在宅ひとり死が望まれる死のあり方であるがごとく、それを推奨する発言を繰り返している上野千鶴子立命館大学特別招聘教授は、本当にずれた感覚の人だと思う。
(参照:どこで死ねか、どう死ぬか

彼女の価値観の押しつけによって、本当は望んでいない状態の死を受け入れざるを得ない人が増えることは怖い事だと思う。彼女の価値観と、世間の一般の価値観が同じだと考えたらいけないし、そもそも「孤独を感じない」というのは主観の問題で、他人が「孤独じゃない」って決めつけるのもどうかしている。

上野さんに言いたい。貴方の思いは勝手であるが、その価値観を他人に押し付けたり、死に行く当事者ではなく、その周囲の支援者の洗脳をするようなことはやめていただきたい。あなたが考えるほど、実際に死に臨んでいる人々の思いは単純ではないのである。

その証拠が、2/12〜2/25にかけてインターネットでアンケートを募集した結果に現われている。調査結果をグラフにして示してみよう。

在宅ひとり死調査
このアンケートに回答している人とは、僕の管理サイト掲示板や、このブログでアンケートの存在を知った人であり、それは介護サービス関係者が多いという意味である。それらの人々は、終末期支援に関係深い人々であろうし、実際にサービス提供をしている利用者の死と何度も直面している人であろうと思えるが、そういう人々でさえも、自分がひとりで息を引き取る場面を「孤独ではない」、「それでも良い」と受け入れている人は少ないのである。むしろひとりで息を引き取ることに不安感を持ち、誰かに傍らにいてほしいと考える人が過半数を占めているのである。

回答者総数643人中、「ひとりで旅立ちたい」と「どちらでもよい」を合わせた数は、2割にも達していない。これらの人以外は、「終末期に周囲の支援があれば、息を止める瞬間に人がいなくとも孤独ではない」と思わない可能性が高い。「その時にならないとわからない」と人が17.11%(110人)もいるという意味は、現時点で選択できない不安を持っているとう意味かもしれない。

アンケートにコメントを寄せてくれた人達の意見を以下に示したい。

・自分が大切と思い、大切な存在として関わった人、動物がいればその存在がそばにいてくれたらとても安らかに旅立てるのかもしれない。しかしだからこそ黙って後ろを振り返ることなくひっそりと旅立ちたいという気持ちもある。まだ人生経験が未熟なのでこの程度しかわからない。

・1人で旅立つという覚悟は徐々に出来ると思うが、死んだあとできるだけ早く見つけて欲しい。

・現在の自分(30代)が病気等で死ぬのであれば、親しい人にそばにいて欲しいです。ただ80代〜90代になり伴侶や子供等も亡くなっているような状況であれば変わる気がします。(誰でもいいからそばにと思うか、一人でと思うかはわかりませんが・・・)

・回答としては「どちらでもよい」なのですが。「独りの最期」に至るまでの「独りの生活」が満足できるものであれば「いい人生だったな」と思えるし、そうでなければ「さびしい最期だったな」と思うことになるだろう。それは、「周囲の人々の支援」が「量的に」充足しているか否かは関係ない。

・残る人が不快な思いをせずにいられたらどちらでもです。

・きちんと別れができたら一人でもかまわない

・家族でなくても良い。施設職員等少しでも自分を知る人

・配偶者が存命中ならば、配偶者とは信頼関係にあれば良い。サヨナラを言えていれば、その時立ち会う必要は必ずしもない。子供は居ないので、兄弟親戚は立ち会ってもらわなくて良い。

・本当は誰かにいて欲しいが、看取る人に辛い思いをさせたくないので、ワガママ言わずに一人で死んだほうがいいような気がする

・自分を必要とし愛してくれる人

・かわるかもしれないが今の思いは一人でだが

・誰でもよくはないですが、そばに居てほしい

上野さんも、自らの価値観に偏り過ぎた観念論に終始するのではなく、こうした数字や意見に答えられるようなデータや根拠を持つべきだろうに・・・。

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