの国の中で、住民を強制的に移住させることができるわけがなく、こうした提言に沿った施策が取られたとしても、それは地方の施設の空き情報を広報して、都市部の高齢者へ移住を勧めるということにしか過ぎない。

そのことによって地縁も血縁もない見知らぬ土地に移住しようという人が、さほどいるとは思えないが、例えば若いころに地方から都市部に移住してきた人が、故郷に帰って高齢期を過ごそうと考えたり、老後は田舎でのんびり過ごしたいと考える人が、そうした情報に触れて、移住を考えるという程度の効果はあるかもしれない。それはあくまで個人の希望に沿った移住であり、それはそれでよいのではないだろうか。

そうであれば日本創生会議の今回の提言に、ことさら目くじらを立てる必要もないのだろうと思う。そしてその時に、政府が旗振り役になって、移住する地方に対する財源手当てを行い、高齢者が住まうにふさわしいインフラ整備が伴うというのであれば、それは必要なことだろうと思う。

なぜならたくさんの高齢者が移住することには、財源上の大きな問題が生じ、地方財政がそれによって圧迫される懸念があるからだ。

高齢者が住み替えた先で、一生涯元気に暮らし続けられるわけではなく、そこで要介護状態になって、都会では不足している介護サービスを受けることになったとして、地方行政の財政は大丈夫なのだろうか?高齢者のみが住み替えるとしたら、市町村民税非課税世帯の方が増えることが想定されるが、その中でサービス提供に必要な財源をより以上に確保していくことはできるのだろうか。

現在でも高齢化率が30%を超えている地方都市に、高齢者が介護サービスを求めて移住した時に、今余裕があると言われる介護サービス資源は、あっという間に枯渇すると同時に、都会のように労働人口が多くはない地方都市で、介護人材不足は急激に表面化するのではないのだろうか?現在の都市部の現状より、さらなる人材枯渇が広がってしまうのではないのか?

そもそも地方都市の現状を見ると、高齢者が住む環境としては、都市部より圧倒的な不便が存在する。それは交通インフラの未整備という問題であり、公共交通機関が不足しているということである。目的地に移動するための交通手段として、私鉄など存在せず、JRの駅もないか、1日に数本の列車しか走っていないという地方都市は少なくないだろう。市民の移動手段は、バスか自家用車ということになるが、バスだって都市部のように、5分〜10分おきに走っているという状況ではなく、1時間に1本あるかないかのダイヤの中で、高齢者の移動手段は限られてくる。

しかも生活必需品を、徒歩圏内で購入することが困難な地域が多い。場合によっては公共交通機関に頼ることができずに、自家用車での移動が必要になるかもしれない。都市部からの移住者は、その時に買い物難民になる恐れがないとは言えないのである。

そのため高齢者で自家用車を運転し続けようとする人は増えることになるだろうが、同時にそれは、「運転できる認知症高齢者」を増やす要因にもなり、今以上に高齢者の交通事故が大きな社会問題となるだろう。(参照:認知症ドライバーの問題

そう考えると日本創生会議の今回の提言の一番の問題は、高齢化の進行と介護サービスの問題について、地方と都市部では、その問題が少し違った形で表れているという違いに目を向けていないことではないかと思う。

つまり地方都市の一部にサービス余力があるとみられる背景には、そうした地域のサービスを利用できない郡部の市町村住民が存在するという意味である。その一部は限界集落と呼ばれ、コミュニティとしての機能維持が難しい地域である。そうした集落の住民が、住民サービスを受けるために、住み替えは必要不可欠だ。そしてそれは高齢者だけの住み替えではなく、そうした地域・集落に住む住民全員を対象とした住み替え策である。

地方都市は、都市部の高齢者を受け入れる前に、周辺市町村で、保健・医療・福祉・介護サービスが届きにくい住民の受け皿として、それらの住民に積極的に住み替えをすすめる施策を取る必要があり、地方都市の介護労働者も含めた介護サービスの余力は、コミュニティ再編の中で、それらの住民を受け入れるだけで埋まってしまうだろう。

一方で都市部は、交通を含めたインフラ整備が進んでいるのだから、高齢者が車に頼らず移動でき、生活必需品の購入にも不便がないという点に関していえば、高齢者にとって住みやすい場所である。そうであるなら、都市部の土地が高くて介護施設が建てられないという問題に対して、政治的な働きかけを強めることで問題解決を図ることが先ではないだろうか。

土地がない、設備がないと言っても、小中学校には空き教室がたくさん出てきているのだし、今後は高校や大学の数だって減少せざるを得ないだろう。子供のために使っていた公共施設で、お役目ごめんとなっている施設はどれだけあるのだろう。そうした土地や建物を高齢者施設に用途変更できないものかを模索したり、東京オリンピックの選手村を、大会後に高齢者住宅として利用したりという手はあるはずだ。

介護労働者が足りないという問題は、都市部だけの問題ではなく、地方都市も郡部も、どこでも足りない現状ではあるが、労働者人口自体は都市部の方があるのだし、これは日本全体で取り組むべき問題で、同じ器の中で、高齢者の居所をシャッフルすることによって解決できる問題ではない。

高齢化の進行で社会保障費が増えすぎるから給付費を削減し、都市部の高齢者のサービスが不足するから、一見サービスが足りていそうに見える地方に移住を促すというのでは工夫が足りないし、本質的な問題解決には結びつかない。人口が減って少子高齢化が進行した社会で、問題の所在にも地域間格差があるということに目を向けて、もっと工夫した施策が求められているのではないかと思う。

そういう意味からいえば、今回の提言は安易で工夫がないと批判されてもよいだろうが、同時にこうした提言の背景にある深刻な高齢化社会の問題を浮き彫りにしたことと、不足する介護労働と介護サービスの問題の本質はどこにあるかを鑑みれば、住み替えをも視野に入れなければならないということを表面化させたという面での評価はしてよいのだると思う。

それにしても今の政治は、介護問題に対する検証と工夫が全く足りないと言えるのではないだろうか。そのことの方が問題ではないのだろうか。

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