昨年12/30に書いた記事の中で、衝撃の虐待ケースとして、埼玉県春日部市の特養利用者3人が、一人の介護職員によって、相次いで暴行を受け、3人が死に至らしめられたのではないかという事件に触れている。
その事件の裁判員裁判初公判が、昨日7月23日(水)さいたま地裁で開かれた。そこで傷害致死罪に問われている被告は、起訴事実を全面的に認めた。
動機について検察は冒頭陳述で、「事件前に別の入居者の体調の異変に最初に気付き、施設長からほめられた大吉被告が、もっとほめられるために入居者を殴って異変を伝えようと考えたと指摘」し、「被告が一方的に暴行を加えた残虐な犯行」と主張した。
一方弁護側は、「適応障害の被告は『もう一度異常を報告してほめられたい』という一心で、怪我をさせる気持ちはなかった」と述べ、情状酌量を求めた。
事件が起こったのは2010年2月。被告が事件現場となった特養で働き始めたのは同年2月13日のこと。直後の15〜18日、入所者の高齢女性3人が死亡、1人が大けがをした。そして4人の急変を発見して報告したのが被告だった。
この状況に不自然さを感じた施設は同月20日、市に通報。行政と県警は調査を開始したが、3人は既に火葬後のため捜査は難航した。
被告は、同月19日に履歴書に虚偽の内容があったとして依願退職した。わずか1週間の在職期間であったが、本件以外にも他の女性入居者2人に対する傷害と傷害致死容疑でも立件されたが、いずれも嫌疑不十分で不起訴処分となった。現在女性の遺族が処分を不服とし、さいたま検察審査会に審査を申し立てている。
当時、市は「虐待の疑いは強く認められない」と判断。その理由の一つに、被告の仕事ぶりが真面目で熱心だったという要素があったと考えられる。
その後、被告は2013年5月、同施設に入所していた寝たきりの女性(84=当時、のちに病死)の胸などを殴って、けがを負わせたとして傷害容疑で逮捕された。さらに、同施設の別の女性(95=当時)に暴行を加えて死亡させたとして傷害致死容疑で再逮捕された。
被告は取り調べ段階で「暴行を加えて第一発見者となり、目立ちたかった」、「具合の悪い人を見つけて報告すれば施設から認めてもらえると思った」などと供述し、95歳の女性を死亡させた状況について、「握り拳で机を『ドン』とたたくように、女性の体を強い力でたたいた。」と供述していると報道されていた。
適応障害と診断がされているのであれば、単なる虐待による傷害致死事件として論ずることはできないのかもしれない。適応障害の場合、暴力行為などの行動的な障害を伴うことがあり、ストレスが原因で普段とはかけ離れた著しい行動に出ることがあるが、患者本人はそれらの行動の変化に懸念や自責の念を持たないことが多いという問題がある。
むしろ短期間のうちに数多くの被害者を出した本件の異常さを考えるならば、正常な判断力のある人間によって行われた行動とは考えにくい側面もある。判決でそのことが情状酌量の理由になるかどうかとは別に、再発防止を考える上でも、適応障害と暴行の因果関係を明らかにすることは必要なことだろうと考える。
しかしどのような理由であっても、被害にあわれた施設利用者の方々にとって、それは悲劇以外の何ものでもなく、決して許されるような行為ではない。被害にあわれた方は、本当にかわいそうだ。どうしたらこういう悲劇をなくすことができるだろうか。
ところで、被告は事件のあった特養を退職し、逮捕されるまでの3年間に、5つの介護施設等で働いていたという。
在職期間が1年あったグループホームの別の職員は、「休日出勤するほど真面目で、彼を気に入っていた入所者もいた」と語り、逮捕直前まで働いていた介護施設の管理者は、「仕事に穴をあけることもなく、他のスタッフが休んだときは協力してくれた」と語っている。
つまり管理者や他の職員の見える場所での被告の姿は、決して虐待行為を行うような職員像ではないわけである。となれば我々自身が、そのような被告の姿に目を曇らせ、利用者の見えない涙を見逃す立場に置かれないとも限らないという恐ろしさがある。
こうした状況を、どうしたらなくしていけるのだろう。一つには、履歴書の職歴をみて、短期間にいくつもの介護施設等を渡り歩いているような人については、対人援助に適応できない何らかの理由があるのではないかということを疑うことだろうか・・・。
被告に対して糾弾する言葉を浴びせることは、ある意味簡単であるが、同じ悲劇を繰り返さないためにどうするべきなのかということを考えていくことが、より重要なことではないだろうか。
死に至らしめられた被害者が3人にも及んでいることから、当然被告個人には厳罰が課せられるだろうし、そのことは当然ではあるが、同時に、適応障害と、死に至らしめるような暴力行為の関連性を、裁判の中でもっと明らかにしたうえで、そうした状況を生まないためにどうしたらよいのかという方策を、社会全体で考えるということが求められるのではないだろうか。
そんなことを考えていたら、今日も激しい憤りを感じざるを得ないニュースが飛び込んできた。東京都江戸川区の有料老人ホームで、宿直中の密室の中で、80代の女性の顔を殴り、けがをさせた介護福祉士の動機は、「職場の人間関係や仕事にストレスを感じて殴った」というもの・・・。どうして守るべき利用者に対し、暴力をふるうという形で、ストレスのはけ口を求めなければならないのか。
介護という仕事に使命感と誇りを持たない従業者が増えているように思えて、やるせない。人員不足のゆがみはこうしたところに、こうした形で広がっているというのだろうか。
そのような「心の闇」を払拭して、すべての介護職員が、利用者の心に咲く花になる介護は幻想なのだろうか。・・・しかし命ある限り、僕はそれを幻想にしてはならないということを、伝え続けようと思う。微力ではあるが、介護の誇りを伝え続けようと思う。
和歌山地域ソーシャルネットワーク雅(みやび)の皆さんが、素敵な動画を作ってくれました。ぜひご覧ください。
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認知症含めほとんどのお年寄りに好かれている私を妬み、下品な嘘の悪評を利用者に吹聴するようなことをしていました。私より歳上で職歴も長かったですから 人気の差に悔しかったのだと思いますが、ここには書けない内容もあり、乱雑な接遇も全職員に概ね黙認され、上司その他が相談できる人達ではなかったためにひとりで苦しみました。
介護は専門職ですが、向上心がなくても現場の仕事が務まることも事実で、人手不足の現状が拍車をかけて、悪行が行われる下地ができてしまっているように見えます。全ては施設の管理者とユニットの責任者で現場の"治安"が決まります。他の利用者の家族からの苦情処理も、私からの個人聴取によって(ある職員による)虐待や不適切な接遇事実があったことが判ると、狼狽しうやむやにしていましたので組織の隠蔽体質は怖いと感じました。このような施設は多いのではないでしょうか。
冒頭に書いた男性職員は介護福祉士有資格者で、ここの記事に度々登場する水分とオムツ外しに拘る講習会の先生を崇拝していました。事件の被告を擁護しませんが、悲しきかな"有資格"と"職業適正"が一致してないことは厳然たる事実でしょう。ある専門家が言うところの、「介護に必要なのは資格でなく"資質"だ」とは実に的を射ていると思います。
表に出てこない人間関係のストレスは量り知れないものがあることを施設の管理者にも広く知っていただきたいです。