対人援助の場で働く専門職は、専門職であるがゆえに、ごく当たり前に考えるべきことを見失ってしまうことがある。

健康管理や自立支援は大事な視点であるが、人間はそれだけを目的に生きているわけではない。人としての日常的な営みの中で、感じることができる喜びや楽しみにつながる行動が、ごく自然に健康や自立に結びつくという暮らしが、普通の暮らしではないだろうか。

食事はその最たるものではないかと思う。

何らかの疾病を抱えた人に、治療食が必要であるということは当然理解できる。慢性疾患の場合は、そうした治療食(療養食)を一生食べ続ける必要があることも理解できる。その場合でも、治療食だから、病気を悪化させない食事でありさえすればよいということではなく、人の嗜好にマッチさせる治療食という考え方も必要ではないかと思う。病気だから、まずい食事を一生食べ続けることも命を守るためには必要だということではなく、食の専門職がかかわるのだから、治療食であっても食の楽しみを失わないように工夫するという考え方が本来であろう。

日常の栄養管理であればなおさらである。

人は毎日、栄養摂取や健康維持のために食事を摂っているわけではない。食事とは人にとって一番の楽しみであって、食事をおいしく摂れることそのこと自体が喜びである。食事をおいしく摂れて、日常生活を楽しむことが、結果的に栄養状態の維持につながっているという人のほうが圧倒的に多いのである。

勿論、高齢になるにしたがって慢性疾病を抱える人は多くなるわけで、そういう人は、食事にも注意しなければならないということは当然理解できる。だからと言って食事=治療を前面に出し過ぎてしまっては、大切なことが失われてしまうのではないだろうか。

介護施設等における管理栄養士には、利用者が食の楽しみを失うことなく、様々な状態の人が、おいしく食事を摂取できるために必要な支援を行う食の専門家、という役割が一番に求められるのではないだろうか。

栄養状態の管理は重要である。それを軽視しろなんて言うつもりはない。しかしおいしくない食事を、我慢して摂り続けなければ生きられないという状態は、決して望まれる状態ではないという観点からも食事提供のあり方を考えてほしい。

18年の制度改正では、介護施設の栄養管理として、栄養ケアマネジメント加算が導入された。この加算を算定するためには、管理栄養士は栄養スクリーニング・アセスメント・モニタリングという一連の過程を経て、栄養ケア計画を作成しなければならない。

そしてその際には、一人一人の利用者について、低栄養状態のリスクの判断を行い、低リスク・中リスク・高リスクに分類して、それぞれのリスク状態に応じた支援が求められている。

それはそれで重要なことだ。しかしそのリスク管理に目を奪われるあまりに、低栄養リスクが低くさえあればよいという考え方に偏っている人はいないだろうか?

4/7に表の掲示板に立てられた、「栄養ケアマネジメントのリスク判定について」というスレッドは、特養の管理栄養士の方が質問しているスレッドである。

勘違いしてほしくないのは、この質問者が問題であるということではない。この方は単にリスク判定の基準がわからなかっただけで、食の楽しみを十分理解して栄養管理業務に従事している方かもしれない。

ただ僕は、このスレッドの中で、食事の経口摂取が可能な人ではあるが、経口摂取では誤嚥してしまうために、栄養補助食品等で栄養状態を保っており、中リスクであるから問題なしとして話が終わってしまうのであれば、栄養ケアマネジメントとしては不十分だと思った。食形態などを工夫して誤嚥しないで経口摂取できる方法を同時に考えていかないと、質問ケースの利用者ニーズは満たされないのではないかという懸念がぬぐえない。

なぜならこのスレッドを読んでわかるように、経口からの食事摂取ができない当該利用者の栄養状態は、「栄養補助食品やエンシュア」を摂取することで保たれているのだ。どうして栄養補助食品やエンシュアが経口摂取できて、食事の摂取ができないのか。ここの検討がされているのかどうなのか。

食事の楽しみという部分を考えると、ここにもう少しスポットを当てた栄養ケアマネジメントをしてほしいと思うのである。

栄養士という資格が誕生したのは1925年(大正14年)のことである。その後、第2次世界大戦のさなかには、軍需工場の給食や軍隊の食料を作り確保する目的で、栄養士の養成校整備がすすめられた。戦中・戦後の食糧難の時代には、十分な食糧を得られない人々が栄養失調で次々倒れ、その状況を改善するため、栄養士法という法律が制定された。

僕が訪ねたことのある、歴史が長いとある養護老人ホームは、墓地の目の前に建てられ、ホームの窓から墓地が見える。どうしてこんな場所に老人ホームが建っているのかと質問したところ、戦時中に食べるものがないとき、施設管理者や栄養士等の職員が、この墓地のお供えとして置かれていた食べ物を集めて、利用者に食事を提供していたことがあるというエピソードを紹介された。その墓地の存在で命をつなげたことを忘れずに感謝し続けるために、その場所から施設を移設させていないのだという。

こんなふうに、その時代の栄養士の役割は、いかに必要なカロリー摂取ができるか、そのためにどのような食事を提供するかということであった。

今の時代食糧難でエネルギー・カロリー摂取に必要な食材量の調達に、栄養士が先頭に立って走り回るという必要はなくなった。だからこそ、口に入り、栄養が保たれるということではなく、人の楽しみ、喜びとしての食事のあり方に、徹底的にこだわる「食の専門家」が、管理栄養士であってほしいのである。

和歌山地域ソーシャルネットワーク雅(みやび)の皆さんが、素敵な動画を作ってくれました。ぜひご覧ください。


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