とある企業が、自社の商品が優れたものであるとし、その商品の普及こそが社会貢献であると信じ、利益を度外視ししながらも、その商品を社会に広く普及させるために、全国の支店に過酷なノルマを与え、支店長や幹部職員を本店に呼び出したり、全国各地に本店職員を派遣したりして、商品セールスのためのレクチャーという名の尻たたきを強力に行う。

そうした本店命令を受けた、支店長や幹部職員から指示命令される職員は、その指示や命令に絶対に服従せねばならず、不満を言おうものなら周囲から袋叩きにあい、会社を辞めねばならない。ノルマを達成しない場合も同様のことが起こるので、手段を選ばず商品を売るという目的を達成するためにあらゆるエネルギーをつぎ込み、顧客の都合や利益を一切顧みることをせずに、商品をあらゆる手段を講じて売っていく。

どういう手段であっても、そうして売上ノルマを達成した支店は、支店長や幹部職員が本店から呼ばれて表彰を受ける。表彰を受けた職員は、式場の壇の上で満面の笑みを浮かべて記念写真ということになるが、その裏側には、口八丁手八丁で口説き落とされ、なけなしの現金をはたいて必要のない商品を買わされた消費者が存在し、その中には認知症の進行で、正常な判断ができないまま、不必要な商品を大量に購入させられた高齢者が多数含まれている。

しかもこの企業は、老人ホームを経営しており、そこに入居している高齢者には、有無を言わせず、「必要である」として全員に商品を購入させている・・・。それが利用者にとっても結果的に生活の質の向上につながると信じて・・・。

ここまで書いたことはフィクションである。実際の話しではない。しかしこのよう方法で売上ノルマを達成した支店職員への表彰式とかぶる場面がある。

その場面は、上に書いたような状況とは、同じではないが、表彰をうけて満面の笑みを浮かべている人の背後に、泣き叫んでいる人々の姿と声がちらついているということに変わりがない。それは何か・・・。

「本人が水分を1.500ml飲めないと職員が朝礼等で上司から叱られる為、父にお茶ゼリーを毎食事、口の中に流し込まれ、父は泣きながらそれを飲み込んでいました。」

「座位がまともにとれない方であってもポータブルトイレへ極力誘導させられ、無理やり座らされて苦痛にゆがんだ表情は無視されます。」

「歩行訓練になるともっと悲惨で、片麻痺・拘縮のある方を3人、4人がかりで歩行器で引きずるのを歩行訓練と称しています。 しかもそれは家族には見せません。」


これらの声は、ある特養の入所者の家族と、そこに勤めている職員の声である。僕に直接メールや、ブログコメントや、フェイスブックメッセージで送られてきた声である。匿名で送信者がわからないものの含まれているが、身分を明らかにして実名で送られてくるメッセージや、もともとの知り合いから送られてくるものもある。

家族が入所していたり、自分が働いていたり、過去に働いていたというそれらの特養では、全国老施協の介護力向上講習会に参加して、そこで呼びかけられている食事以外に、1日1.500mlの水分を全員に摂取させ、おむつを使用せずトイレまたはポータブルトイレで排泄さえ、5秒のつかまり立ちができるならば、有無を言わせず強制的に歩行器を使って歩行訓練しているのである。そして結果的に、これらの施設は、全国老施協基準の「おむつゼロ」を達成したとして、表彰を受けている。

そういう施設に自分の親を入所させたいと思うだろうか。自らの心に正直になって考えて、そのサービスの状態のまま、自分がその施設に入所したいと思うのだろうか。

勿論、1.500ml以上の水分摂取をしなければならない人はいるだろう。おむつよりトイレで排泄できるに越したことはない。歩けるようになることはとても良いことだ。しかしそのことを一つの例外もなく実施し、その根拠も個別性に配慮のない一律の量や時間や基準というのであれば、これを「科学的」と表現するのは詐欺と同じである。

不感蒸泄が水分補給量に影響することを考えると、皮膚から奪われる水分量の影響が大きいのだから、この量には体格差が大きく影響してくることは明らかであり、身長140センチで体重35キロの人と、身長160センチで体重55キロの人との水分摂取量が違って当然である、ということに考えが及ばないほうがどうかしている。

ポータブルトイレという、極めて座りにくいツールに、座位アセスメントを行わずに座らせたら、座っているだけで苦しみもがく人が出てくるってことだって常識だ。ましてやつかまり立ちできるからと言って、複数の職員で引きずるように歩かせて何の自立支援だというのか?そこに存在するという「生活の質」って一体なんだ?

しかも昔から、「水あたり」という言葉が存在するように、脱水と同じように、水分の過剰摂取は身体にダメージを与えることは医学的に証明されているのだ。水分をとり過ぎると、心不全、肺水腫、高血圧などをおこし、心臓・肺・血管といった、生きていくうえで最も重要な臓器に大きな障害を与えるのは常識である。

そうであれば、一律例外のない1.500ml/日の水分摂取を全員に実施し、「おむつゼロ」を達成して表彰されている施設では、なぜそのようなことが問題となっていないのであろうか?

その理由は大きく分けると二つ考えられる。

ひとつは、講習会講師より現場の職員のほうが賢明で、実際には全員一律の水分量を摂取させず、臨機に量を調整して、介護力向上講習の「良いところ取り」をして、適正な範囲で水分補給と座位アセスメントを行い、おむつゼロを達成している施設があるということだ。それは最も賢明な方法だろう。こういう施設では上記に示したような声が出てくることはないだろう。

問題はもう一つの理由である。それは実際にはそうした施設で、水分摂取過剰により身体ダメージを受けて入院するようなケースが出ているのに、それを一律例外のない水分の大量摂取と結びつけて考えずに、単なる加齢に伴う病気として処理されているのではないかということである。

例えば実際に、「おむつゼロ」で表彰を受けた特養の職員の方が、こんな疑問の声を寄せてくださっている。

「心不全、腎不全で亡くなった方もかなりいますが、水分補給とは関係ないとされます。というか最初から水分補給量が多すぎるのではないかと言うことは検討されません。ただの病気として処理されるので、家族も年で仕方がないと思うだけです。もし水分が死に影響しているのではと考えると、自分もそれに加担しているのだという罪の意識が頭を離れません。この施設をやめても、その気持ちがなくなるわけではないし。」

これは真実かどうか確認のしようがない。しかし本当にこのようなことがあれば恐ろしいことだ。・・・だが・・・、個別のアセスメントのない状態で、食事以外で一律1.500ml/日(経管栄養の場合は、流動食と水分を合わせて、2.200ml/日だそうである。)もの大量の水分摂取を、毎日行っている施設の利用者に、高血圧の人や、心臓や腎臓疾患の利用者が一人もいないはずはなく、内臓ダメージを生ずる人や、水分の多量摂取による低ナトリウム血症をおこす人が、一人もいないということのほうが疑問視されるだろう。

だから寄せられたメッセージのようなことが、本当にあるのではないかという怖さを感じざるを得ないのである。

こんな声も寄せられている。
「先日のマサさんの講演の後、1リットルのペットボトルを意識して仕事中に飲んでみましたが、飲めませんでした。苦痛でした。 飲ませてる人って自分も飲んでみたらいいのに。」

だから・・・おむつ使用ゼロを達成し、嬉しそうに表彰されている皆さん。

あなた方の笑顔の向こうに、毎日苦痛に顔をゆがめて水を無理やり飲まされている人がいないかを、きちんとみつめて確認して下さい。

泣きながら水を飲まされ、苦しそうに便器に座らされ、引きずるように歩行器につかまらせて歩かせている人がいないか、施設の隅々まで見渡して下さい。

あなたたちの良心に基づいて真実を見つめて下さい。

和歌山地域ソーシャルネットワーク雅(みやび)の皆さんが、素敵な動画を作ってくれました。ぜひご覧ください。


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