間違えてはいけないことがある。特養で暮らしているすべての人が、自分のことを自分で決められないわけではないのである。

僕らが相対している人々は、立派な大人であり、認知症等で判断能力を失っていない限り、自らのことは自らで決める権利を持っている。我々の職務とは、そういう人たちの権利が正しく行使されることを支援することである。

そうであれば、利用者自身が自分で決められることは自分で決めてもらうべきであり、その時の利用者判断は何より尊重されるべきである。その判断の中には、「これは自分の問題だから、子供であっても言わないで秘密にしておいて欲しい」、「そんなことまで子に知らせて心配かけたくないから黙っておいてほしい」という要求があっても良いはずである。そうした要求や要望が受け入れられず、当然の権利としての利用者の自己決定権が守られないことのほうが問題である。

当たり前に考えれば分かることであるが、特養で暮らしているすべての人が、自分の子や、子の配偶者に頼らなければ暮らせない人々ではないのである。しかしこの当然のことが理解できていない人がいる。

実際に、いくつかの特養では、この利用者の当然の権利が守られていない。利用契約時に身元引受人を求めているのだから、身元引受人の判断が利用者判断より優先されると勘違いしている特養関係者が存在する。

そもそも特養の入所要件に、身元引受人がいなければならないという法令は存在せず、身元引受人がないことをもって入所契約を結べないということではない。利用者自身に判断能力と契約能力があれば、利用者と施設の間で入所契約を交わすことができるのである。施設が身元引受人を求める意味は、あくまで利用料金の支払いが滞った場合の補償や、退所の際の身柄引き受け、残置物引き取り等に関する責任を求めたものに過ぎず、身元引受をしていることを持って、身元引受人が利用者の代理行為をできるということにはならない。

介護保険制度創設時に、特養の契約書はいくつかの団体が「雛形」を作ったが、それはほとんど第3者契約の形をとっており、利用者のみならず、家族もそこに署名捺印する形のものが多かった。それをそのまま使っている特養が多いため、あたかも施設契約は利用者以外の家族の同意署名が必要だと勘違いしている人もいるが、施設サービスの契約自体は、判断能力さえあれば利用者と施設の2者間のもので良い。ここに残置物引取りの契約内容が入っているから、家族という第3者が入っているだけである。

つまり契約書において、第3者同意を求めていることで、利用者自身と利用者の家族のどちらからも同意をもらっているからといって、そのことで利用者の家族が代理権を持つということにはならないのである。

そうであるにもかかわらず、利用者にしか決められないこと、あるいは利用者が十分判断できることを勝手に家族に代理させているのは法律違反になるおそれさえある。少なくともそのような状態は、利用者の権利侵害であると言って良いだろう。

施設の相談員や介護支援専門員は、そのことに最も敏感である必要があると思うのだが、実際には全くそうしたことへの配慮がないソーシャルワーカーが存在する。それは対人援助の専門加藤言えないスキルで、相談援助業務に就いている状態といってほかならない。

利用者自身の意思や判断が最も重要で、守られなければならないということをしっかり胸に刻んでおくべきである。そして判断能力が低下した利用者に対して、我々が果たさなければならない責任というのは、利用者の代弁者になるというアドボケイトの視点を持つということであるが、その時、代弁すべきものとは、利用者の過去の生活歴や、現在置かれた状況等から、利用者の視点にたって、何を求めているのかということであり、決して家族の意思を代弁するものではないということである。

自らの意思を表明できる利用者の権利を守るだけではなく、判断応力が衰えて、意思表明も難しきなった時の利用者の権利をも守るのが私たちの仕事なのだから、その責任を果たすためにも、自分のことを自分で決めてもらうことの大切さを、日頃からもっと考えていかなければならない。

権利擁護とは、何も成年後見制度だけに求められている視点ではないのである。
介護・福祉情報掲示板(表板)

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