バブルと呼ばれたころ、クリスマスイブとは若いカップルのために存在する日であるかのような印象があった。

しかし僕たちが生まれたころから、日本人の慣習に根付いていたクリスマスとは、本来は子供たちのための日であったのではないだろうか。

サンタクロースの存在を、いつまで信じていたのかは記憶にないし、何歳まで親からクリスマスプレゼントを買ってもらっていたのかという記憶もなくなっているが、幼いころクリスマスとは、1年のうちに1番豪華なプレゼントをもらう日であったという記憶がある。

クリスマスイブの夜は、母親手作りの料理を囲んで、一家団欒の夕食を楽しみ、いつもより遅く寝ると、翌日は枕元に願っていたクリスマスプレゼントが置かれている。そんな光景が思い浮かぶ。

自分が親になった時、自分の子供のころの記憶の中にあるクリスマスを再現するかのように、自分の子供たちにクリスマスプレゼントを買って、夜彼らが眠った後に、枕元にプレゼントをそっと置いた記憶もある。

しかしそんな夜、僕はジングルベルの音が届かない子供たちのことを思い出したりしていた。そして今も、クリスマスが近づくと、彼ら彼女らのことを思いだし、今彼らがクリスマスイブの夜を、しあわせに過ごしているのだろうかと考えたりすることが多い。

大学生時代、僕は北星学園大学文学部社会福祉学科というところに在籍し、社会福祉の勉強をしていた。そして社会福祉の中でも、児童福祉を専門に勉強し、児童養護施設や児童相談所などで実習やボランティア活動をしていた。

ちょうどその時期は、日航ジャンボ機の御巣鷹山への墜落事故で亡くなった、歌手の坂本九さんが毎週日曜日の朝の生番組で、北海道の社会福祉の現場をレポートしていたころであった。そのため道内全体に社会福祉という言葉や考え方が、広く一般住民の方々にも浸透していった時期であったと記憶している。

そのような学生時代に、児童福祉の現場で出会ったたくさんの子供たち。

しかし彼らの暮らしとは、僕の想像の範囲をはるかに超える、過酷な状況というにふさわしい暮らしぶりであった。

そのことは、2005年にこのブログの中で書いた、『Think about my Daughter〜もうひとつの少年期との出会い』、『Think about my Daughter2〜僕は天使ぢゃないよ。』、『Think about my Daughter3〜彷徨』、『Think about my Daughter4〜最終章:光と影。』に詳しく書いているので、興味のある方はそちらを読んでいただきたい。

そこで紹介した子供たちは、世間の喧騒とは別なところで、世間のクリスマスとは無縁の暮らしを送っていた。

僕はある時期、そうした子供たちが保護され暮らしていた場所に、クリスマスプレゼントを届けるボランティア活動もしていたが、彼らが本当に欲しかったものは、物としてのプレゼントではなく、親から普通にプレゼントを贈られる暮らしであったのかもしれない。しかしそれは現実としては、手に入れることが最も困難なものであった。

しかも、そうした状況に子供たちを陥らせた原因も、親であったという哀しい現実がある。子供の愛し方を間違ってしまう親、子供の愛し方を忘れてしまった親、親としての自覚も責任感もない親。

学生時代、知識もなく、社会経験もない僕ではあったが、子供たちが置かれた過酷な状況を直視せず、そこに背を向ける親に、「子供を産んだ後まで、いつまでも男と女ばっかりやってんじゃねえ。親になれ。」と罵声を浴びせたい気持ちになったことは、一度や二度ではなかった。

そうした子供たちと、僕自身が関わった時期は、ごく短い期間でしかない。そのあとその子供たちがどのように大人への階段を昇って行ったのかを僕は知らない。果たして、彼らが成長して大人になっていく過程で、ジングルベルの音色が、彼らの耳にも届いたのだろうか・・・。

そして、その子供たちと同じような境遇に置かれて、今日もジングルべルの音色が届かない場所で、クリスマスケーキもクリスマスプレゼントも無縁な暮らしを送っている子供たちがいるのだろうと思う。その子供たちにジングルベルの音色が届く、普通の暮らしが訪れることを願ってやまない。

リンクを貼り付けた2005年位書いた記事のタイトル、Think about my Daughterは、函館出身のバンドGLAYの楽曲のタイトルから借用させてもらったものだ。

社会福祉とは、究極的には人類すべての幸福を実現することを目的とするものだ。自分が所属する場所の、自分の担当する誰かだけが幸せになればよいというものではない。だから競争で他事業者を蹴落とすことなど社会福祉とは相いれないものだと思う。弱肉強食の市場原理も相容れないものだ。

ただし僕たちがこの世でできることは限られている。世界中の人を僕の手で幸せにできるなんてことはありえない。だから自分の目の前にいる人はせめて幸せにしたい。自分が手の届く範囲には、自分の心からの愛を届けたい。それが社会福祉を学んだものの責任であると思う。

GLAYのThink about my Daughterの中には、次のようなフレーズがある。
人は弱い心受け止めて、矛盾すら抱きしめて生きるんだ

人の世にうずくまる病んだ瞳に傷ついているなら、時々は時々は大きな声で泣き叫んでごらん

足元に微笑んだ名もない花たちが、力強さになる


僕たちの手の届く場所にいる人々が、大人も子供も全ての人々が、幸せになるように、それらの人々の力強さになるために、誰かの赤い花でありたい。

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