社会福祉援助技術の分類上、個別援助技術(ケースワーク)は直接援助技術とされ、ケアマネジメントは関連援助技術とされている。(※間接援助技術と分類する場合もある。)

どちらにしても、それは社会福祉援助技術の一つであり、介護支援専門員という資格を持ったものしか使えない技術ではない。ケアマネジメント自体は業務独占の手法ではないのである。よって社会福祉援助に関わる全ての人が、その技術を知り、その技術を使って対人援助に関わるのは当然であると言ってよい。

特に介護施設の相談員は、介護支援専門員の資格を持っていなくとも、ケアマネジメントの手法はきちんと勉強して、日常の援助のなかでその手法を使って課題解決に取り組む必要がある。

施設サービス計画の作成に関連するアセスメントは、法令上、介護支援専門員が利用者に面接して行わねばならないことになっているとは言っても、日常の生活援助の方向性を考える上でのマネジメントは、介護支援専門員の資格を持たない相談員であるからといって、その技術を使うことを禁じられているわけではないし、むしろその技術をつかって支援することが課題解決に有効である場合が多い。

つまり施設におけるケアマネジメントとは、施設サービス計画を作成する手法に限定されるものではなく、利用者の暮らしを支援する時に用いる手法であるという理解が必要なのである。だから直接的に施設サービス計画書を作成しないケアマネ資格を持っていない相談員も、その手法を日常的に用いるスキルを持っていないとならないことになる。

逆に言えば、介護支援専門員なら当然、ケアマネジメント技術を使いこなす事ができなければならないが、それはソーシャルワークの1技術として使いこなすものであり、その他の社会福祉援助技術の手法を持っていないケアマネなど、単なるケアプランナーに過ぎなくなるという意味でもある。

よって介護支援専門員の資格を取得したからと言って、その合格基準は、あの限られた範囲の試験問題を解く知識を得たというだけに過ぎず、ソーシャルワーカーとして社会福祉援助技術を使いこなす事ができるとは限らないのであり、直接援助技術、間接援助技術、関連援助技術をしっかり勉強して理解しなければならない。

そもそも対人援助の基本は、対象者の生活上の困難を捉え、介入し、調整し、問題解決の援助をすることであり、生活上の困難(生活課題)の解決のためには、人間だけに問題があるのではなく、人と環境が交互に影響を与え合う生活モデルの視点からアプローチしなければならないはずである。

そこには治療よりも援助、援助者中心より利用者中心という視点が必要になる。

よってケアマネジメントとは、本来それだけが独立して展開されるというものではなく、援助過程において、様々な社会資源と援助対象者を結びつける時の調整技術として展開されるものだ。

我が国の介護保険制度においては、居宅サービス計画や、施設サービス計画の作成実務を、介護支援専門員という有資格者に担わせているとは言っても、それだけがケアマネジメントだと思われては困るのである。

むしろ居宅サービス計画や、施設サービス計画の作成実務とは、ケアマネジメントの展開過程の一例に過ぎないものであるという理解が求められる。

同時に、介護支援専門員とは、単に介護保険制度の中で位置づけられた有資格者というだけではなく、社会福祉援助技術の中のケアマネジメント技術のスペシャリストとして、その分野においては、他の社会福祉援助専門職に対して、スーパーバイザーとなり得る知識と技術を持ったものとして存在するべきである。それだけの責任とスキルを持ってほしい。だから介護支援専門員という資格を得ることより、得た後の勉強の方が大事なのである。

そこで介護支援専門員が創り上げるチームとは、介護支援専門員がスーパーバイザーの立場に立つと言っても、それは他の職種の上に君臨する権力者ではなく、お互いの専門性をいかんなく発揮できるように、その専門性を認め、各自の役割を有機的に繋げる調整役としての役割を持つものである。ここでは、異なる専門性をもつ複数の者が、援助対象である問題状況 について検討し、よりよい援助の在り方について話し合うプロセスであるところの、コンサルテーションという視点が必要になる。

その中では、介護支援専門員の資格を持たない相談援助業務に携わっている職員の専門性をも認め、その人の守備範囲の中ででき得るケアマネジメントの視点を明らかにし、その部分を担うように指導する役割も持つのである。このような多職種協働のチームワークを作る中心にケアマネジャーが存在するのである。

そして、多職種協働のチームワークとは、なあなあの関係で表面上の仲良しチームを作ることではなく、お互いの専門性を認め合いながら、互いにプロとしての意見を云いあうことが大事になる。

時には自らに批判の言葉が向けられることも恐れてはならない。感情的ではないプロとしての批判が自らを助けてくれることもあるのだという理解が必要だ。

魂
云う、という行為、云いあう、という行為がなくなる場所には鬼が生まれる。魂は、云うという文字がついて初めて心になる。云うがなくなれば、魂は鬼に変わるのだ。そのことを忘れてはならない。上の画像は、講演の中でそんなことを主張しているところである。

自らの魂を鬼にしないためにも、専門職同志として云い合うチームを創ろうではないか。

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