先日当施設の介護支援専門員から、『利用者の家族より、「誰が面会しているか記録表を見せて欲しい」という要望があったのですが、どうしたら良いでしょう?』と相談を受けた。
当然のことながら、「それでは記録表を見せてあげてください」ということにはならないし、そんなことを言うような施設長が存在していては困るわけである。
誰が面会に来ているのかを記録するのは、あくまで施設サービスにおける管理上必要としているだけであって、その情報を施設職員以外で、面会者以外の第3者に開示することはできない。それは記録表を記載した人の個人情報を漏らすことになる。ここは議論の余地のない問題である。
利用者の家族が、利用者に対して誰が面会に来たのかを知りたい場合は、面会を受けた利用者から直接聞き取っていただくしか方法はない。利用者自身が、誰が面会に来たのかを、面会に来た人以外に告げることは、ただの日常会話であり、家族間の会話にまで業務上の守秘義務と同じ責任は生じないのである。このときに、利用者が誰が面会に来たかを、覚えていられない場合であっても、施設側からそのことを教える権利も義務もない。
その時に、「それでは私以外の面会を受け付けないでください。」と言われたらどうするのか?これも想定しておかねばならない状況であるが、当然のことながら、そのような要望も受け付けるわけにはいかない。面会するかどうかは、あくまで利用者自身が決めるべき問題であり、家族の要求による面会拒否は、利用者の面会する権利の侵害になるからだ。利用者自身の自発的かつ積極的な面会拒否の意思表示がない限り、面会ができる時間帯の来訪者には、原則的に面会を断ることは困難であろう。
似たようなケースで、「誰々が面会に来てもあわせないでください。」という要望も、前述したことと同じように考えざるを得ない。誰かが「○○はそこに入所していますか」という問い合わせがある場合は、「誰が入所しているかはご本人の了解がない限り教えられません。」という対応になると思うが、「○○さんに会いに来ました。」ということを拒む権利も根拠も存在せず、この場合は、「お会いできるかどうか○○さんに確認してきますので、お待ちください」という対応くらいしかできず、この際に「会わない」という利用者自身の意思がない限り、面会を拒むことはできないであろう。
考えなければならないことは、我々はあくまで、施設で暮らす利用者に対して、サービス提供しているだけであって、その中で家族の全ての要望に応える必要は必ずしもないし、そのことは不可能であり、本来の施設サービス業務以外のことは、「できない」とか、「不可能である」とはっきりアナウンスすべきなのである。面会可能な時間帯に、誰が誰を訪ねてきたかを記録して把握しておくことは、施設の管理業務であろうが、面会することができる人を選別したり、面会中にどのような会話を交わしたかを把握することは、施設サービスの範疇を超えたものである。よって特定個人の面会制限を依頼されても、それは施設の本来業務ではないということである。
ただし我々は、対人援助の専門家として、様々な家族関係をはじめとした人間関係の調整という能力も求められるのであるから、できないということのアナウンスの仕方を工夫することは重要である。アナウンスを行う相手に不快感を与えない範囲で、かつ毅然と物事をわかりやすく説明するという姿勢が求められるだろう。
こうしたケースの場合に僕は、「なんだったら僕の方から説明してもいいよ」と担当者に振るようにしている。最終的にはその説明責任は施設長にあると思うからだ。だが本ケースは、できないことを理解したソーシャルワーカーから、家族に丁寧に説明して納得していただけたので、僕にお鉢は回ってこなかった。
我々は利用者支援の過程で、積極的に家族関係に介入することがある。例えば、長いあいだ音信不通であった子との、家族関係の修復が必要と判断した場合には、様々なアプローチでその関係修復に努めることはよくあることだ。その結果、長く関係が途絶していた子が、わだかまりが完全に消えたわけではないが、何十年ぶりかで施設で面会を果たし、その時には既に親は意思疎通できない状態であっても、その状態を確認したことによって、「死ぬ前に逢って良かった」と手紙をくれるケースもあった。その他にも様々な家族関係への介入や調整を行うことは過去にも数多くあった。
しかしそれはあくまで利用者の暮らしを援助する過程で、利用者のケアとして必要な介入と調整であり、家族の関係調整をすべて施設サービスと勘違いすることがあってはならない。特に利用者とは直接関係しない家族の問題は、施設サービスとは全く関係のないものだ。利用者の家族であるから、その家族の間で起こっている様々な問題にも、施設は支援の手を差し伸べるべきであるという考え方は間違っている。基本原則は、家族の問題は家族で解決してもらうということでしかない。
施設で暮らす利用者の、すべての背景を施設サービスという中で背負うことはできないし、してはならないこともたくさんあるのだ。
この部分の判断は、それこそ個別性が高い問題であり、最終的にそれを的確に判断する責任は、施設長という施設サービスの最高責任者が負わねばならないものであろう。
※講演依頼のメールをくださった皆様の中で、返信がないのだけれど見てくれましたかという問い合わせが数件続きました。
休日明けや、昨日のように僕自身の都合で休みをもらっている次の日にメールチェックをする際に、大量のスパムメールを削除する際に、誤って依頼メールを削除してしまうことがあります。本当に申し訳ありません。
講演依頼のメールには、お受けできるか否かにかかわらず、必ず返信をしていますので、数日返信がない場合は、誤って受信後に捨ててしまっている可能性が高いので、メールを再送していただきますようお願い申し上げます。
なおタイトルは、講演依頼とわかるように日本語で具体的に書いていただくとありがたいです。
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当然のことながら、「それでは記録表を見せてあげてください」ということにはならないし、そんなことを言うような施設長が存在していては困るわけである。
誰が面会に来ているのかを記録するのは、あくまで施設サービスにおける管理上必要としているだけであって、その情報を施設職員以外で、面会者以外の第3者に開示することはできない。それは記録表を記載した人の個人情報を漏らすことになる。ここは議論の余地のない問題である。
利用者の家族が、利用者に対して誰が面会に来たのかを知りたい場合は、面会を受けた利用者から直接聞き取っていただくしか方法はない。利用者自身が、誰が面会に来たのかを、面会に来た人以外に告げることは、ただの日常会話であり、家族間の会話にまで業務上の守秘義務と同じ責任は生じないのである。このときに、利用者が誰が面会に来たかを、覚えていられない場合であっても、施設側からそのことを教える権利も義務もない。
その時に、「それでは私以外の面会を受け付けないでください。」と言われたらどうするのか?これも想定しておかねばならない状況であるが、当然のことながら、そのような要望も受け付けるわけにはいかない。面会するかどうかは、あくまで利用者自身が決めるべき問題であり、家族の要求による面会拒否は、利用者の面会する権利の侵害になるからだ。利用者自身の自発的かつ積極的な面会拒否の意思表示がない限り、面会ができる時間帯の来訪者には、原則的に面会を断ることは困難であろう。
似たようなケースで、「誰々が面会に来てもあわせないでください。」という要望も、前述したことと同じように考えざるを得ない。誰かが「○○はそこに入所していますか」という問い合わせがある場合は、「誰が入所しているかはご本人の了解がない限り教えられません。」という対応になると思うが、「○○さんに会いに来ました。」ということを拒む権利も根拠も存在せず、この場合は、「お会いできるかどうか○○さんに確認してきますので、お待ちください」という対応くらいしかできず、この際に「会わない」という利用者自身の意思がない限り、面会を拒むことはできないであろう。
考えなければならないことは、我々はあくまで、施設で暮らす利用者に対して、サービス提供しているだけであって、その中で家族の全ての要望に応える必要は必ずしもないし、そのことは不可能であり、本来の施設サービス業務以外のことは、「できない」とか、「不可能である」とはっきりアナウンスすべきなのである。面会可能な時間帯に、誰が誰を訪ねてきたかを記録して把握しておくことは、施設の管理業務であろうが、面会することができる人を選別したり、面会中にどのような会話を交わしたかを把握することは、施設サービスの範疇を超えたものである。よって特定個人の面会制限を依頼されても、それは施設の本来業務ではないということである。
ただし我々は、対人援助の専門家として、様々な家族関係をはじめとした人間関係の調整という能力も求められるのであるから、できないということのアナウンスの仕方を工夫することは重要である。アナウンスを行う相手に不快感を与えない範囲で、かつ毅然と物事をわかりやすく説明するという姿勢が求められるだろう。
こうしたケースの場合に僕は、「なんだったら僕の方から説明してもいいよ」と担当者に振るようにしている。最終的にはその説明責任は施設長にあると思うからだ。だが本ケースは、できないことを理解したソーシャルワーカーから、家族に丁寧に説明して納得していただけたので、僕にお鉢は回ってこなかった。
我々は利用者支援の過程で、積極的に家族関係に介入することがある。例えば、長いあいだ音信不通であった子との、家族関係の修復が必要と判断した場合には、様々なアプローチでその関係修復に努めることはよくあることだ。その結果、長く関係が途絶していた子が、わだかまりが完全に消えたわけではないが、何十年ぶりかで施設で面会を果たし、その時には既に親は意思疎通できない状態であっても、その状態を確認したことによって、「死ぬ前に逢って良かった」と手紙をくれるケースもあった。その他にも様々な家族関係への介入や調整を行うことは過去にも数多くあった。
しかしそれはあくまで利用者の暮らしを援助する過程で、利用者のケアとして必要な介入と調整であり、家族の関係調整をすべて施設サービスと勘違いすることがあってはならない。特に利用者とは直接関係しない家族の問題は、施設サービスとは全く関係のないものだ。利用者の家族であるから、その家族の間で起こっている様々な問題にも、施設は支援の手を差し伸べるべきであるという考え方は間違っている。基本原則は、家族の問題は家族で解決してもらうということでしかない。
施設で暮らす利用者の、すべての背景を施設サービスという中で背負うことはできないし、してはならないこともたくさんあるのだ。
この部分の判断は、それこそ個別性が高い問題であり、最終的にそれを的確に判断する責任は、施設長という施設サービスの最高責任者が負わねばならないものであろう。
※講演依頼のメールをくださった皆様の中で、返信がないのだけれど見てくれましたかという問い合わせが数件続きました。
休日明けや、昨日のように僕自身の都合で休みをもらっている次の日にメールチェックをする際に、大量のスパムメールを削除する際に、誤って依頼メールを削除してしまうことがあります。本当に申し訳ありません。
講演依頼のメールには、お受けできるか否かにかかわらず、必ず返信をしていますので、数日返信がない場合は、誤って受信後に捨ててしまっている可能性が高いので、メールを再送していただきますようお願い申し上げます。
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