介護施設の中で、我々は介護を提供することで報酬を得ている。つまり施設利用者は、お客様であり、従業員はお客様にサービスを提供する専門家=プロフェッショナルである。
よってそこで介護の専門家が、お客様に対して使うべき言葉とは、顧客サービスとしてふさわしいものでなければならないはずで、基本的にそれは丁寧語であるべきだというのが、僕の主張である。
さらにこの考え方を推し進めて、僕が提唱しているのが、「介護サービスの割れ窓理論」である。
「介護サービスの割れ窓理論」とは、顧客である施設利用者に対し丁寧語を使わず、砕けた言葉のほうが親しみを感じてもらえるとして、言葉を崩すことが小さなほころびとなり、顧客に対するサービス提供という意識が低下し、介護支援が施しであるかのような誤った意識に変容し、やがてそれが、「介護してやっている」的な意識に変わり、利用者に必要なケアを考える前に、サービス提供側の都合によってすべてが決まり、サービス提供側が上から目線で利用者に接するようになり、正常感覚を麻痺させて、世間の非常識が介護施設の常識であるかのような慣習を生み、不適切サービスや、虐待につながっていくと考え、言葉の乱れという、小さなほころびがみられた時点で、そのほころびを、ほころびのうちに繕う必要があるというのが、この理論に基づいた提言であり、警鐘である。
勿論介護とは、良好な人間関係で紡ぐ必要があるものだから、利用者に「感じが良い」と思われて、介護サービス提供者が、親しみやすいと思われることは重要である。
だからと言って、親しみを持ってもらうために言葉を崩すのでは、それはプロの技ではない。ボキャブラリーが世界一豊富な日本語は、丁寧語を使っても十分親しみやすさを表現できる言葉である。丁寧語=堅苦しい言葉、という考え方がどうかしているのだ。現に僕は、施設の中で利用者に接するときは、100%丁寧語で会話し例外はない。だからといって、「あの施設長は、堅苦しくて親しみが持てない」といわれることはない。丁寧語でも、おやじギャグは連発できる。
そもそも言葉を崩して伝わるものは、親しみやすさではなく、無礼な馴れ馴れしさだけだ。企業戦士であり、上下関係に厳しかった団塊の世代の人々が、そろそろ介護施設に入所してきているが、それらの方々は、年下のサービス従事者が、馴れ馴れしい言葉で接することに、心の中で舌打ちする人が多いだろう。
そういうリスクが多分に含まれた砕けた言葉を、状況に応じて使い分けることができ、誰にも不快感を与えない達人もいるのかもしれないが、僕は決してそうはなれない。そもそも達人にしかできないことは、一般論にできない。そんなものはエビデンスにも理論にもならないのだ。だから言葉を崩すことは、それ自体が駄目なことである。いるかいないかもわからない達人を気取って、言葉をわざと崩して使い分けていると思い込んでいる人の姿からは滑稽さと、醜さしか感じない。恥を知れといいたい。
達人でもないのに、達人の真似をしようとして、言葉を崩して、態度も崩す輩はさらに問題である。その醜い姿に気が付かないことの恥を知れといいたい。
とはいっても僕の施設でも、職員全員が100%丁寧語を使っているかといえば、なかなかそうはならない。注意を受けたときは気を付けて丁寧語を使ってはいても、いつの間にか友達に話しかけるような言葉に戻ってしまうような、「どうしようもない職員」も何人か存在している。しかし本人はその姿を「醜い」とも、「どうしようもない」とも思っていないのだから問題の根は深い。
新しく雇用する職員には、まず言葉遣いに注意することが最初に覚えることであると指導している。そして先輩で言葉遣いが悪い職員がいたとしても見習わず、そういう人については心の中でバカにしてもよいと言っている。そして正しい言葉遣いができている職員だけを見習いなさいと指導しているので、新しく採用された職員ほど、言葉遣いは良くなっている。
前述したように、昔からの癖が抜けず、何度言っても言葉が直らない職員がいるというのは事実である。だからと言って、言葉遣いが改まらないことだけを理由に解雇というわけにもいかないし、根気よく注意を続けて、そうした言葉が改められないことを、「恥ずかしい」と感じるようにしていかなければならない。これはこれからも根気よく続けていかねばならないだろう。しかしそんな当たり前で幼稚な指導に、いつまでエネルギーを使わねばならないのかとも思ったりしている。だが人によっては、何かのきっかけで昨日と今日が180度違ってくる、変わってくる職員がいるのも事実だ。
なかなか言葉遣いが改まらなかった職員で、異業種から転職した職員がいた。その職員は転職前にセールスマンをしていたのであるが、事情があってその会社を辞めた後、ヘルパー2級資格を取得したことがきっかけとなり、縁あって当施設の介護職員として就業することとなった。
一生懸命に介護の仕事は覚えていたが、しばしば言葉遣いに注意を受け、本人も気を付けているのであるが、しばらくするとまた友達に話しかけるような言葉で、利用者と会話している姿がみられ、あまり指導効果がみられなかった。
その職員に、職場の飲み会の席で、「君はセールスマンをしていた時に、お客さんに丁寧語ではない言葉で接していたのか」と聞いてみた。するとそうではないというし、顧客に対する言葉遣いの教育は受けてきたというので、どうしてそういう武器を介護の現場で生かそうとしないのかと疑問を呈した。介護職として現場経験も先輩より短く、先輩職員より介護技術も抜きん出たところがあるわけではないのであれば、そうした経験のある職員より抜きん出て評価されるとしたら、セールスマン時代に培った接客技術ではないのか、それを生かさないのはもったいないというような話をした。その場は酒席ではあったが、施設管理者の評価として真面目に話をした。
その結果・・・その職員の言葉遣いは、その日以降たしかに変わった。僕が耳にする限り、現在彼が利用者に対して、丁寧語以外で会話していることはない。聞く耳を持ち、自分を変えようとする気持ちがあり、丁寧語で会話をつづけ仕事を続けるスキルがあったということである。
そういう努力に対しては、施設は正統に評価を行う必要がある。結果彼は介護福祉士の試験合格と同時に、契約職員から正職員となり、待遇も大きく変わったはずである。
そのような結果を得ても、なお継続して正しい言葉で仕事をしている彼は、やがてこの施設のリーダー格に成長してくれるのではないかと期待を寄せている。
周囲の何かが変わるのを待っても未来は変わらない。自分が変われば未来は変わるのである。
和歌山地域ソーシャルネットワーク雅(みやび)の皆さんが、素敵な動画を作ってくれました。ぜひご覧ください。
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「丁寧な言葉」で対応している職員と、「ため語」で対応している職員の時は、
ご利用者の様子が、鏡のように反映されている様子。
不穏状態になったり、安定して笑顔になったり、・・・・
しかし、その反応に一番に気づいているのは職員かも?
私の対応は、いったい、どのような感じなのだろうか?
自分のことは、不思議と理解できていない時もある・・・