今、僕の施設では「確実に座って食事介助をする」ということを改めて確認し、その強化月間として取り組みを行っている。「座って食事介助しましょうね。」と職員同士が声をかけ合うように促している。

食事の摂取介助を行うケアワーカー等が、椅子に座って利用者目線に合わせて食事摂取介助を行うことが基本であることは、予てより注意を促して実施していたところである。しかしそのことが忙しい業務の中でおざなりにされ、立ったまま食事摂取介助をする職員が増えてきたため、それは間違ったケアだという意識を持つことを促す必要性、業務改善に取り組む必要性を感じたからである。

そもそも介護サービス従事者で、食事をするための姿勢というものの配慮が足りない職員が多すぎるのではないだろうか。食事介助を考えるときに、いかに食べさせるかという「業務」の視点からのみそのことを考え、食べさせられる当事者という視点が欠落している傾向があるように思う。

まず考えなければならないことは、我々が普段、食事をどういう姿勢で食べているかということだ。

我々は食事をとる時に、無意識のうちに前傾姿勢をとっている、顔をテーブルに向け自然と下向きの姿勢で食事をとることになる。

誰かと会食し、話しながら食事をする際でも、相手の方に顔を向けて、下を向いていない場合でも、ごく自然に体を前に傾けるという「前傾姿勢」をとっているはずだ。少なくともそっくり返って、顔を上に向けて食事を摂っている人はいないはずである。これは酒席でも同じなのである。それが人間が一番食物を飲み込みやすい姿勢なのだ。

それは人に備わった嚥下機能の問題であり、そっくり返った姿勢、顔を上に向けた姿勢、いわゆる後傾姿勢では、むせこんでしまう危険性が高くなるのである。何よりもそういう姿勢では、食物を飲み込みづらいことは簡単に理解できるはずだ。水分ならたちまちむせこんでしまうだろう。

つまり嚥下機能に障害のない人でも、後傾姿勢では食物や水分をスムースに嚥下できないのである。

このことを食事介助の姿勢と絡めて考えて欲しい。

食事摂取介助をする人が立ったままであれば、介助されている人の口に入れる食物をのせたスプーン等は、座って食事摂取する人の顔より高い位置から迫ってくる。当然、介助を受けている人は、顔を上に向けねばならない。そして顔を上に向けるために、背を後ろに倒すという後傾姿勢になってしまうのである。これは前述したように、最もむせ込みやすく嚥下しづらい姿勢である。

これを防ごうとして、スポーンを意識してテーブルに近い位置、下側から伸ばしたとしても、摂取介助をしている人が立ったままでは、食事介助されている人は、スプーンだけを見ているわけではなく、摂取介助する人の動きを見てしまうため、介助者の顔や腕の動きに視線を向けてしまい、やはり顔を上に向けて後傾姿勢になってしまうのである。

そもそも立ったままで食事介助するときに、常にスプーンを下から顔に近づけるなんてことを、常に間違いなく確実に実施できるわけがない。そんな出来もしない手間を想定するより、座って介助しろと言いたい。

顔を上に向けずに、後傾姿勢にならず、できるだけ前傾姿勢を取りながら食事介助を受けることができるようにする唯一の手段は、食事摂取介助をする人も座って、食事介助を受ける人の視線と同じ位置に、自分の目の位置をおいて食事摂取介助を行うことである。それ以外の方法はないのである。

つまり座るということは、食事摂取介助を行う際のマナーではなく、基本的な介護技術なのである。これができていないのであれば知識と技術のない素人という意味になる。

食事摂取介助の際に、座らずに立ったまま介助することの理由を、いろいろ探して、「座れない」理由ばかりを探そうとする人がいるが、どんな理由をつけても、それは屁理屈にしか過ぎず、利用者をケアするという視点に欠けるスキルの低い職員であると言わざるを得ない。

場合によっては、キャスターのついた椅子を使って、複数の利用者に対応することもやぶさかではない場合もあるかもしれない。しかしキャスター付きの椅子をいくら備えおいても、職員自身の意識が変わらねば適切なケアに結びつかないのである。

自分が立ったまま食事介助をすることで、むせ込みが激しくなる利用者がいるかもしれないこと、飲み込みづらい姿勢で無理やり食物を飲み込ませているかもしれないということをきちんと自覚すべきである。そしてそれば場合によって、誤嚥につながり、肺炎を起こしたり、喉詰まりをおこして窒息死に至らしめる危険性を持った行為だということを自覚すべきである。

座って食事介助するということは、介護技術であることを自覚すべきである。

介護の介とは、心にかける、気にかける、仲立ちをするという意味を持つ。介護の護とは、まもる、かばう、ふせぐ、たすけるという意味である。

心にかけて守ることがケアである。心にかけて守らないことをケアと呼ばない。

心にかけて守らない人は、ただ単に作業として食事を他人の口に放り込んでいるだけだ。それは恥ずべき行為である。

心にかけて守ることができる人は、座って食事摂取のケアが出来る人である。

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