介護施設におけるターミナルケアの取り組みが、報酬として評価されるようになったのは2006年(平成18年)4月の報酬改定からである。そのときに特養の加算報酬として、「看取り介護加算」が新設された。

この加算を創設する際に、医療系サービスで行う、「ターミナルケア」と差別化するために、「看取り介護」という言葉が創られた。当初ターミナルケアを直訳して、「終末期介護加算」などが検討されたが、「終末」という言葉を使いたくないという関係者の意見もあって、日本語に古くから存在する、「看取り」(本来これは、看護するという意味で、必ずしも終末期介護を意味する言葉ではない。)という言葉に、介護という言葉をつけて創設した「新語」が「看取り介護」なのである。

その新名称が良いかどうかは評価が分かれるところであろうが、今では「看取り介護」という言葉は、以前からあったかのように錯覚させられるほど、介護現場に浸透した言葉になった。

看取り介護・ターミナルケアに関する報酬上の評価は、2006年当初は、特養の看取り介護加算しかなかったが、その後2008年5月に療養型老健が誕生した際に、介護療養型老健の加算報酬として、ターミナルケア加算が創られ、2009年4月の介護報酬改訂では、療養型老健以外の既存型老健でもターミナルケア加算算定可能となり、グループホームの介護報酬にも看取り介護加算が新設された。

ところで特養の看取り加算算定ルールには、当初から「定期的に看取り介護に関する研修を行っていること」という算定ルールが存在した。

2006年の介護報酬改訂に先駆けて、どこよりも早く独自の「看取り介護指針」を策定して、それに沿った新しい看取り介護体制を構築しようと取り組んでいた当時の僕にとって、この「看取り介護研修」を、誰にどのような内容で行ってもらうのかが、大きな課題となっていた。

一番先に頭に浮かんだのは、医療機関でターミナルケアに取り組んでいる看護師さんなどに依頼して、その取り組みの実践例などを示してもらいながら、考え方を学んではどうかということであった。そのため看護師が書いたターミナルケアに関する著書を読んだり、医師や看護師が講師役を務めているターミナルケア研修会などに参加してお話を伺ったが、どの講演を聞いてもピンとくるものがなく、特養で何をどのように行うことが看取り介護と言えるのかというものが見えてこなかった。

その時考えたことは、当施設では加算算定以前から、ターミナルケアと称した「看取り介護」の実践はされてきたということであった。

ただしそれは新しい看取り介護指針や、看取り介護加算の算定要件から見ると、足りない部分や、欠けている部分が多かったという事実もあるが、実践例はそこに存在していたわけで、そのことをベースに、そこですべきことをなぜできなかったのか、それはなぜしなければならないとして、今求められるのか、そのことを実践するために何が欠けていて、どうすれば実行できるのかということを明らかにすることで、「看取り介護研修」となり得るのではないのかと考えた。

そのため僕は、看取り介護として求められるものを、看取り介護加算算定ルールを解説しながら紐解き、当施設で新たに創った、「看取り介護指針」の意味を解説し、さらに医療機関ではない場所でターミナルケアを行ってよいのだろうかという疑問や、医療機関ではない場所で、死に臨むことが良いことなのかという疑問、さらに夜間、医師や看護職員がいない場所では医療処置ができないから無理ではないかという疑問についても、自分なりの考え方を示して、医療や看護の資格のない職員が臨終場面に相対しても何をして良いかわからないという不安と疑問に答える内容の研修を企画した。そしてその内容を、僕自身が自分の言葉で職員に解説した。

そこで伝えるべきことは、介護施設における看取り介護・ターミナルケアって何?という問いかけに対する答えでもある。

もしも、その答えを明確に示すことができないのであれば、看取り介護研修としての意味はなくなる。それを示さないと看取り介護の理念と方法論に対する理解が進まないから、例えば経管栄養を行わずに迎える死に対する見解の相違が存在するように、終末期であるという判定に対する疑問の答えが見えてこないからだ。その疑問にどう答えるのかということも、僕の施設での看取り介護研修では必ず取り入れている。そしてなにより、医療機関で死ぬことが当たり前という社会全体の価値観がどのように形成されていったのかという歴史を紐解いて、それが果たして今の時代にマッチした考えであるのかということを問い直している。そこで初めて介護施設での看取り介護の実践方法が見えてきたように思う。

少なくとも観念論で終わる講演は、看取り介護講演としてふさわしくないということは確かである。

その当時示した考え方が僕の施設で実践している看取り介護のベースになっている。そしてそれをベースに現在も、看取り介護の方法論は、一つ一つのケース評価によって、新たな視点を加え進化し続けていると思っている。

その実践は同時に、僕が現在全国各地で行っている、「看取り介護研修」のベースとなっている。そこで取り上げるケースも、実践例を積み重ねるごとに変わってきているし、前述したようにケアの方法論も、「できること」が増えてきたことによって進化しているから、内容自体も変化・進化している。

そういう意味では、2006年当時に考えた「看取り介護研修」の方向性が間違いでなかったことを、現在の僕の施設での職員の実践が証明してくれていると言えるのではないだろうか。

今では特養やグループホームの職員を対象とした「看取り介護研修講師」として招待されるわけではなく、医療機関や老健の看護師の方々に向けた研修講師も依頼される機会が増えている。

例えば今年11月には、北海道看護協会の依頼で、北海道看護協会主催研修:介護保険施設等における看護職のためのリーダーシップ研修の講師を務め、そこで「看取り期のケアの理解〜介護施設の看取り介護の視点から」という150分講演を行ったが、これも過去に北海道緩和ケア認定看護師キャリアアップの会で「看取り介護講演」を行ったり、北海道慢性期医療協会・総会でシンポジストとして、特養における看取り介護について発言した内容を、講演主催事務局の方が伝え聴いて、講演依頼につながっているものである。

その11月講演では、講演終了後に「また来年もお願いします。」と言われ、すでに来年11/7(土)の同研修の講師依頼が、早くもこの時期に来ている。同じ研修の講師を何年も続けて依頼されるということは、それが受講者の皆さんに役立つ話であると評価されているという意味だろうから、とても嬉しいことである。

僕の施設が所属する職能団体である全国老施協も、看取り介護研修を開催しているが、こちらからは全然オファーはない。それは少し残念なところだ。しかし都道府県単位の老施協などからは看取り介護講演を依頼されることも多いので、そちらの方で問題提起し、様々な問題の解決を図る具体論を示し続けたい。

今後も地に足をつけて、自らの施設での取り組みを重ね、サービスの品質の向上を図り、その実践例を積み重ねる中で、介護サービスの延長線上に必ず存在する人生の最終ステージのケアについて考えていきたいと思う。

2030年に、我が国の死者数は160万人を超えるとも言われている。そのような中、医療機関のベッド数は増えないのだから、自分がどこでどのように最期の時間を過ごし、最期の瞬間を迎えるのかは、自らに差し迫った問題である。そういう意味では、医療機関・介護施設・居宅ケーサービス・在宅を問わず、看取り介護支援ができる体制を地域ごとに創っていくことは差し迫った課題であり、サービス提供事業者の看取り介護実践法の構築と、限りある命を持つ自分自身がどこでどのように最期の瞬間を迎えるのかという「終活」をテーマにした問題提起は、今後ますます求められていくであろう。

そういう時はお手伝いができるかもしれないので、看取り介護やターミナルケア、終活などの講師をお探しの人がいたら、是非連絡いただきたい。

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