先週の金曜日の記事に書いたように、認知症の91歳男性が電車にはねられ死亡した 事故をめぐり、名古屋高裁が男性の妻の監督責任を認定し、359万円の損害賠償を 命じたが、この件に関連して、一部の関係者から、「このような損害賠償が認定されるとすれば、認知症の人の居宅サービス計画を立てている介護支援専門員にも、今後居宅サービス計画の不備を理由に、賠償責任が問われる可能性があるのではないか?」という声が聞こえてくる。

僕は法律の専門家ではないので、そのことに100%正しい答えを出せるわけではないが、常識的に考えるとその考え方は間違っていると思う。この判決の影響により、今後居宅サービス計画が不備だから、死亡事故が引き起こされ、計画を立案した介護支援専門員にも損害賠償責任が生ずるというようなことになるとは考えられない。

本ケースも、死亡した要介護4の認知症の男性は、死亡当日デイサービスに通っており、帰宅後に自宅から外に出て事故にあったものである。本人がプランを立案できる状況ではないので、この方のプランも居宅介護支援事業所のケアマネジャーによって立てられていたはずである。

だが本ケースは最初から、家族への損害賠償の請求は行われているものの、居宅サービス計画について問題になっているわけではない。特に1審判決では、「家族が訪問介護を依頼していなかった。」ことに言及して、「安全対策が不十分」としているが、担当介護支援専門員の責任は問われていないのである。それは損害賠償責任とは、監督責任であり、介護支援専門員には監督責任はないからである。

このことは交通事故の例を考えれば分かりやすい。交通事故に遭った場合、被害者は、その交通事故の加害者に対して民事責任の追求として損害賠償を請求できるが、加害者本人が保険に加入しておらず、賠償金の支払い能力がまったくない場合に、加害者の家族に賠償金を請求できるかといえば、これは基本的に不可能である。家族であるという理由だけで法的責任はないからである。

ただし加害者が責任無能力者であり、その家族が責任無能力者の監督義務者である場合には、監督義務者としての損害賠償責任を負う場合がある。
(※運行供用者責任に基づき損害賠償責任負う場合もあるが、そのことは本ケースとは関係がないので、ここでは触れない。)

名古屋高裁の判決も、妻の監督義務者としての損害賠償責任を認めたもので、今後このことがきっかけになって、ケアプラン立案者の責任も問われてくるのではないかという考え方は成立しない。それとこれはまったく別問題なのだ。ケアマネジャーという立場は法的責任を問われる立場でないため、今後とも居宅サービス計画の内容に責任があるとして賠償を求められることはないだろう。

ところで本件の状況をもう一度振り返ってみたい。

鉄道事故が起きた場合、乗客の振り替え輸送費や人件費、設備修理費などを遺族側に請求するのが通例という。このためJR東海は遺族に損害賠償を請求したが、話し合いがつかず訴訟に発展したものである。

一審の名古屋地裁は「徘徊を防止する措置を怠った」などと家族側の責任を全面的に認め、JR東海が請求した720万円の全額を賠償額と認めた。これを不服とした控訴審で遺族側は「24時間一瞬の隙もなく、認知症高齢者に付き添うのは不可能」と主張し、JR側は「男性には資産もあり、ヘルパーを頼むなど防止措置はとれたはず」と過失を指摘していた。
 
2審判決では、妻の監督者としての法的責任を認めたものの、長男の監督責任は「なし」とした。そしてJRの安全管理態勢については、「安全性に欠ける点があったとは認められない」としたうえで、「社会的弱者も安全に鉄道を利用できるようにするのが責務だ」と言及。フェンスに施錠したり、駅員が乗客を注意深く監視したりしていれば事故を防ぐことができたとして、「賠償金額は一審の5割が相当」と過失相殺して、実質JR側にも事故の損害金の一部を負担させるという判決である。

ここで問題にすべきは、これによって家族以外の居宅サービス担当者に責任が生じてくる可能性があるのではないかということではなく、その前に、家族の監督責任といっても、要介護認定を受けている85歳の妻が、実質24時間認知症の夫を見守らなければならないとされたことが妥当な判断なのかということである。

徘徊による行方不明者が全国で年間9千人にのぼり、05年から8年間で100人以上の認知症患者が鉄道事故によって命を落としているという。そうであれば、これはもう個人レベルの問題ではなく、社会問題である。

そして今、国が推進している地域包括ケアシステムとは、認知症になっても地域で暮らし続けられるシステムを、地域が一体となって創り上げるというものである。

そうであれば24時間家族が監視していないことの法的責任を問われるような状態は、時代に逆行したあまりに過酷な義務を、家族に負わすことであると言えないだろうか。

そして介護支援専門員が考えるべきことは、自らにその責任が及ぶのではないかということではなく、社会福祉援助者として、こうした問題を個人の責任を問うことで終わらせてよいのだろうかという面から、何らかのソーシャルアクションを起こして行くことではないのだろうか。

認知症の人が安心して地域で暮らし続けるためには何が求めらるのかということを、地域の中で、皆で考える機械を作っていくことではないのだろうか。

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