風化させてはならないものがある。平和な時代だからこそ、伝えていかねばならないものがある。

68年前の7月14日と15日という日が、どんな日であったのかということも、昭和20年のその日を知らない世代であっても、そのことを学び伝えていかねばならない。

終戦のわずか1月前のその日、アメリカ海軍は北海道南部から登別市沖合へと展開。13隻の航空母艦から延べ3,000機以上もの艦載機を発進させ、北海道主要都市に無差別爆撃及び機銃掃射を行った。制海権も制空権も米軍に奪われ、米軍機を迎撃できる戦闘機は国内にはほとんど残っていなかった状況を考えると、この攻撃は非戦闘員に対しての米軍による一方的な殺戮といっても過言ではない残虐な行為であった。

この空襲により2.000人以上もの道民(非戦闘員)が亡くなられている。繰り返すが、この数には軍人の数は含まれていない。非戦闘員である一般市民の死者数なのだ。その中にはまだ幼い乳飲み子も、足腰が弱って防空壕に逃げ込めなかった高齢者も含まれている。

北海道の中で、一番被害が大きかった地域は、ここ登別市の隣に位置する室蘭市である。その理由は、室蘭市が重要な軍需工場群を持っており、特に日鋼室蘭の第六工場は、制空権を失っていた当時の日本にとって、事実上B29に対して唯一威力を発揮していた武器である射高2万mの最新鋭の高射砲を生産できる国内唯一の工場であった事から、米軍機動部隊にとっては重要で格好の攻撃目標となったからである。

14日の空爆と、15日の幌別沖からの艦砲射撃によって、室蘭市街地では、被災世帯1,941世帯、被災人員8,227人、死者436人、重軽傷者49人 (軍人含まず)とされているが、実際には、この記録よりも多くの死者が出たという。

日常的に死と隣り合わせに生きていた当時の人々にとっても、自分の肉親や親しい人の死の哀しみの深さは、今も当時も変わらないだろう。そうした哀しみに北海道全体に満ちた日が、昭和20年(1945年)の7月14日と15日である。

今年の7月15日は第3月曜日ということで、「海の日」の祝日となっている。しかし道民にとって、68年前の7月15日の海は、砲弾が飛び交う、死を降り注ぐ海でもあったのだ。戦争を知らない世代の僕らも、そのことをしっかり胸に刻み、伝えていかなければならないと思う。

平和である時代に生きることの幸運を当たり前と思わず、次代にもこの平和な時代が続くように守っていかなければならないものがある。そのためにも悲惨な記憶をも伝えていかなければならないと思う。

今日が3連休の真ん中の日だという人も多いだろう。そういう人はゆっくり休養するなり、バカンスを楽しむなりして過ごしてほしい。しかし同時に、この日が歴史上そうした日であったことを、記憶のどこかにとどめ、時代を担う若い人々にも、そういう日があったということを伝えていってほしい。

この国は、ずっと平和が続いている国ではないことを伝えて欲しい。平和はその国に暮らす全ての人々が、それを願い、それが続くように努力しない限り、未来永劫守られるわけではないことを知ってほしい。我々の子供や、孫や、子孫が、ずっと平和な国で、つましくても幸福に暮らすことができる社会をつくり、守っていくために何が必要かを考え続けて欲しい。

そのためにも悲惨な戦争の歴史を、世代を超えて伝えていかねばならない。そのことをもう一度胸に刻む日が、道民にとっては7月14日と15日ではないだろうか。

私たちがこの世に生まれていない日に行われていた戦争というものを考える日。今日はそういう日である。
介護・福祉情報掲示板(表板)

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