次の介護保険制度改正は、2017年度からの施行を目指している。
ケアマネジャーのあり方、ケアマネジメントに関連しては、それまでに地域ケア会議を法制化して、そこでケアプラン評価が行われる方向で作業が進められている。
具体的には、「地域ケア会議」の目的の順序を入れ替え、これまで2番目に位置付けられていた「地域の介護支援専門員の、法の理念に基づいた高齢者の自立支援に資するケアマネジメントの支援」を1番目とし、個別ケースの検討を第一の目的とすることを明確化した。
個別課題の解決については、「多職種が協働して個別ケースの支援内容を検討することによって、高齢者の課題解決を支援するとともに、介護支援専門員の自立支援に資するケアマネジメントの実践力を高める機能」としている。
「地域ケア会議の構成員」については、「介護支援専門員」「住民組織」を追記するとともに、「医療関係者」を「保健医療関係者」として幅広く規定し直し、さらに「必要に応じて出席者を調整する」としている。また、地域の実情に応じて、「個別課題の解決」「地域包括支援ネットワークの構築」「地域課題の発見」については実務者による開催、「地域づくり・資源開発」「政策の形成」についてはネットワークを支える職種・機関の代表者レベルによる開催が考えられるとしている。
会議の「留意点」としては、「個人で解決できない課題等を多職種で解決し、そのノウハウの蓄積や課題の共有によって、地域づくり・資源開発、政策形成等につなげ、さらにそれらの取組が個人の支援を充実させていくという一連のつながりで実施する」と指摘。「特に個別ケースの支援内容の検討は極めて重要」としてセンター(又は市町村)が主体となり取り組むことを求めている。
ここでいうセンター(又は市町村)とは、地域包括支援センター(又は市町村)という意味であり、地域ケア会議は地域包括支援センターが主体となって取り組むことが明示されているというわけである。
これはとりもなおさず、行政のケアプラン管理である。
そこで質の高いケアプランが評価され、不適切なケアプランをあぶり出し、ケアマネジメントの適正化が図ることができるなんていうことはありえない。なぜならケアマネジメントの根幹には、アセスメントが存在するのに、実際にアセスメントを行って、利用者の個別ニーズを見つめているケアマネジャーに対して、アセスメントを行っていない第3者が指導できる根拠は曖昧ならざるを得ず、それは担当職員の価値観や思い込みからの指導にならざるを得ないからだ。
そこでは単なる給付抑制しかされないだろう。訪問介護の生活援助も、単純に必要ないとターゲットにされる可能性が高い。
しかしケアマネジメントの援助技術の展開の目的が、生活の全体性や継続性、個別性に目を向ける生活支援であるとしたら、そこには身体機能レベルだけでは解決できない様々な問題に対する援助の方法があって当然である。そうであれば必ずしも軽介護者に身体介護以外の生活支援が必要ではないという考えにはならない。家事援助(生活援助)も立派な生活支援になり得るというのは、すでに終わっている議論ではないのか?
加齢という自然摂理を起因とした衰えによって生ずる足腰の衰え、視覚や聴覚、味覚の減退は、ADLより先に、IADLの障害になって現れてくるのだから、軽介護者に必要な家事支援を適切に結びつけることも、生活維持には重要な視点である。それを理解できる頭脳の持ち主が、地域包括支援センターの職員や、地域ケア会議のメンバーの中に何人いるだろう?
制度改正の方向は給付の重点化・効率化とされている。つまり財源がないから、不必要なサービスは保険給付から削って、その分を必要なサービスに回すという組み換え策が中心である。要支援者を給付対象から除外するという方針が示されているのも、その方策の一つである。しかし今の制度議論の論者に、本当に必要なサービスを理解している人がいったい何人存在しているのだろうか。
相変わらず在宅介護は医学的リハビリ中心で、しかもサービスの主要部分だけ保険給付し、周辺部分を出来るだけ自己負担化しようとしている人間の声が前面に出されて新制度が議論されている。地域包括ケアシステムも生活支援を地域で切れ目なく行うより先に、包括化された報酬内ですべてのサービスを完結しようとする論理が先に来ているだけではないか。
そもそも制度改正というが、過去の改正はちっとも制度を良くしていない。結果として失敗ばかりしている識者と呼ばれる連中が、ほとんどその顔ぶれを変えることなく、繰り返し制度改悪している。そうした評価もしないで同じような顔ぶれで制度改正議論を行う現状はどうかしている。失敗者の首をすげ替えるべきである。
そう考えると、地域ケア会議の見直しも失敗の歴史を繰り返すような気がしてならない。いや、地域ケア会議の変更によって何が起こるかということは既に明らかだ。
本来ケアマネジメントは、利用者の立場から生活課題を把握し、利用者の生活を支援するために展開されるべきものであるのに、今後は保険給付の限定化とともに、地域ケア会議によってケアプランを行政管理して、ケアマネジメントを財源抑制の手段として使うという『マネイジドケア』として展開させようという意図が明白である。
このことはもともとケアマネジメントの諸刃の剣として負の指摘を受けている点であり、本来それは「禁じ手」である。その禁じ手が、大手を振ってまかり通りかねないのが、地域ケア会議の見直し案の中に散りばめられていることに、現役のケアマネジャー諸氏は気がついているのだろうか。
でもその時に、それは違うと自分のケアプランの適切性を説明できる理論武装したケアマネが何人いるのだろうか?きちんと勉強しないと大変なことになることをわかっているのだろうか!!
少なくとも利用者や地域に対して、ケアマネジメントとは何ぞや、という意味を、自らの実践で語れる介護支援専門員でなければ、地域ケア会議の中で、まるで被告のように糾弾され続けるだけの存在に自らを貶めることになるであろう。
どちらにしても、自分の仕事の根拠を語ることができないケアマネジャーは、今後は実地指導を恐れると同じように、地域ケア会議を恐れ、そこで指導されることに汲々とする姿が目に浮かんでくるのである。
アセスメントに基づいたケアプランをきちんと理論づけて語ることができるケアマネジャーであれば、そのような惨めな姿にはならないだろうと思うのだが・・・。
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介護・福祉情報掲示板(表板)
行政の介護保険担当課で働き、その後居宅介護支援事業所でケアネマジャーをしていてわかったこと。
その一つが、ケアマネジャーの理論不足でした。
事業者指導や適正化事業で、ケアプランを見る機会、サービス担当者会議に出る機会が行政担当者時代にあった際、はっきり言わせてもらうならば、突っ込みどころが満載でした。結果的に大丈夫でも、その過程の綻びを突けば壊れていきそうな・・・
その経験を元に、今では行政に何を言われても理論武装できるように体制を整えているつもりですが、業界全体で考えたら、怖いですね。
自分もこれからもっと精進せねばと思いました。