享年84歳で亡くなった義母の告別式〜火葬〜繰り上げ法要等で昨日はブログ記事を更新する暇がなかった。平日に記事更新しないのはいつ以来だったろうか・・・。
僕は今日まで忌引きをいただいている。通常勤務は明日からであるが、今日の夕方には認定審査会がある。審査会を欠席すると審議ができず、要介護認定が遅れてしまうという影響が出るため休めない。そのため18:00までに市役所に行かねばならないが、先週末からの身辺のあわただしさで一次判定結果も考察していないので、今日はこれからそちらの資料を読み込む予定である。
それにしても今回の義母との死別では、いろいろなことを改めて考えさせられた。
亡くなった義母に、最初にがんが見つかったのは9年前の事である。その時見つかったのは初期の肺がんで、手術によって治うした。しかし5年後に再発し、その後は癌とうまく付き合って生きてきた。進行も遅く元気に過ごしていたが、今年に入って体調が悪化し、転移性脳しゅようと診断され、9月からは緩和ケア病棟で過ごしていた。最期は本人の希望に沿った看取りができたと思う。
今、巷では癌は一切の治療を行わない方がよいという医師の考え方が話題になっているが、9年前のあの時に、手術を受けずに癌を放置していたら、義母はもっと早い時期に、もっと悪い状態で死を迎えたのではないかと思う。これまでの一連の対応や、医療との付き合いはベストの選択であったのではないかと思っている。
何度か書いているが、国が示している地域包括ケアシステムの最新の概念は、「ニーズに応じた住宅が提供されることを基本とした上で、生活上の安全・安心・健康を確保するために、医療や介護のみな らず、福祉サービスを含めた様々な生活支援サービスが日常生活の場(日常 生活圏域)で適切に提供できるような地域での体制」(平成25年3月地域包括ケアシステム研究会)であり、住み慣れた地域で暮らし続けるという意味は、同時に「自宅」で過ごしてきた高齢者に対して、自分の身体状況等に関連したニーズに即する「住み替え」を促すものである。
だから地域包括ケアシステムにおける今後の討のための論点(地域包括ケア研究会)という報告書には、次の2点の指摘事項が記されている。
・毎日、誰かが訪問してきて様子は見ているが、翌日になったら一人で亡くなっていたといった最期も珍しいことではなくなるだろう。
・常に「家族に見守られながら自宅で亡くなるわけではない」ことを、それぞれの住民が理解した上で在宅生活を選択する必要がある。
こうした考え方もあることを理解したうえで、自分が人生の最終ステージをどう生きたいのかという側面から、どのように死の瞬間を迎えたいのかを真剣に考え、周囲の人々にその考え方を明らかにしておく必要性があるのだ。
繰り返しを恐れず書くが、リビングウイルやエンディングノートを記録し始める時期に、「早過ぎる」という時期はないのである。間に合わなくなる前に、自分が一番信頼できる愛する誰かと、お互いの人生の最終ステージの過ごし方を確認し合っておくことが重要である。
勘違いしてはならないことは、どこで終末期を過ごすのかということを考えるのであれば、それは種別で選べる問題ではないということだ。
医療機関とか、特養とか、サービス付き高齢者向け住宅とか、グループホームとか、自宅とかの種別で選ぶのではなく、そこで何ができるのかという個別性で選択することが大事なのである。そのためにも、日頃からの情報収集が大事なのである。そして密室で看取り介護が行われている場所は怖いという理解も必要だ。そこで何が行われているかわからない場所で、自分の人生の最終ステージを過ごしたいとは思えないはずである。
そういった意味から、高齢期の住み替え場所としてサ高住や住宅型有料老人ホームを選ぶのであれば、最低でも次の4点に着目して選んだ方がよいとアドバイスしている。
・終末期援助(看取り介護)を受けることができる理念や方法があって、入所前にきちんと、その方法についての説明を受けることができるか。
・病状が重篤になると退所しなければならないような契約内容になっていないか。
・外部の介護サービス(訪問介護・通所介護・訪問看護など)を利用するに際して、関連事業所のサービスだけを使うような入所要件になっている場合は選択しない方がよい。
・介護支援専門員(ケアマネジャー)を利用者が自由に選ぶことができるか。
看取る者、看取られる者、双方に意味がある看取り介護だからこそ、別れの時をどう過ごすことができるのか、そのためにどんな支援体制があるのかを考えて選択していただきたい。
僕の施設ではこうした観点から、残される遺族の「心」に与える影響に十分配慮して、家族が参加できる場面が多々ある介護施設の看取り介護には、命のバトンリレーをお手伝いするという意味があり、在宅死に近い状態で臨終場面に向き合う家族を支える機能が大事だと考えている。別れの時間を家族と共に過ごす事ができる看取り介護が大事だと思う。
自らの「死」、愛する人の「死」を語る意味は何かを、それぞれの人が真剣に考えることが大事だと思う。

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