特養の基準省令(指定介護老人福祉施設の人員、設備及び運営に関する基準:厚生省令第三十九号)第十一条では、「指定介護老人福祉施設は、施設サービス計画に基づき、入所者の要介護状態の軽減又は悪化の防止に資するよう、その者の心身の状況等に応じて、その者の処遇を妥当適切に行わなければならない。」と規定し、施設サービスの原則は、施設サービス計画に基づくとしている。

そして同条2は、「指定介護福祉施設サービスは、施設サービス計画に基づき、漫然かつ画一的なものとならないよう配慮して行われなければならない。」と規定している。

さらに同条3は、「指定介護老人福祉施設の従業者は、指定介護福祉施設サービスの提供に当たっては、懇切丁寧を旨とし、入所者又はその家族に対し、処遇上必要な事項について、理解しやすいように説明を行わなければならない。」と施設の説明責任を明記している。

また第十二条5 では「計画担当介護支援専門員は、入所者の希望及び入所者についてのアセスメントの結果に基づき、入所者の家族の希望を勘案して、入所者及びその家族の生活に対する意向、総合的な援助の方針、生活全般の解決すべき課題、指定介護福祉施設サービスの目標及びその達成時期、指定介護福祉施設サービスの内容、指定介護福祉施設サービスを提供する上での留意事項等を記載した施設サービス計画の原案を作成しなければならない。」とし、入所者の希望を取り入れる必要性を明示している。

これらは至極当たり前の規定である。ところがこの原則を無視して、施設サービス計画に定めることなく、「漫然かつ画一的」に行われ、利用者及び家族に「懇切丁寧に説明」することもなく、「入所者の希望」に基づかずに行われていることがある。

それは、全国老施協主催の介護力向上講習で推奨されている、すべての入所者を対象にした、一律1.500ml/日以上の水分補給や、利用者を引きずるように行う「歩行訓練」である。

なぜなら実際にこの問題を指摘した過去の記事に寄せられているたくさんのコメントの中には、この方針で水分補給を強制されている入所者の家族の、「やめてほしい」などという悲痛な声が混じっているからだ。こうした声はなぜ無視してもよいとされるのであろうか?

なぜこの方法論だけが、基準省令を無視した「治外法権」であってよいのか?

この方法論の問題点は再三にわたって書いてきているので、上にリンクを張り付けた過去記事を読んでいただきたいと思うが、この水分補給や、介護者が3人がかりで引きずるように行う「歩行訓練」と称される行為によって達成する目標とは、「おむつゼロ」である。しかもそれは全員がトイレで排泄することを意味しておらず、(日中パットへの排泄は可とされているため)トイレでどのような姿勢で、どのような方法で排泄しているのかは問われていない。その実態は、「生活の質」とは無縁の目標でしかない。

そのような状態の中で、全国老施協基準の「おむつゼロ」を目指す施設の入所者は、強制的に引きずられて苦しみ、トイレで無理な姿勢で座らされ痛い思いを毎日我慢させられ、その我慢と苦しみの結果、全国老施協基準の「おむつゼロ」に達したとされる施設が表彰される。これでよいのか?

これが科学的介護の実態である。このどこに科学があるのか。そこにはカルト宗教の「洗脳」のイメージしか浮かばない。

介護の場で高齢者が権利侵害される要素はいろいろあるが、その中には「利用者の暮らしの豊かさより、支援者の定めた目的が達せられたかどうかしか評価しない状態」が存在する。権威のある人に指導されることによって、根拠のない方法を正しいと思い込み、サービス提供側の価値観の押しつけを正しいと思い込む状態に陥って、利用者の声なき声を聞き逃す施設サービス従事者を大量生産しているのが、「介護力向上講習」の実態ではないのだろうか?

心不全のある人に大量の水分を摂取させる際の条件が、「毎日同じ時間に血圧の値、心拍数等を測定し、むくみを確認している」ことを免罪符にしている施設もあるが、もともと心不全のある人に水分過多は致命傷になりかねないことが分かっているのに、そのような方法を行った結果、数値が悪化したり、むくみが生じたりした責任は誰がとるんだ?

何度も指摘しているが、水分補給そのものが悪いということを言っているわけではないし、1.500ml/日の水分補給が必要な人がいることも否定しない。事実、当施設でも1.500ml/日の水分摂取を行っている人は複数存在する。しかしそれはすべて個別のアセスメントに基づいて決める問題であり、身長140センチ台の人が、まだたくさんおられる特養利用者の場合、一般的に考えられている不感蒸拙(感じることなく気道や皮膚から蒸散する水分で、発汗は含まない)より少ない人が多いという事実があるのだから、1.500ml/日という量は、水分過多で内臓ダメージに結びつく人の方が多いと言える。

そもそも、「本人が水分を1.500ml飲めないと職員が朝礼等で上司から叱られる為、父にお茶ゼリーを毎食事、口の中に流し込まれ、父は泣きながらそれを飲み込んでいました。」(家族がこの理論を理念としている施設に入所していたという方からの過去記事に書き込まれたコメントより)という状況が起きていることに、なぜ心を痛めないのか?

おむつゼロを実現した施設の職員と名乗る複数の人からも次のようなコメントが寄せられている。

・心不全、腎不全で亡くなった方もかなりいますが、水分補給とは関係ないとされます。というか最初から水分補給が多すぎるのではないかと言うことは検討されません。ただの病気として処理されるので、家族も年で仕方がないと思うだけです。もし水分が死に影響しているのならと考えると、自分もそれに加担しているのだという罪の意識が頭を離れません。この施設をやめても、その気持ちがなくなるわけではないし。

・座位がまともにとれない方であってもポータブルトイレへ極力誘導させられ、無理やり座らされて苦痛にゆがんだ表情は無視されます。

・歩行訓練になるともっと悲惨で、片麻痺・拘縮のある方を3人、4人がかりで歩行器で引きずるのを歩行訓練と称してます。 しかもそれは家族には見せません。


これらの声は無視してよいのだろうか?科学的介護と称する方法論を、基準省令の治外法権にしていてよいのだろうか?いつまで洗脳が続けられるのだろうか?

やはり変えるべきものは変えるべきで、介護力向上講習という学びの場をなくす必要はないが、もっと個別性に配慮したり、おむつゼロという目的だけにとらわれない学びの場にしていかねばならないのではないだろうか。

そして、ひとつのスローガンを掲げ、そのスローガンさえ達成すればよいという運動方針に科学性はないと指摘しておきたい。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。