昨日釧路地裁で、父親に頼まれて殺害したとして嘱託殺人罪に問われた57歳の男性に検察側が懲役3年を求刑した。
論告で検察側は、「被害者の介護に嫌気がさし、不満やいら立ちを募らせたうえでの犯行」、「長時間にわたり絞めつけ、執拗で強固な殺意があった」と述べ、弁護側は、「父親の介護を一人で担い、精神的なストレスや介護疲れがピークとなり、突発的に起こった事件」とし、執行猶予つきの判決を求め即日結審。判決は明後日出される。(判決は明後日書き込みます。)
※(3/28追記)釧路地裁で行われた27日の判決公判で、被告に懲役3年、保護観察付きの執行猶予5年が言い渡された。判決理由で裁判長は、「一人で被害者を介助し、かなりの介護疲れがある中の突発的な犯行。強固な殺意で殺害したことは非難されるが、経緯に酌むべきところがある。」とし、保護観察とした理由については、「親族が被告の生活を支援するとはいえ、更生の側面支援が必要」と述べた。
事件は1月21日北海道中標津町で起こった。殺害された父親(83歳)は、認知症となり2009年には要介護認定を受け、町内のデイサービスに週2回通っていた。夜に徘徊することもあり、当初は容疑者が夫婦で世話をしていたが、容疑者の妻が2年前に死亡。その後容疑者が仕事を辞め、1人で介護をしていたものである。容疑者は「父親から『これ以上迷惑かけるわけにはいかない。殺してほしい』と言われた」とも供述している。
事件の性格は少し異なっているが、今月16日には、埼玉県川越市に住む認知症の女性(75歳)が、介護のため母親宅を訪れていた長男(47歳)に頭や手を数回殴られて死亡する事件が起きている。暴行を加えたあと容疑者は自分で救急車を呼んだという。殴った理由について、なかなか寝ついてくれない母親に腹を立てたとし、「酒を飲みに行きたかったが、早く寝てくれなかった」と供述している。亡くなった母親は一人暮らしで認知症だったため、容疑者と妹が交代で介護をしていたとのことである。
どちらの事件も亡くなられた方にはお気の毒と言うしかないし、ご冥福を祈ることしかできないが、こうした事件には、自らの命が身内によって奪われたという悲劇と共に、自らの命を奪うことによって、自分の一番愛する子供が容疑者となり、被告となって裁きを受けなければならないという悲劇もそこには存在するのだと思う。
65歳以上の高齢者の7人にひとりが認知症となっている現在社会において、こうした事件は増えることがあっても減ることはないのかもしれない。そしてそれは自分とはまったく無縁の問題とも言い難くなってくるかもしれない。
自分に置き換えても、他人ではなくいちばん身近な存在である親であるからこそ、カッとしてしまうということもあるのかもしれないと思ったりする。(残念ながら僕自身は両親を既に亡くしているのだが。)
介護サービスを利用していたとしても、夜は常に自分が面倒を見なければならないという生活が毎日、いつ果てるともなく続くとなると、他人がうかがい知ることができないストレスも生ずるだろう。その時、確実に自分の感情をコントロールできるとは限らないわけである。それによって人の命を奪うということは、いかなる理由があっても許される行為ではないが、そうした結果になってしまう原因を社会全体で考えていかねければならないと思う。
ツイッターでは
「他人事でない、身につまされる、明日は我が身…。その先に行くにはどうすればいいんだろうか。」
「他人事じゃない。私も妹と二人で介護するが、認知症で寝たきりの母親は殺せ殺せと言い続けるし。」
「詳しい事情はわからないけど、他人事とは思えません。私も気をつけなければ。」
こうした声が挙がっている。しかしこれが10年前だったらどうだろう?このような声より、親を殺したという行為への批判だけが前面に出てきて、こうした声はあまり表だって挙がってこなかったのではないだろうか。認知症の問題はもっと他人ごとだったのではないだろうか?
しかし今現在、認知症の人をめぐる問題はもっと身近な問題として考えられるようになっているということではないのだろうか。それだけ認知症の人が増えていて、認知症の人をケアする人も増えていて、自分の暮らし中に認知症の人の存在というものを切り離して考えられない人が増えているということだろう。
そうであるがゆえに、社会全体で認知症の人を護り、認知症の人を介護する人を護る意識がもっと高められなければならないと思う。地域包括ケアシステムとは、まさにその実現を図る地域社会を作るためのシステムにしていかねばならない。
同時に、一人暮らしができる軽度の認知症の人が、犯罪者の搾取対象になっているということに対する監視も必要だ。
例えばこんな事件もある。
先月、自分が介護士として働いていた施設で知り合った86歳の認知症男性の自宅に、空き巣に入り逮捕された27歳の女性介護士は、その後の取り調べで、おととし11月、認知症女性の自宅から通帳を盗み、郵便局から現金60万円をだまし取った詐欺の疑いが濃厚になった。
警察によれば、容疑者はコンビニ店などでだましやすそうな高齢者を物色。コンビニでわざと足を踏ませて女性に近づいた。その後、この高齢者女性(85)が認知症であると分かると、通帳と印鑑の保管場所を聞き出して鍵を盗み、郵便局から現金を盗み出した。この被害女性の口座からは12回にわたりおよそ470万円が引き出され形跡があり、警察は余罪があるとみて調べているそうである。
コンビニで買い物はできる軽度の認知症の人を物色するなんてことは、介護士ならではの知識を悪用したものとも言えなくもない。とんでもない介護士がいたものである。
こうした認知症の人を狙った事件も今後増えていくだろう。しかも厄介なことは、認知症の人はコンビニで買い物ができても、被害を訴えられない可能性が高いということだ。財産を奪われたことに気がつかない可能性もある。それが認知症の人を狙った犯罪の特徴でもある。振り込め詐欺にしても同じことが言えるだろう。
こうした認知症の人々をどう護っていくのかが大きな問題である。それにはまず、すべての人々が認知症という症状がどのようなものかを理解し、誰しもが認知症になり得るという視点から様々な問題を考えていくことが必要だろう。
認知症の人々が地域で暮らし続けられる社会を作るということは、周囲の人々が認知症の人を護る社会を作ることであり、それは認知症の人や、認知症をケアする家族のための社会ではなく、自らが地域社会で暮らし続けられるためのものであるという理解が必要とされるのだろう。
認知症の人を騙して搾取することなんて恥ずかしくてできないという社会性も育んでいく必要があるだろう。それには何より、人間が人間を愛するという、当たり前のことができる社会を作ることである。
介護サービスに競争原理を取り入れて、誰かが誰かを蹴落とすことが求められていることだと勘違いするのであれば、そこからは人を護る、人を愛するという意識は生まれないということも、考えていかねばならないだろう。
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