北海道の夏は短い。その分長く厳しい冬があるため、小中学校や高校は冬休み期間を長くとっており、そのかわりに夏休みは1月に満たない期間である。そのため今週から2学期の授業が始まっている学校が多い。

僕が非常勤講師として通う介護福祉士養成専門学校も、今週初めから2学期の授業が始まっている。僕の2年生の授業も今日から再開される。

僕が担当しているのは「認知症の理解」であるが、2年生の授業はこのように夏休みを挟んだり、実習を挟んだりして、4月〜9月までに合計15日×2コマ、計30コマの授業となるため、細切れで、授業と授業の期間が長く空くことになり、前の授業時間に教えたことを確実に覚えているかということと、次の授業に前の授業で与えた知識をうまくつなげることが出来るかという問題がある。

2年生の授業は、1年生で教えた基礎知識をベースに、個々の状況に応じた対応方法を具体的に考えるために、ブレーンストーミングという方法のグループワークを行っているが、長い休みを経て行う最初の授業で、彼らが忘れてしまっていることがないかを確かめながら、教えたことを彼らの本当の知識にしていくことが講師に求められていることだと思う。きちんと丁寧に彼ら一人ひとりの理解度を検証しながら授業を進めていきたい。

それにしても1年半前、何の知識もなく、考え方も幼い状態で入学してきた学生が、あと7ケ月もすれば、社会人として、我々の業界の仲間として巣立っていくことになる。すべての卒業生が、本当にそれにふさわしい人材に成長していくように、僕ら講師陣も心を新たに残りの期間の授業に魂を込めて頑張っていかねばならないだろう。

思い起こせば、彼らの最初の授業の時に、僕は教室の壁に掲げられていた彼らの目標に目を止めて感心した覚えがある。いろいろな思いや決意が書かれた目標の中に、「100年後に讃えられる介護福祉士になりたい」という言葉があったと記憶している。とても素晴らしい目標だと思う。100年後に讃えられるという意味は、彼ら自身が新しい何かをつくり、それを次代に伝えてさらに上を目指していくという意味だと思うからだ。それは我々が今作り出しているもの以上のものを、彼らの手で創り出していこうという意欲溢れた言葉であると思うからだ。

どうかそのことを実現する人材になって欲しい。

その時、我々先輩となる職員は、彼らの意欲を潰さないようにしなければならない。確かに彼らの援助技術はまだまだ拙いし、考え方も幼いかもしれない。だからといってそのことを理由に、彼らの理想まで潰さないで欲しい。「理想と現実は違う」なんていう言葉で、若者たちのやる気を殺がないで欲しい。

拙い援助技術や浅い知識、幼い考え方であっても、それを向上させていくのが先輩職員の務めである。理想を失わないように技術や知識を向上させていくのが先輩の役割であり使命である。それが介護サービス全体の質の向上につながる唯一無二の道ではないだろうか。そうした道を閉ざすような指導で出来上がる介護サービスによって心を殺される人は、そういう指導を行う人自身であるかもしれないということを考えて欲しい。

彼らの抱く理想を潰そうとする人々は、理想を実現できるかもしれない若い人たちのスキルに嫉妬する人ではなかろうか。

OJTとは本来、職場の上司や先輩が部下や後輩に対し具体的な仕事を通じて仕事に必要な知識・技術・技能・態度などを意図的・計画的・継続的に指導し、修得させることによって全体的なスキルを育成するすべての活動である。ところが、教えるべき介護技術が言語化されておらず、見て覚えるという職人技に頼っている実態が見られ、単に先輩職員について仕事を覚えるだけの行為をOJTとしているから、理念を達成するためのスキルを向上させることができないのではないだろうか。そこでは理念を語り、理想を高く掲げる人を嫉妬する人間がいなくならないのではないだろうか。

「これはやらないことになっている。」「以前からずっとこうすることになっている。」というのは仕事の方法論の根拠にはならない。なぜそうなのかという根拠を、人の暮らしに深く関わり、誰かの人生の最晩年気に深く関わり、誰かの人生の幸福度に影響してしまうかもしれないという」責任を強く意識しなければならない職業であると立場から、説明できるスキルを持つことが、介護技術を伝える者の責任ではないのだろうか。

彼らは2年間の学習の中でいろいろな学びを得るとともに、実習という場でいろいろな思いを持ち帰ってくる。そこでは介護サービスに従事する人の、感覚が麻痺して、世間の常識を失っているのではないかということを気付いて帰ってくる学生も多い。そしてその学生の感覚は、ほとんど正しい。

そうした感性を持って卒業していく学生が、未だに介護サービスの場を劇的に変えられず、そうした感性を失い、感覚を麻痺させて業務を行っているという実態も一方ではある。それが「現実」であるとしたら、これほどお寒い現実はない。これほど哀しい職業はない。

介護サービスとは本来、そこに従事する人々が、だれかの心の支えとなり、誰かの心を癒すことができる尊い職業である。誇りを持って、胸を張って従事できる職業である。そうした素晴らしい職業に理想を持てず、自らのスキルの低さによって出来上がっている状態を、「現実」などと表現して欲しくない。それはあなたの現実かもしれないが、すべての介護サービスの現実ではないのである。

輝こうとする人々が、本当に輝いて仕事ができる介護サービスを作ることによってはじめて、私もあなたも、あなたの親や子や、あなたの愛するすべての人が、安心して介護サービスを受けることができることを忘れないで欲しい。

綺麗事ではなく、私自信や、私の愛する人々のために、そういう介護の現実を作っていくべきである。

そのために・・・。どうぞ卒業した学生たちが就業する現場の皆さんが、彼らを輝かせてください。光の見える場所を教えてやって下さい。彼らが輝くために・・・。
かいご

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