私たちの仕事に絶対はありません。私があなたを喜ばせたいと思って、良かれと思う方法が、あなたにとって本当に良い方法とは限らないからです。

どうぞ私が気づいていない方法を、あなたから学ばせてください。そのために要求してください。

私たちの仕事に頂上はありません。いつもベストの結果を求めるのがプロですが、私たちが提供するサービスの頂点に上り詰めた時に、その頂上からしか見えない世界がきっとあるからです。

どこかに広がるはずの新しい世界を見つめるために、どうぞ私たちを一緒に歩かせてください。

そして、どうぞ私たちと一緒に新しい景色を見ようとする人でいてください。

私たちの仕事にゴールはありません。テープを切る人生なんかないからです。ゴールのない道を神様は私たちに与えてくれているからです。ゴールにたどり着いて、何もすることがない恐怖に震えないように、人は日々喜び、日々苦しみ、日々楽しみ、日々悩み、日々感じるのです。

日々迷って新しい道を探し続けるのです。

人生とは、そうした歩みを続ける旅です。介護はその人生に寄り添うことができる素敵な仕事です。

あなたが喜びしか感じず、哀しみを感じることがない人ならば、あなたにとって私たちは必要のない存在でしょう。しかし人は哀しむ存在だから、だれかの力を必要とします。だから私たちの存在にも意味があるのだと思います。私たちの存在意義を、私たち自身が見いだせるように、どうぞあなたの人生を少しだけ幸せなものにするためのお手伝いをさせてください。

ゆっくりゆっくり歩き続けることが大事です。喜怒哀楽はそのためのエッセンスです。

だからといって介護とは、足を止める人のお尻を叩いてまで歩かせることはしないのです。時には静かに休むためのお手伝いが求められています。

なぜなら、「歩」という漢字を見てごらんなさい。

歩くという字は、「少し止まる」と書きます。少し止まって歩き続けるのが、歩くという本当の意味なのです。休むことを恐れないのが、歩くという意味です。

「歩」は、「ふ」とも読みます。ふと息をつくという意味です。少し止まって、ふと息をついたって良いのですよ。それは取り残されることではないのです。歩き続けるために必要なことなのです。

「歩」は、「あゆみ」とも読みます。あゆみとは発達という意味でもありますが、同時に「あゆみよる」という言葉にもなります。これは譲歩するという意味であり、「譲り合う」と同義語なのです。

歩き続けることは、発達しながら、人と道を譲り合いながら進むという意味です。

どうぞ、人に道を譲ることができる人になってください。

譲り合いながら人生を歩む人になってください。その時、寄り添う私たちは、人に道を譲るあなたのそばで、あなたの手を握り、あなたの肩をたたき、一緒に譲られた道を行く人を見送る人になるでしょう。

道を譲られた誰かは、いつか疲れて歩みを止め、少しだけ休んでいる時に、決してあなたの道を塞ぎはしないでしょう。その人もあなたに道を譲って、「頑張ってますねえ」と笑顔で見送ってくれるでしょう。

その時は、あなたも私たちも、一緒に「お先に。」と言いながら、「もう少し先で待ってますから。」と微笑みを返すことができるでしょう。

人と人が支えあうということは、そんなふうに何気ないことで、決して難しいものではないのだと思います。

休め休め、止まれ止まれ、譲れ譲れ。そして微笑みあいましょう。それが「微笑み愛」です。
コスモス

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