今月10日、甲府市内の医療機関で全身に重いやけどを負った87歳の女性が亡くなられた。

その女性は昨年12月、入居していた山梨県南アルプス市田島の医療法人が運営する「グループホーム甲西」で、熱湯がはられていた浴槽に入れられ大やけどを負った方である。

女性が火傷を負ったのは昨年12月16日午後2時頃。グループホーム職員が介助器具を使って女性を浴槽に入れたところ女性が「熱い」と訴えたという。介助に当たっていた職員が浴槽のお湯の温度が異常に高いことに気づき、女性を引き上げ、甲府市内の病院に搬送したが、その時には既に体の広範囲にわたってやけどを負っていたという。

同施設を運営する医療法人千歳会は新聞社の取材に対し、「誤って熱い風呂に入れる事故をおこしてしまった。誠に申し訳ない」と謝罪したとのこと。つまりこの事件は虐待ではなく、職員のミスによる介護事故だったということである。

しかしこれは恐ろしいことだ。

自分が風呂に入る時に、浴槽にお湯がはられていたとして、シャワーでかけ湯をして全身を洗った後であったとしても、お湯の温度を確かめもせず、いきなり浴槽に入るということがあるだろうか?普通の人であれば、湯を手で触れて温度を確かめるはずだ。これは「湯の温度を手で確かめる」という教育さえ必要のないほど、行われて当然の行為ではないのだろうか。

例えば、キャリア段位制度の評価の中でも、入浴支援の際にお湯の温度を確かめるというチェック項目など存在していない。機器を用いた入浴支援の評価項目は、「簡易リフト等、入浴機器を用いて入浴した場合、利用者の身体の位置を確認し、手が挟まれる等の事故に注意して、安全に入浴できたか。」とされているだけだ。それだけお湯の温度を確認して入浴支援を行うというのは、評価項目にもならないほどの当たり前の行為なのである。

それができていないということはどうしてだろう?入浴支援という介護業務を、他の事を考えながら上の空になった状態で機械的に動作介助を行ってしまった結果なのか、他に何か原因があるのか?原因を徹底的に究明しないと遺族も納得できないだろう。

それにしても熱湯風呂に入れられ、大やけどを負って、4ケ月もの入院生活の後に亡くなられたこの女性は本当に可哀想だ。この4ケ月はきっと痛みに苦しみ抜いたことだろう。

しかし死に至らしめるほどの大やけどを負うということは、この女性は熱湯風呂にどのくらいの時間浸かっていたのだろう?新聞記事では、『介助器具を使って女性を浴槽に入れたところ女性が「熱い」と訴えたという。介助に当たっていた職員が浴槽のお湯の温度が異常に高いことに気づき、女性を引き上げ〜』とされているが、この行間からは「熱い」と訴えた瞬間に異常に気がついて、すぐに女性を浴槽から引き揚げたかどうかは伝わって来ない。

そもそも熱いと訴えた女性の声に反応して、すぐに引き上げたのであれば、これほどの大やけどを負うものだろうか?

しかもこのケースは、介護機器を使っての入浴だから、それはお湯の中に体が徐々に沈み込んでいく状態を生みだすのではないかと考えられる。そうであれば、熱湯が肌に触れて、「熱い」と訴える女性の声を当初は聞き流していたのではないかという疑いが生ずる。熱いという訴えですぐに浴槽から引き出したのなら、全身が熱湯に浸されることはなかったと思えるからだ。

認知症の人だから、正しい訴えではないとして、お湯が熱いという訴えも無視されたようなことはないのか?このあたりは十分な検証が必要だと思う。

認知症の人は、訴えを信用してもらえないという状況が生まれやすい。しかし、「嫌だ」「痛い」「苦しい」ということは、認知症の人であっても正しく訴えることができるのである。そもそも「認知症の人」とみる前に、「人」として見る目を失っては、対人援助などできなくなる。認知症の人は正しい訴えができないという変な思い込みを持ってはならないのである。

過去にも60度の熱湯シャワーを浴びせられ死亡した人がいる。(参照:ある裁判の判決から考えたこと

人の暮らしを護るはずの介護サービスの場で、このような悲惨な事件・事故が繰り返されてはならないと思う。

今朝の朝礼では、本件を取り上げ、当たり前のことを当たり前にできないことの恐ろしさについて話したが、本当の意味で人の命の尊さを考え、人としての尊厳を守る人が、対人援助サービスに携わる者でなければならないとつくづく思う。

亡くなられた方のご冥福をお祈りしながら、我々の責任というものを今一度考えている。

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