一昨日から昨日にかけて、「全国老施協のスローガンに対する疑問」を述べてきた。
しかしこのことは全国老施協という組織の目指す方向性への批判ではなく、その方法論に対する疑問にしか過ぎない。
地域包括ケアシステムの構築が叫ばれる中で、特養をはじめとした介護施設がその一翼を担うのであれば、老施協が主張するように、地域に貢献する活動を強化するとともに、認知症ケアや看取り介護の実践を積み上げて、高品質サービスを創り上げ、高機能施設として社会全体から評価されるような特養を作っていかなければならないというのは、その通りである。むしろ特養のケアを、地域に還元することで、特養は地域包括ケアシステムの中心的役割を担っていけるという主張もその通りである。
全国老施協という組織が、事務局や委員会を中心にそのために懸命に努力している姿勢には頭が下がる。日々の活動自体を否定しているわけではない。
しかしその方法論として、人権を無視したかのような、個別のアセスメントのない一律の水分摂取の強要があり、スローガンにこだわり過ぎるあまり、的外れな「胃婁ゼロ」を掲げる姿勢などがある現状をみると、過去の経緯にこだわらず、未来に向けた内部からの改革が必要ではないかという提言に過ぎない。
提言と言っても、北海道の一施設の施設長に過ぎない者の声だから、無視してほおっておいても何ということはないのだろうが、実際にはその疑問に真摯に意見を述べてくれる事務局や委員会の方が居られる。それはとてもありがたいことであり、感謝の思いしかない。そうであるがゆえに、この問題を論ずることは建設的議論であると言ってよいだろう。
介護力向上講習会も、その存在自体が否定されるものではなく、そこで水分摂取が大事であることには変わりないけれど、我々より身長が低くて、不感蒸拙の少ない現在の特養入所高齢者については、個別のアセスメントを行って、1日に失われる水分量を計算して、その分をきちんと補給して下さいとし、1日に排出する水分量を導き出す方法を教えるだけで解決する問題ではないかと思う。
それは介護の専門家なら教えられなくても理解していて当然ではないかと言われるが、高名な先生が、全国老施協が主催する講習会で「必ず全利用者に1日1.500mlの水分を摂取させなさい」と指導するのだから、水分摂取量は1.500ml以上が絶対必要だと盲信してしまう施設長等が出てきてしまい、トップダウンでその実施を命じられた現場の看護・介護職員の意見は疑問を感じながら、そのことを機械的に行っているという現状もあるのだ。
そもそもカントリーミーティングin鹿児島の資料には、老施協からの提言として、水分摂取1日1500mlを目指すと記され、認知症の人には2200mlを目指そうという記述さえある。これで個別のアセスメントを否定しているわけではないと言われても首を傾げるし、医療知識もなく介護も知らない施設長が勘違いしてしまうのも、あながち個人の知識レベルの低さだけに起因する問題ではないと思う。
次の画像は、たまたま昨日定期見直しを行った当施設利用者の施設サービス計画書2の一部である。
このような計画が必要な人が実際には数多くいる。利尿剤を服用しているから脱水に注意が必要であることに間違いはないが、利尿剤を服用しなければならないほど体内に余分な水分が存在するんだというアセスメントを同時にしていかないと、水分過剰摂取は重篤な健康被害に繋がりかねない。よって科学的根拠にはまったく基づいていない1日1.500ml以上の水分摂取を、「施設の方針」で実施ししてしまうことの罪は深いと言わざるを得ない。
ただ少しほっとするのは、鹿児島で行われたカントリーミーティングの会場で、ある施設の職員さんから、「講習会では、はいはいと言っていますが、実際には水分は個別に考えてます。」と言われたりした。講習受講施設の中でも、1.500mlという数字を無視して、いいところどりをしている賢い施設もあるとうことがわかった。そういう施設ばかりだと問題はないのであるが、実際にはそうではない。
例えば僕の過去のブログ記事には次のような声が寄せられている。
・実はその理論に洗脳?!され同法人内の特養施設で『1500cc死守!食事よりも水分!』『オムツは外す。5分前にトイレに行ってもタラタラと出てしまう人でも、尿意、便意がない人でもパッドはつけない!』と施設ケアマネと介護主任がやらせています。
結果!心不全で、不整脈者、全身浮腫者続室で病院送りです。
・転職し就職した当施設でも(おそらく10ヶ所以上ある法人内の全ての事業所でもやってるでしょう)1日1500cc水分摂取と恥ずかしげもなくユニットのリビングに掲示してます。当然一度にたくさん水分をとれない高齢者ですから起きている時間は休むことなくなんらかの水分を飲まされ続けています。しかも三食全てに汁が付きます。
当然これだけの水分摂取をさせられるわけですから食事がとれなくなります。そしてマズいソフト食やミキサー食に変更になり、ますます食事がとれなくなり弱っていきます。まさに拷問、虐待です。数百人いる職員はこれが正しいと信じています。
・私は札幌の某特養勤務ですが施設長が竹内先生が絶対で嫌なら辞めていいと言われ介護員が次々去っている悲しい現状です。
職員はその施設をやめて去る事ができるが、利用者はそうはいかないのだから、この状況は「間違っているなら、いつかそういう方法論はなくなるだろう」と傍観ばかりしておれない問題なのである。
胃婁ゼロというスローガンも、主張したいことは別にあるのかもしれないが、「5つのゼロ」まずありきのスローガンが前面に押し出された時、その文字面からは胃婁を完全否定する医療知識のなさしか伝わらない。
そうしたところを少しだけ軌道修正すべきではないかというのが僕の主張であり、別に大上段から組織批判の拳を振り上げているわけではないのである。
事実、当法人は全国老施協の会員であるわけだし、そこから抜けようとも思っていないし、今後も組織運営に協力しながら、全国老施協という組織活動に期待している事に変わりはないのである。
スローガンの実現や、方法論にこだわるのではなく、利用者の暮らしが良くなるという結果を目指す事が、我々の本来の使命であるという事を忘れてはいけないというだけの話である。
介護・福祉情報掲示板(表板)
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★とうとう勤務先の全体朝礼に例の「水分1500ml」の話がやってきた。
前日にそれらしき組織の会合にて○○長が参加され、○○Drの講演会もあり、「看取りは今後充実させるように!と、水分1500ccは確実にとるようなケアをするように!」と発言されました。「きたぁ〜!」と思いました。
この場で意見を述べるべきか?コッソリ、後で助言すべきか?悩みましたが、全体朝礼は一部職員のみ参加の為、議事録は全ユニットへ配布されます。
職員や得に新人職員が、間違ったケアをしないように勇気をもって、○○長のプライドも配慮しながら、・・・・「その件に関しましては、心臓病の方もいらっしゃり、協力医の○○Drと詳細にご利用者個別で詳細な水分量を厳密に決定していない方もいらっしゃいますので、・・・・来週の往診時に再検討して対応したいと思います。」
柔らかく発言したつもりですが、「シ〜ン」と沈黙の時間が流れた。「えっ?」と思った。
★偶然とは思うが、別に○○長から呼ばれ、来月の給与が○○○円下がるとのこと。
先日の監査時に資格手当が高いと指摘されたとのこと。
今朝の朝礼での発言が原因ですか?と尋ねるもどうやら違うらしい、嫌われた訳ではないらしい・・・直属の上司は、「聞いていないので・・・」と、私が逆上しないように?「何それ?」と、・・・「監査」って、給与にも入り込んでくるものなんですね。「クソォ〜!」
「採用時に最初から言ってよね!」って感じです。「監査」って何のため、誰の為のもの?
★大牟田研修、受け付けて頂きました。お世話になります。