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僕たちの職業は、人の死をあまり遠くに感じない職業だ。
僕が施設長を務める特養では、年間10人〜30人近い利用者が亡くなる。だからと言ってそういう死に慣れるということはないし、利用者の方が亡くなっても哀しみを感じず、何とも思わないということはない。
しかし我々は特養の機能として、終末期の支援があると考え、特養の基本サービスとして、看取り介護を実践している。
それはある意味、利用者の死を織り込んだサービス提供体制を整えているという意味であり、そこでは利用者の死が想定外であることはあり得ず、たとえ昨日まで元気あった利用者が、何らかの理由で今日当然亡くなられることがあっても、突然の死に対して、その瞬間に驚きの気持ちをもつことはあったとしても、そうした死に対しての備えがないということはない。
むしろ我々は、利用者の死という形で、それらの方々とお別れすることを前提にして関係を結んでいるといってもよいのではないだろうか。施設サービスの契約を結ぶ段階で、我々はそれらの利用者の方の死の瞬間までお世話する約束を結んでいると言え、その瞬間まで安心と安楽のサービス提供をするために、日々研鑽を続けているわけである。そして最期の瞬間を安らかに見送ることをもって、サービスが完結すると考えている。そのため適切な看取りができたと評価することで、ある種の達成感を抱いたりすることがある。
(※サービスの完結とは、利用者の死の瞬間ではなく、そのあとに看取り介護の評価や、グリーフケアがあるだろうというのは、また別の問題である)
そういう意味では、利用者の方々の死について、利用者ではない人々の死と同じ感情で相対することはできないのかもしれない。哀しみの思いを抱く感情も、どこか違う回路で、違った感じ方をしているのかもしれない。
若い人の訃報に接すると、その思いは余計に強くなる。さらにそれが自分に関係深い人の訃報であれば尚更である。冷静ではいられない感情を持つ「死」も、そこには存在する。「最後は安らかでよかったね」などとはとても言えない、複雑な思いを持つこともある。
先週の某日、僕はある人のお通夜に参列してきた。その人は過去に僕の部下として、一緒の職場で働いていた人だ。その人が命を失う原因になった病気は、「末期がん」である。
数年前に吐血から受診、癌の診断を受けたものの、一度は手術で癌を克服し、長い療養生活の後、職場復帰も果たし、同僚の協力も得ながら一時は元気に働いていた。
残念ながらその後に再発した癌は、転移癌であった。
そしてその人は、職場を退職し療養に専念するも、手術の適応ではなく緩和ケアに移行。本人も家族も、ある程度の覚悟はできていたのだろうとは思う。
先日も同じ職種の元上司が面会し、もう言葉も発せない状態であることを聴き、覚悟はしていたが、先週あまりにも突然の訃報が・・・。ちょうどその日は僕の誕生日で、昼休みに更新したブログ記事には、29年前の僕の誕生日に起きた航空事故で、北海道の福祉に多大の貢献をされた歌手の坂本 九氏が亡くなられたことを書いた。
(参照:平和な国の介護を考えた日)
その直後に、その人の訃報に触れた。言葉がなかった。残された二人の小学生が不憫である。亡くなったその人もさぞ心残りであったろうと考えるとやりきれない。
死は誰も避けられない。人の致死率は100%である。しかし長寿社会といわれるこの時代に、あまりにも若すぎる死・・・。
29年前の誕生日以降は、毎年自分の誕生日が来ると、日航機事故と坂本九さんのことを思い出してきた僕であるが、もしかしたら来年以降の自分の誕生日には、そのことに加え、今年の僕の誕生日と同じ日に逝った、その人のことを思い出すことになるのかもしれない。そのことが少しでもその人の供養になればよいのだが・・・。
僕には何もできない。ただ安らかなれと祈るのみである。合掌。
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