看取り介護におけるPDCAサイクルの中で求められる、「地域住民への啓発活動」として、施設における看取り介護の実践報告会を開く際には、単なる地域住民に向けた報告会にとどまらず、「終活(しゅうかつ)セミナー」として、リビングウイルの視点からの情報発信を行ってはどうかと提言しているところである。
(参照:PDCAサイクルにおける住民啓発活動には「終活」の視点を取り入れたい)
その意味は2つある。一つには、「看取り介護の報告会」とはいっても、看取り介護対象となっ方の遺族は、自分の身内がすでに退所になった施設の単なる報告に興味を持つ可能性は低いし、ましてや施設とは何の関係もない地域住民であればなおさら、地域に介護施設があるという理由だけで、特養等の看取り介護の実践報告を聴きたいと思う可能性は低いだろうと思え、報告会を開催しても誰も参加者がいないという事態が起こりかねない。
そうであれば、自分と全く関係のない問題ではなく、自分自身や自分の家族にもいつか訪れるであろう終末期を見据え、その時になったら自分がどうしてほしいのか、家族にどう対応すればよいのかを考える機会として、「終活セミナー」というものがあるとしたら、そこにはある程度の参加者が見込めるということである。現に僕が講師として関わった、「終活セミナー」には、65歳以上の高齢者の方々がたくさん参加しておられた。
そしてもう一つの意味は、社会福祉法人の社会貢献を考える視点である。
リビングウイルの考え方を地域に広めて、自分が最期の瞬間までどう生きるのかということを、家族任せにせず、自分自身で決めておくことによって、自分が終末期を迎えた際に、家族に精神的な負担と苦痛を与えないという結果につながる。なおかつ自分の判断力が衰えたり、失った場合であっても、自分が望む終末期支援を受けることができるという安心感を得ることができる。そのことは、残された家族の悲嘆緩和にもつながるであろうし、良い形で命のバトンリレーができるという意味でもあり、そういう考え方を広めたり、そこに結びつける情報を地域住民に提供することは、十分社会貢献事業と言えるのである。
では実際に終活セミナーは、どのような内容で行われているのだろうか。それは様々な方法と内容で全国で行われているが、僕が過去に講師として参加した終活セミナーで行われていたことを紹介したい。
昨年9月27日、岡山県倉敷市で行われた終活セミナーは、「命の預け方〜人生の最終章を不安から彩りへ」というテーマを掲げて行われた。張り付いたリンク先を参照してほしいが、ここでは僕が、「あなたらしい最終章を守るために」という講演を行い、口から物を食べられなくなった場合に、どのような選択肢があるかなど、終末期の選択として考えられる事柄を明らかにしたうえで、自らの意思を周囲の愛する誰かに伝えておくことの大切さや、その意味についてお話しした。
その後のパネルディスカッションでは、法律関係の方や、終活の実践としてエンディングノートを書いておられるシニア世代の方などと意見交換を行った。当日は180名ほどの参加者があり、介護サービス関係者の方も数多く来場されたが、過半数は一般市民の方々で、しかも60歳以上の方が来場者の半数以上を占めていた。お元気な高齢者の方々が数多かった。そして講演とパネルディスカッション終了後には、受講された方々から、「良い話を聴かせていただいて感謝します。」という言葉を数多くいただいたが、それらの方々の大多数が、ぼくより年齢の高い、人生の先輩たちであった。
また同じく昨年6月21日に福岡県北九州市で行われた終活セミナーは、「命の繋活(けいかつ)セミナー〜次世代に繋げるあなたらしい人生のひとこま」をテーマにして、講演とパネルディスカッション以外にも、会場で様々なブースが設置され、来場者の方々がいろいろな体験をしたり、情報を得たりしていた。その時のパンフレットが以下の画像である。
終活ブロックでは、介護・施設入居相談のみならず、弁護士の方による遺産・遺言・相続の相談ブースが設けられていた。さらに遺影撮影のブースや、実際に棺桶に入る「入棺体験」のブースもあり、なかなかの盛況ぶりであった。しかもその雰囲気は決して暗くなく、明るい日差しの日であったことも相まって、明るい雰囲気の中で様々な体験がされていた。
そう考えると終活セミナーは、様々な事業者の参加協力により、いろいろな体験コーナーを設置しながら、多様な方法での実施が考えられるように思う。協力業者は葬儀関係業者であってもよいし、墓石・墓地の関連業者であってもよいだろう。それを単に営業活動と考えるのではなく、リビングウイルのためと、残される遺族への負担・悲嘆軽減の社会活動と考えることが可能なのではないだろうか。
その中で介護施設の看取り介護の実践報告を行うことは、介護施設が、最期の瞬間まで安心と安全の暮らしを保障する支援を行い得る社会資源であるということの認識浸透にもつながるであろう。そういう意味では、介護施設は本当の意味で、最期の瞬間まで安心して暮らすことができる終生施設としてのサービスの品質を担保する必要があるし、その評価のための看取り介護終了後カンファレンスの実践と評価を重ねていくことが重要になるだろう。
ところで終活セミナーの講演で、僕が主張して事柄の一つとして次のことが挙げられる。
・リビングウイルやエンディングノートを記録し始める時期に、「早過ぎる」という時期はない。
・間に合わなくなる前に、自分が一番信頼できる、愛する誰かと、お互いの人生の最終ステージの過ごし方を確認し合っておくことが重要。暮らしを支援する専門職にはこのサポートをする役割が求められる。
・介護サービスに携わる専門家は、利用者との信頼関係を得ることができた時点で、終末期の医療や、口から物を食べられなくなったらどうしたいのかなどを文書で確認しておくことが大事
・その決定に関して、介護支援関係者はいかなる誘導や容喙(ようかい)を行ってはならないし、下された決定に対し、良い悪いという審判をしてはならない。ただ粛々とその判断を尊重し、その希望が実現されるように支援するのみ。ただし決定事項は、いつでも変えられるという理解が必要。
・そのため家族同士で、あるいは支援者と利用者間で、死について語ることをタブー視しない。
僕のこの主張は、実際に僕の施設で実践していることであり、単なる建前論ではないことを申し添えておきたい。
ちなみに終活セミナーでは講演を行うにしても気をつけなければならない点がある。一般市民の方や、高齢者の方が多い場合には、介護関係者向けの講演と同じ言葉を使って話しても意味が通じないことがある。そのためできるだけ専門用語を使わないように配慮したり、専門用語を使う場合には、誰にでも分かるような説明を同時に行う必要がある。例えば、「胃瘻」を話題にする場合も、そもそも胃瘻って何かがわからない人に、経管栄養の是非を論じても始まらない。この場合は、どのような状態の人に、どうやって胃瘻を造って、造った後はどうするのかなどを、胃瘻のイラストや画像を使って、図解説明しないと理解できない場合もあり、この点は常に注意しなければならない。
そんなふうに受講対象者に応じて、講演内容は変えることは可能なので、講師役のご用命があればメール等でお気軽に連絡いただきたい。
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約10年後の定年時に最終ゴールをどのように迎えるか?
この10年を無難に過ごし、安定した役職を迎えるのか?・・・・
将来が不明だが、違う環境で厳しいと思われるが介護の経験豊かな方の元で修業するか?・・・・
今、選択の時期で、厳しい選択の決断をしてしまいました。
本来ならば、同じ環境で咲く事を考えなければならないとわかっていても、・・・・
10年はあっという間であり、その後の老後もアットいう間に訪れることでしょう。
「終活」真剣に検討したいと思います。