地域包括ケアシステムとは何かについては、このブログ記事の中で何度も書いてきた。(参照:地域包括ケアシステム

介護保険制度改正は、医療制度改正の風下に位置しているということを理解しながら、その中の地域包括ケアシステムというものを考える必要があると考えている。

そうであれば医療制度改正・介護保険制度改正の流れとは、高齢者を、できるだけ病院や施設に入院・入所させず、地域で生活させようとする仕組みが強化されているわけで、高齢者が入院した場合でも、入院期間をできるだけ短縮して、早期に自宅等の「住まい」に戻すために、保健・医療・福祉・介護の連携を強化しようとするものであることが理解できるだろう。

退院支援は、その中でも重要になってくるから、全国的に共通ルールを作って退院支援システムを構築するためのモデル事業が実施されているのである。そこで問題になるのは、決められたルールに則り書式をやりとりして加算算定できればよいということではなく、高齢者が地域で暮らすことができるように、入院先から暮らしの場へつなぐにあたって、きちんと多職種連携体制がとられて、高齢者がスムースに退院生活にい移行でき、その暮らしを多重構造で支えることができるかが問われてくるのである。

そしてそのことは、自らの担当利用者の暮らしを支えるだけではなく、担当利用者が暮らす地域社会の構造を分析しながら、そこで必要とされる支援方法を多様な視点から構築したり、社会資源を開発したりということにつながっていくものである。それがなければ地域包括ケアシステムは、概念あって実態なしということになってしまうであろうし、実際にはそうした地域も存在することになるだろうし、地域格差が生ずることは間違いないであろう。そうしないために何が必要とされるのであろうか?

地域包括ケアシステムとは、高齢者が心身に障がいを持つなどして、何らかの支援が必要になっても、できるだけ住み慣れた地域で暮らし続けるために、身体状況等に応じた居所を選択したうえで、保健・医療・福祉・介護が一体的に切れ目なく提供されるシステムと言える。

そのシステムが形骸化しないために求められることは、それぞれの領域の専門家が、自分の担当利用者だけに関心を寄せるだけではなく、利用者の住む街、そこに暮らす人々に関心を向けることだろうと考える。そして各領域の専門家が、その関心の輪をつないでいく先に、本当の意味の連携や多職種協働が生まれるのではないかと考える。

例えば居宅介護支援事業所の介護支援専門員は、定期的に利用者の居所において、面接やモニタリングを実施するわけであるが、そこでは利用者の生活状況がどうなっているかというアセスメントにとどまらずに、その延長線上に、利用者が暮らす地域に、どのような人々が住んでいるかというアセスメントも求められると考え、そこに住む人々に関心を寄せて、大まかでよいから地域全体の状況を把握しておくという視点が求められてくるのではないだろうか。

介護支援を必要とする要介護高齢者の自宅周辺にも、元気に暮らす介護サービスを必要としていない高齢者の皆さんが存在するであろう。そうした人々は、今のところ介護支援の必要がないから、気にかけなくてよいということではなく、元気に暮らしている高齢者の方々が、ひとり暮らしであるとか、高齢者夫婦世帯であるとか、そういった状況に少しだけ関心を寄せて、それらの人々の姿が、いつの間にか見えなくなっていないかということに対しても注意を向ける介護支援が求められていくのではないだろうか。

人が住んでいるはずなのに、カーテンが閉まったままの高齢者世帯。あるいは夕方になってもカーテンが開いたままで、数日間閉められた様子のない世帯。そんな何気ない気づきが必要とされるのではないだろうか。

高齢者の方が住んでいる家の外に干された洗濯物が、数日間取り込まれることなく放置されている状態に気が付くか、気が付かないのかで、そこに住む高齢者の命を救うことができるのか、救えないのかという分岐点になる可能性だってある。

そしてそれらの気づきの目は、多いに越したことがなく、例えばそれに気が付くことのできる専門家とは、何も介護支援専門員だけである必要はないので、例えば毎日地域から事業所に利用者を送迎する通所サービス事業所の運転手さんが、送迎地域にどのような人が住んでいるかに関心を寄せ、昼間なのに電気がつけっぱなしの居間があるなどの各家庭状態に関心を寄せ、その気付きを地域包括支援センターに情報として寄せてくれるということが当たり前になれば、その中でいろいろな所属事業所の、いろいろな職種の人々の関係性が生まれ、多職種連携の芽が生まれ、育つのではないだろうか。

訪問介護員や、訪問看護師等の訪問サービス担当職員には、そういう視点を持ったサービス提供が求められてくるのではないだろうか。

訪問や送迎のたびに、訪問場所の様子をきょろきょろ見まわる様子は、ある意味怪しい行動と見間違われるかもしれないが、超高齢化社会で、高齢化率が40パーセントを超えようとする地域が数多く生まれ、その中でお元気だった高齢者が、さらに年齢を積み重ねて、自らの心身の衰えや、生活の質の低下に気が付かないという状況がたくさん生まれるであろうことが想定される。

その時に、自分の生活の困難性に気が付いてくれる第3者の目が必要とされるのではないだろうか。怪しまれることを恐れず、地域の様々な状況に視線を送り、何かに気づくという視点が求められるのではないだろうか。

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