介護施設や介護サービス事業所の相談援助職とは、ソーシャルワーカーとして、自己覚知に努める責任があるとともに、他の職員に自己覚知とは何かということを教え、自己覚知を促すうように指導する役割を持つべきである。

この役割は、相談援助職だけではなく、施設や事業所の管理者及び管理職も担うべき役割である。

自己覚知とは、自分が今どのような行動をとり、どのように感じているかを客観的に意識することである。人は他者を見るときに自分の道徳的標準や感情で判断してしまうことが多いが、そもそも価値観は多様で、自分の価値観がすべてではないという考え方が求められる。そうであるがゆえに自分がどのような感情や意見を持ちやすいか自覚することが対人援助には不可欠なのである。

それは専門職としての立場に個人的価値観が影響するのは好ましくないという意味であり、偏見や偏った判断を生まないように、自分の感情を否定するのではなく、素直に正確に認識すること が求められるという意味である。つまり自己覚知とは自分をあるがままに受け入れることにほかならない。決してそれは自己否定ではないのである。

介護事業のトップはじめ管理職やソーシャルワーカーは、すべての職員が意識して自己覚知に努めるように教育しなければならない。そうしなければそこでのサービスの質は一定化せず、働く職員の個人的価値感や、その場での感情の揺れによって変動してしまう。そうなれば介護サービスを利用する人々は、サービス提供者の顔色を伺いながら、恐る恐るサービス利用しなければならないなどということになりかねない。

そんなことが実際に起こっているのである。例えば今年8月に明らかになった、大分県別府市の小規模多機能型居宅介護における虐待事例がある。

問題が明らかになるきっかけになったのは「高齢者に対する態度や物言いに問題のある職員がいる」という通報であった。

そこでは女性介護士(65)が、入浴介助中の70代の女性利用者を全裸のままトイレに行かせたりするなどの虐待行為を繰り返していた。 その介護士は、「座る場所が違う」などと脇を持ち上げて激痛を与える身体的虐待 を行ったり、行動の遅い利用者には「一番偉いのは私だ」「早くしろ」などと言葉による心理的虐待を繰り返していた。

介護士は市の調査に「言葉が荒いのは性格的なものだが、優しく接するべきだった」と述べたと報道されていたが、そうであればその介護士自身は、人が「荒い」と感じる言葉を発する性格であるという自覚はあるわけである。その性格自体は、その人間が65年間生きてきた中で備え持ったパーソナリティであろうから、それを教育で180度変えるということは不可能である。しかしそのまま職業の中で、荒い性格をむき出しにした荒い言葉で接して良いということにはならず、この職場の管理職などの責任のある立場の人間は、その介護士に対し、「性格が影響して言葉が荒くなる」という自己覚知を促し、その性格による荒い言葉や、荒い行動になりやすいことも自己覚知するように促し、そうであるがゆえに誰よりも言葉に注意をすることを命じなければならない。

それができないならば、介護職としての適性がないとして、介護サービスの現場から退場させるべきである。

この問題が発覚した際に、この事業所の事務長は「言葉がきつく何度か指導していたが、管理不足だった。再発防止に取り組みたい」と報道機関のインタビューで答えているが、何を温いこと言ってるんだと言いたい。言葉がきついということに気がついていたのなら、そのことが不適切だと指導してもなおかつ、その言葉を直さないという業務命令を無視する態度をとっていたのであれば懲戒対象だろう。しかるにこの事業所では、この問題が明らかになったあとでさえ、この介護士を懲戒もせず、給与規定にない手当を支給して厚遇するという対応をとっていた。(後に批判を受け懲戒解雇)

この事業所は、社会福祉法人が経営しているが、この法人自体に、人材教育を行い、適切なサービス提供を行うとい意識が存在しなかったといわれても仕方がないだろう。

色々な性格の人の集まりが人間社会であり、介護の職業に向いている特定の性格というものがあるということはないだろう。自分の性格を変えなければ介護の職業についてはならないということではないが、しかしどの職業でも自分の性格を、その場所にむきだしにしたまま仕事ができるとういうものではないはずである。そこでは性格を乗り越えた、プロとしての態度が求められる。介護サービスの現場であれば、対人援助にかかわる際の能力として適切なコミュニケーション技術を獲得する努力が必要とされる。

そうであるがゆえに、自分の性格も含めて、どのような感情を持ちやすいのかという自己覚知に日々務めるのが、介護サービスのプロの責任なのである。

同時に、介護サービスという職業に従事するからといって、天使になる必要はなく、普通の人で良いが、普通の人とはどのような人かという理解が求められる。

人の心の痛みを感じられない人、人の哀しみを理解できない人は普通の人とは言えないのである。普通のこと以上を求める必要はないが、人の不幸を何とも感じない人は介護の現場には不向きであり、自己覚知を促してもなお、そのことに努めようとせず、自分の感情の赴くままに、人を人とも思わない態度で、そこで向かい合う人々の心を傷つける人間は必要とされていないし、そう言う人は介護を職業としてはならないのである。

対人援助技術として、介護サービスに携わるすべての人が、日々自己覚知に努める必要があることを忘れてはならないし、管理職やソーシャルワーカーは、自分が自己覚知に務めるだけではなく、他の職員に対しても、それを促す役割を持つという理解が求められる。

(今日の付録)
クリスマスメニュー
※緑風園では昨日、ユニット合同クリスマスパーティーを行い、今日はお昼にクリスマス昼食会を行っている。キャンドルサービスのあとに、スパークリングワインやビール、ジュース等で乾杯したあと、クリスマス用の特別メニューについて、管理栄養士から紹介。画像はそこで出されているメニューである。おすすめは、調理員が心を込めて作った、洋風炊き込みご飯。以前は、オードブルを1テーブルことに盛り付けていたが、自分で手を伸ばせない方や、遠慮する方もいて、結局取り分けることが必要になるため、数年前から一人分ずつ分けてお出しすることにしている。午後からは職員によるクリスマス演芸会を、利用者の方々に楽しんでいただく予定である。
介護・福祉情報掲示板(表板)

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