社会福祉援助は、人の暮らしに密接に関わって、その人の暮らしをよくするために、様々な社会資源と利用者を結びつける役割を持っている。その時に必要な調整能力とは、言葉と文章を酷使して発揮できる能力ではないだろうか。
心は言葉を超えないと言われるが、僕らの仕事は心を言葉にして利用者や、その周囲の人々に心をそのまま伝える役割と責任を持っていると思う。ものを書いて、文章で伝えるということは、そのために必要な能力だと思っている。
介護支援専門員や計画担当者ならなおさらだ。ケアプランって、単にサービスを羅列するだけではなく、なぜそのサービスを使う必要があるかを説明できる文章になっていなければならないはずだ。そこでは介護支援専門員や計画担当者の思いも伝える必要があるはずだ。思いを伝えて、それを利用者が受け取ることができた時に、始めて心がつながり信頼関係が生まれるのではないだろうか。
だから福祉援助の専門家であるなら、心を伝える言葉を見つけて、それを文章にする努力をする人であってほしいと思う。
僕が何気ない日常を文章にしてブログで発信することは、僕自身の書く能力を鍛錬することにつながっているのかもしれないと思ったりする。そんなことを考えながら苦しんでブログ記事を書いているわけではないが、結果的に僕の文章力は、このブログをたくさんの方が見てくれることを意識しつつ、書き続けることで鍛えられているのかもしれない。
僕はどちらかといえば、「筆が早い」と言われる。昼休みに更新しているこのブログ記事も、概ね20分以内で書いているし、4.000字程度の原稿用紙を30分以内に書く事などなんとも思わないから、遅筆ではないのだろう。
しかしこうしたものには好不調が必ずあるから、筆が進まないときもある。僕の場合、そうした状況で頑張って、時間をかけて何かを書いても、ささっと時間をかけずに書いた文章より、良い文章になっていることはほとんどない。だから筆が進まないときは、書く事をやめてしまう方が正解である。
思い起こせば、文章を書くということは随分小さな頃から得意としていたように思う。小学校低学年の頃から、作文は嫌いではなかったし、作文で賞をもらった経験はたくさんある。少なくとも文章を書くことに対して、苦痛であるという感覚を持ったことはない。
その理由は、もともと本を読むことが好きだったからだろう。随分小さな頃から、父親が出張した際のお土産には、お菓子より、本を望んでいたようである。小学校低学年の時は、江戸川乱歩の「少年探偵団」のハードカバーの文庫本シリーズを全巻揃えて読むのが楽しみだった覚えがある。
物書きは、読者からしか生まれない。良い書き手は、すべからく良い読み手から生まれるというのが僕の持論である。
小説を書いたこともある。高校1年生の春に、当時入学したばかりの高校を舞台に、「名寄高校殺人事件」という短編小説を書いたことがあるが、友達のあいだでは結構受けが良かった。その後、近未来の地球を舞台にしたSF小説、「アンダーグランド」という短編も書いた。これは地球に地底都市という、もうひとつの居住場所が出来たことによる、地上居住者と地底居住者の争いをテーマにしたものである。
しかし小説を書く事をその後しなくなったのは、どうやら物語を構成企画する能力は、僕にはないと気づき、物語を作って書く事に興味を失ってしまったからである。文章を書くといっても、それにも幾種類もの方向性の違いがあるのだろうと思った。
そもそもこのブログの文章も、何を書くか決めて書き始めるわけではなく、書き始めて浮かんできた言葉を文章にしているだけだから、僕が予想もしていなかった内容になるから、読んでいる人も面白く感じてくれるものになっているのだろう。そういう文章は書けるが、トリックをあらかじめ考えて推理小説を書いたり、物語をあらかじめ構成して、結末を作り上げて、そこに向けて筆を進ませるということには向いていないようである。できるとしたらノンフィクションを書く事だろうか・・・。
そんな中で、僕が書く事の方向性として興味を持ち続けたのが、「詩」である。言葉を自在に使い分け、短い文章の中で、様々なことを表現する詩は、僕にとってとても興味深いものであった。
同時に僕は、フォークソング世代であるから、ギターを弾いて歌う仲間とグループを作るというのは、ごく当たり前のことだった。その中でオリジナル曲を作ることも、ごく日常的に行われていた。ギター演奏技術があまり上手でない僕にとって、僕の演奏技術で作ることができる曲には限界があったが、誰かが作った曲にふさわしい詞を作るのは得意だった。いつしか僕の書く方向は、詩から詞へと移っていった。その当時作った詞は、「masaのフォーク道」の中で紹介しているので、ご笑覧いただきたい。
書く事は、このように僕の日常に存在していたが、それを職業にするつもりはなかった。さほど文才があって、書く事だけで飯が食えるとは思っていなかったからである。ただ一時期、新聞記者のような職業に就きたいと思ったことはあり、某大学の文学部新聞学科(当時存在していた学科)というところを本気で目指そうとしたことはあるが、諸々の事情でそれは断念した。
結果的には、同じ文学部であるが、社会福祉学科を専攻し、今の職業に結びついているわけである。そして「書くことが嫌いではない」という僕の嗜好が、世の中がネット社会となるにつれ、表の掲示板の設置管理という方向に向かい、裏板としてのブログの作成につながり、それがやがて自著本の刊行につながっていったわけだから、面白いものである。
このことで僕が作家と呼べる立場に置かれたわけではないが、業界紙に連載記事コーナーを複数持っていることや、単発の記事依頼が随時舞い込むことを考えると、「物書き」と自称することくらいは許されるのではないかと思っている。
そのことが今後、どのような方向に膨らんでいくのか、それはまだ闇のなかであるが、わからない将来に期待を込めて、楽しみながら進んでいこうと思っている。
人生など自分が自分に期待しないと、ほかに誰も期待してくれないし、面白くなくなると思う。
それにFBにも書いたが、もの書きは、打たれ強く、自分の失敗にめげず、失敗する自分を許すことができる人である。なぜなら・・・。

介護・福祉情報掲示板(表板)
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実は、私も20代のときに小説書きを試みました。
12月24日、町へ出かけたおじいさんが、雪の中で募金活動をしていた6人のボランティアの人たちに綿帽子をかぶせて上げたら、次の日、その6人がお礼のしるしに、おじいさんの家の前に米俵を積んでいくという童話です。タイトルは「クリスマス、借りを済ませてカリスマス」。
まあ、当然のことながら、周囲から「盗作だ!」と罵倒されて沈没しましたが・・・。
masaさんの次のご著作を楽しみにしています。そろそろ「天下に呼び掛ける檄文」になるのでしょうか?