看取り介護は大変であると考え、実施していない特養も多い。しかし看取り介護は決して特別なスキルの人だけが実施できる、特別な支援方法ではないと言いたい。

もちろん看取り介護期に必要なサービスを提供するために、必要な知識や援助技術はきちんと持っていなければならないが、それは日常的な介護サービスの中でも求められるものであり、日常の延長線上にある看取り介護期だけに必要とされるスキルではない。

個別の死生観に対する理解や、それに対する対応、看取り介護期に特に留意しなければならない諸問題への配慮などは求められてくるだろうが、それとて日常的なケア場面で不必要とされるわけではなく、基礎知識として身に着けているべき知識である。そう考えると、対人援助としてふさわしい支援方法を手に入れているというスキルがあれば、看取り介護を実施できると考え、看取り介護期であることを特別視して係る必要性はないといえる。逆に言えば、誰かの人生の一部に深くかかわる対人援助という職業に就いている人が、看取り介護だから難しい・できないというレベルでどうするのかということが問題なのである。

まずは看取り介護とは何か、そこで求められる支援方法は何かを理解することが必要だ。それを理解していない人が、看取り介護を日常介護とは全く違うものであると勘違いし、その実施システムを作る努力をしないというのが、看取り介護行えない施設の実情ではないだろうか。

勿論、看取り介護を自分たちの知識や介護レベルのキャパを超えて実施することがあってはならない。例えば、当施設も「末期がん」の方で、痛みのコントロールが必要な人がいる場合に、施設医師による痛みの管理が十分できないと判断した場合は、当施設において看取ること自体が、痛みを伴う安楽ではない終末期につながってしまうので看取り介護実施は不可能である。その場合は、痛みのコントロールを行いながら看取ることが可能な機関を紹介し、そこでターミナルケアを行ってもらうことになる。

このように、看取り介護期であっても、安楽のための医療支援や看護対応が必要とされるため、この部分については、医師や看護職員による対応が不可欠であるが、常にそのような支援行為が求められるわけではなく、息を引き取る場面では、ほぼそのような支援行為は求められず、静かに息を引き取ることを見守ることが求められているだけである。

在宅での看取り介護の場合も、在宅療養支援診療所の医師を中心にした支援チームを組んで、訪問看護等の支援を24時間体制で提供するわけであるが、対象者が息を引きとる場面に、医師や看護職員がいるわけではなく、多くのケースは、家族だけで最期の瞬間を看取っている。

看取り介護対象者に、死の瞬間が訪れる直前には、デスラッセル(死前喘鳴)や下顎呼吸などの死の間際特有の身体状況の変化が生ずるが、その際にはすでに意識がない状態であることと、エンドルフィンという脳内麻薬物質が生ずることによって、苦痛はないと言われる。

そのような予測される症状を、事前に理解しておくことによって、その瞬間に医療・看護関係者が対応する必要のないことも理解でき、静かに心を込めた看取り介護が可能になるだろう。

自分の施設で何ができ、何ができないのかを精査し、その範囲でできる看取り介護の実施システムを考え、構築し発展させていくという意識がないと、「看取り介護は難しい」という固定観念から脱却できないまま、一歩も前に進まないことになる。

対人援助の専門家、介護を職業とする専門職は、限りある命を持つ人々に寄り添う存在だから、最期の瞬間に傍らにいることが許される者となるために、日々の介護に心を込めて、良好な関係性を作っていくことが重要だ。その関係性の構築そのものが、介護そのものになるかもしれない。そしてその延長線上に、深い信頼関係を構築した人の死があり、その瞬間まで心を込めてかかわることが、介護者としての使命ではないのかと思う。

なぜなら最期の瞬間は、誰かの命が燃え尽きる場面という意味にとどまらず、愛する人の傍らで心を込めて看取る家族が、逝く人から命のバトンをリレーされるという意味もあるのだ。僕たちの役割とは、そうしたバトンリレーがスムースにできるよう、バトンを落とさぬように支える役割である。

ときには何らかの理由で、家族が最期の場面に寄り添えなかった際に、僕らが傍らでその瞬間を看取り、その時の状態を伝えることで、命のバトンが家族に渡せることもある。

1月を超える長期間施設に泊まり込んで母親を看取ったことにより、この世に生んでくれた恩の何パーセントかを返せたと、涙の中にも清々しい表情を見せてくれた娘さん。

体調が思わしくなく、夫の最期の瞬間に付き添うことができなかった妻は、最期を看取った介護職員から、その時の様子を繰り返し聞いて、苦しむことなく眠るように旅立っていったことを何度も確認し、そしてお通夜の席では親せきに繰り返しそのことを話していた。

どのケースも命のバトンリレーがなされたのではないだろうか。そうした場面を支援できる介護という職業に、僕たちは使命感を持つと同時に、そのことに誇り感じてもよいのではないだろうか。

そうした場面を創り、そうした場面を支援する「看取り介護」の実践を、我々の使命と考えてもよいのではな井だろうか。

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