介護は、人の暮らしに深くかかわるもので、介護サービスとは、誰かの暮らしに深く介入して様々な支援行為を提供するものである。そうであるがゆえに頑張ったけど結果を出せないということであれば、そこで誰かの暮らしが護られていないばかりではなく、場合によっては人を不幸にして、取り返しのつかない状態に陥らせてしまうということになりかねない。

だから対人援助に関わる者には、結果責任の意識が強く求められ、支援行為の結果の検証作業は必要不可欠なわけである。

例えば、居宅介護支援に携わる介護支援専門員であれば、毎月行う自宅訪問モニタリングが求められているが、それはまさしく近直の結果検証という意味があり。機械的に訪問記録を書くのではなく、訪問して利用者の表情と暮らしぶりを見て、そこでしか感じることのできない利用者の満足度をしっかり検証する必要がある。

介護施設の場合も同様で、施設サービス計画を立案する際に行うモニタリングは、この施設で一人一人の暮らしが護られ、人としての尊厳を損なうことなく、快適な暮らしが送られているかという視点が重要になってくる。そのためには、利用者の満足度に配慮する必要があり、ニーズとデマンドが異なるという風に、利用者の声を切り捨てることなく、「〜してほしい」という思いにも寄り添いながら、不満なく暮らしを送ることができているのかということにも着目しつつ、日常ケアの品質を常に一定以上に担保し、なおかつ介護サービスの品質向上に常に努めて、利用者ニーズの充足を図ることが求められるわけである。

そしてそうした取り組みの延長線上に、看取り介護が存在するわけであるが、それは誰かの人生の最終ステージの支援という意味があるから、がんばったけど結果が出なかったでは困るわけであり、なおさら、『結果責任』が求められるわけである。そのために我々は、看取り介護の結果を検証する「看取り介護終了後カンファレンス」にて、一つ一つ、一人一人のケースを丁寧に検証評価し、その反省や課題を次につなげて、同じ課題を残さないことが求められるわけである。

勿論看取り介護を受ける人や、その家族の立場から言えば、常に反省と課題のないベストのケアを提供してもらわねば困るわけで、我々もそうしたいと努めてはいるが、個人のニーズや状態は様々であり、そうであるがゆえに、毎回何らかの気づきが生まれる。そうした意味での反省や課題が全く存在しなくなることはないというのが現状である。しかしそれは、旅立たれた人から我々に最期に送られたメッセージであると考え、現在の介護の品質をよりため向上させるためのヒントをいただいているのだとポジティブに考えるしかないのかもしれない。失敗を反省するのではなく、成功をさらなる成功に変える反省と課題であると考える必要があるのかもしれない。

そう考えると昨今必要性が叫ばれているPDCAサイクルは、掛け声だけで終わらせるのではなく、実効性のあるものにし、職員全員がそのサイクルを意識することも大事だと思ったので、そのためにはどうしたらよいかを考えた。その中で、看取り介護の手順は、各セクションが役割分担しながら、都度必要なことを行っているが、全体のフローチャートがないために、他の部署の動きや、その意味に対する認識の欠如が感じられたので、一度フローチャートを整理して、ほかに必要なことはないか、無駄な動きはないかを考えてみようと思った。
看取り介護のフローチャート
非常に簡潔なフローチャートであるが、これに枝葉をつけていくことで、PDCAサイクルの構築がよりクリアに、わかりやすい形で行われるような気がしている。

どちらにしても、我々が目指すものは、利用者も家族も、職員も後悔のない介護であり、それに向かって着々と進んでいくために、今できることを最大限に行っていくという、日々の取り組みが求められると思う。昨日までのベストが、今日も明日もベストとは限らないことを肝に銘じながら、亡くなられた利用者の方々の、天国から送られてくる声なき声としてのメッセージを、聴き逃さないように感性を働かせていきたい。

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