あの東日本大震災からちょうど2年半が経った。

毎月、月命日として祈りを捧げる人は、今日もいつもの11日と同じく、祈りを胸に手を合わせているのだろう。それらの方々にとって、あの3.11からもう2年半なのか、まだ2年半なのか、それぞれの胸に去来する思いは異なっているだろう。そうした人々に我々がどんな言葉をかけたらよいのか・・・。頑張ってという言葉を簡単にかけられるような状況ではないだろう。そんな言葉が虚しくなるほど、そこにいるだけで頑張らねばならない人たちが、まだたくさんいるはずだ。

ひとつ言えることは、我々には忘れてならないことがあるということだ。それは我々はあの大きな震災被害でたくさんの貴重な命が失われた国の住民として、今もこの国に暮らし続け、生かされているということである。同じ国の住民として、我々は傍観者にはなってはならないということだ。

福島の原発問題は、汚染水の処理問題として連日のように新聞等の報道で取り上げられているが、福島と同じように、ほかの被災地でも、まだ震災の被害から立ち直っていない状況がたくさん見られるはずだ。心に負った深い傷が癒えていない人もたくさんおられるはずだ。

今月10日時点での東日本大震災による合計死者数は、1万5.883人、行方不明者は2.654人。今年3月31日時点での震災関連死者数の合計は、2.688人である。

この数字の意味するところは、2万人を超える多くの方々が命を失った大災害が起こったという意味にとどまらない。

この数字は、誰かの一番大切な人、誰かの一番愛する人が2万人以上亡くなったという意味であり、大事な人を失って悲しみの淵に沈んだ人が2万人以上いるかもしれないという意味である。20.000ケースを超える様々な哀しみが渦巻いていて、今もそれは終わっていないかもしれないという意味である。一つ一つの悲しみ、ひとりひとりの慟哭は、震災という言葉だけで語り尽くせるものではないだろう。

3.11は、遠い過去に起こった震災被害ではなく、今も続いているものとして、我々には考え続けなければならないことがあるはずだ。被災地や被災者の方々に対して支援をすることもまだ必要なはずだ。出来ること、しなければならないことは、まだたくさんあるし、ずっと続けていかなければならないことがあるはずだ。風化という言葉を使うのは早すぎる。そんな時期ではない。いまだに29万人もの人々が避難生活を送っていて、復興など全然なされていないのだから・・・。

そして対人援助サービスに従事する者として、我々は考えなければならないことがある。

今、我々が勤めている介護施設の利用者は、あの太平洋戦争という大変な時期を、物心ついた以後に経験してきた人々だ。たくさんの愛を戦時中に失い、その記憶をしっかり留めた人々が、人生の裁晩年期を過ごしている場所で、我々はそれらの人々に関わっている。それらの人々はその辛い時代を生き延びて、長生きしてよかったと思えるのか、こんなに辛い思いをするならいっそのことあの時に死んでおけばよかったと思うのか、人々の人生の幸福度を決定してしまうかもしれないという責任が我々にはある。

しかしあと20年すれば、そうした戦争体験者はいなくなるかもしれない。そしてそのあとに我々が職業としている対人援助・介護サービスの場で、支援の手を必要とする人たちとは、阪神大震災や東日本大震災で家族や家や財産を失いながらも、なんとか生き延びて、被災地で復興に力を尽くした人なのかもしれない。我々の職業とは、高齢者の最晩年期に関わるがゆえに、常に誰かの重たい人生そのものを一緒に見つめていかなければならないという使命を持つものだ。

それを負担と思うのか、誇りと感じるのかは、そこで何をしたいと思うのかによって左右されるものだろうと思う。

3.11は金曜日の14時46分18秒に発生した地震から始まっている。その時間、被災地では、我々と同じように、普通に介護サービスに従事していた仲間が一瞬のうちに瓦礫の下敷きとなり命を失っていった。その後に発生した津波によって、介護サービスを天職と心得て頑張っていたたくさんの仲間が命を落とした。

我々は、それらの人々ができなくなったことを代わりに実現する義務がある。この仕事についているなら、、志半ばで命を失っていった人々が目指していたものを代わりに実現する義務があるのではないのか。それは被災者の方が、家族や家や財産を全て失った方が、将来我々のサービスを受けるようになった時に、生きていて良かったと思えるサービスを提供することでしか実現できないものだろう。そういう誇りを胸に、誰から見られても恥ずかしくない介護サービスを創ろうとしなければならないはずだ。そのことを胸にして、日々生かされている自分ができることを続けていきたい。日々自分が出来る方法で伝えていきたい。

実際に被災地で被害を受け、身内や知人を失った人々の哀しみと、その心模様と、我々は全く同じにはなれないだろうが、それらの人々が受けた心の中の深い傷に想いを寄せ、それを癒すために何ができるかということを今いる場所で考え続けることは僕にもできるだろう。

今日という日は、そのことにあらためて思いを寄せる日だと思う。

介護・福祉情報掲示板(表板)

人を語らずして介護を語るな THE FINAL 誰かの赤い花になるために」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

「人を語らずして介護を語るな2〜傍らにいることが許される者」のネットからの購入は
楽天ブックスはこちら
↑それぞれクリックして購入サイトに飛んでください。