緑風園は1973年(昭和58年)に開設された施設である。その時、僕は新卒者として採用された。拝命した職種は、「生活指導員」であった。

登別市内で初めての特養であったから、そこでどのようなケアを提供するかについては、すべての職員が手探りであった。そのなかで当時、医療機関で看護師を勤めていた婦長や、医療機関で介護の経験があった職員によってそれらは決められていった。

医療の方法論が、暮らしの場の方法論とされた時に、利用者の暮らしにどのような歪(ゆがみ)を生じさせる結果を生んだのか。そしてそれをなくすために、どのように戦って来たのか。そしてどういうふうにそれを変えてきたかについては、拙著「人を語らずして介護を語るな THE FINAL 誰かの赤い花になるために」のなかの、「道標のない人生(たび)〜社会福祉援助者としての自分史を振り返りながら」を読んでいただきたい。

その当時は、介護保険制度が出来る前の措置の時代であるから、特養が規定されている法律は老人福祉法であった。そして運営基準は老人福祉法に基づいて通知されていた。その最低基準をクリアして運営しなければならなかったが、例えば「入浴支援」の規定は次のように示されていた。

特別養護老人ホームの設備及び運営に関する基準
(介護)
特別養護老人ホームは、一週間に二回以上、適切な方法により、入所者を入浴させ、又は清しきしなければならない。


この規定は、介護保険法が出来た後も変わっていないし、介護老人福祉施設の運営基準にも同じ基準が示されている。

しかし1973年当時と、現在で違っているのは、その基準を読む我々の意識である。当時は、看護師や経験のある介護職員の言われるままに、特養の利用者は「週2回お風呂に入れておれば良い」と解釈させられてしまっていた。最低基準が、いつの間にか標準もしくは最高基準と誤解させられる教えが存在していたわけである。

その結果、当施設では毎週、火曜日と金曜日を「入浴日」と定め、午前中が特浴、午後から一般浴と中間浴というふうに分けて、1日で全員を入浴させていた。そうであるがゆえに、入浴日である火曜日と金曜日は、入浴介助業務だけで介護職員はてんてこ舞いの状態であった。指導員という職種であった僕も、特浴の搬送業務を一日中行っていた。

介護職員の状況も同じで、排泄介護と入浴介護だけで1日の日勤業務が終わってしまうという状態であった。

しかし1日が入浴支援業務で終わってしまうというのは、あくまで職員からの視点であって、ひとりひとりの利用者から見れば、自分が入浴している時間はわずか20分〜30分のことである。それなのに、介護職員が全員入浴介護で駆けずり回り、利用者がそのほかの用事を頼みたくても頼めないという状態があった。

なにより入浴していない時間帯に、何もすることがなく、放置されているような状態で過ごす利用者の姿がそこにはあった。

そのため介護職員の増員を随時図りながら、入浴日の業務の見直しを同時に行い、入浴日に「入浴業務」に一切関わらない職員を決め、利用者が入浴していない時間に過ごすための支援を少しずつ充実させようと取り組んだ。

しかし入浴日の弊害は消滅しなかった。そもそも週2回の入浴日しかないということは、その日に体調不良であれば、週2回しかない入浴機会を失い、体清拭しかされていない人もいるということだ。それでも「一週間に二回以上、適切な方法により、入所者を入浴させ、又は清しきしなければならない。」という規定はクリアすることになるが、人の暮らしとしてどうなのか?という疑問が生じてくるのは当然の結果であった。

さらに入浴日が火曜と金曜の2日間しかないということは、ショートステイを水曜と木曜の一泊二日で利用する人や、土曜から月曜までの二泊三日で利用する人は最初から、ショート期間中に入浴機会がないということになっていた。

そのことを変えるために、様々な試行錯誤を繰り返したが、最後には、「入浴日」というものそのものをなくすことが必要になった。

よく考えれば、特定の支援行為の日という考え方そのものがおかしい。食事の日とか、排泄の日とかがありえないように、身体介護というものは、毎日必要とされて当然だし、毎日繰り返される行為なのだから、入浴支援も毎日行われる必要があると気がつくようになった。入浴日という日の存在自体がおかしな概念だったのである。

一日に全員をまとめて入浴させる「入浴日」がなくなることによって、一日に入浴する利用者の数が減るのだから、入浴支援業務に一日かかりきりになるという状態がなくなり、職員の心にも余裕が生まれ、入浴する人と、入浴しない人にそれぞれの暮らしがあり、それに対して必要とされるケアがあることに自然と気がつくようになった。入浴日という概念で切り捨てられてきたケアの必要性に気がつき、ごく自然にそれを行うことが当たり前になった。

毎日入浴機会があるのだから、週2回しか入浴しないことが当たり前ではなくなった。1日おきに入浴したい人や、毎日入浴したい人に対し、普通に対応できるようになった。

その中で、入浴は昼間しかできないのはおかしいのではないかと考える職員が出てきた。夕食を食べたあとに入浴する習慣を持っていた人が、施設入所することによって、その習慣を奪われるのはおかしいのではないかと考える職員によって、夜間の入浴支援というケアが生まれた。

ただし、そのことには職員配置の工夫が必要だし、人手が余っている状態ではない現状において、毎日夜間の入浴支援を実施できない現状があるのは事実である。今現在では、決められた特定曜日に、夜間に職員配置を厚くして対応している状態である。

よって我々が目指すケアは、完全には実現できていない状態と言える。

しかし我々は現状を決してベストだと思っていないし、これで良いと思った瞬間から退廃・退化が始まることを知っている。だから今日より明日変わるものはないかと日々考え続けようと思う。その過程で、今できないことも、いつかはできるようになるだろうと信じて歩き続けようと思う。

発想を変えるだけで進化するものもあるという前例を踏んできているのだから、発想の固定化を恐れ、常に柔軟な発想をする人でいたいと思っている。

だから守る人になっている暇はない。

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