msn 産経ニュースの「介護保険の遺言」というインタビューの中で、予防給付を保険外化せよという主張をしていた池田省三氏が、昨日亡くなられた。享年66歳。
氏の公の場での発言としては、93回社会保障審議会介護給付費分科会で、一人訪問看護事業所に強く反対意見を唱えたのが最後ではなかったか。
この人の考え方について、僕は全く理解不能で、反対意見をたくさん持っていたが、お亡くなりになったことに対し、まずはご冥福をお祈りしたい。
ただ人物に対する評価とそのことは、また別の問題である。
氏は上のリンク記事のように次期制度改正では、予防サービスの保険外化を強く主張しているのであるが、こんな遺言など引き継ぐ人がいて欲しくないと思う。
加齢という自然摂理を起因とした廃用とはいえない足腰の衰え、視覚や聴覚、味覚の減退は、ADLよりIADLの障害になって現れてくるのは当然で、軽介護者に必要な家事支援を適切に結びつけることも、生活維持には重要な視点であって、予防給付をなくしてしまっては、生活維持が困難になる人がたくさん生まれるからである。
要介護状態や認知症の症状が重度化する前から、サービス利用していることによって、そのことで機能低下のスローダウンを図ることができるケースが実に多いことを知っている介護支援専門員にとって、重度化してからしかサービスを使えないという状態の危険性は重大な問題として認識できるであろう。
今朝、氏の訃報について僕のフェイスブックでお知らせしたが、そこに寄せられたコメントの中には、「個人的に死を悼む気持ちにはなれない。」、「冥福を願う気持ちを持てない」等の辛辣な意見も寄せられている。それだけ制度を悪い方向に導く意見の持ち主と評価している関係者も多いということだろう。
確かにそれらの意見には頷けることも多い。この人、介護保険に大きな影響を与えたって言うけど、ちっとも良い制度にはしなかったと思うからだ。僕の個人的評価としては、それ以外のものはない。
現に制度は改正するたびに、複雑怪奇なものなり、制度の光から漏れる人々を増やし続けているのだから、歴史が「改悪」であった事実を証明するだろう。
その改悪が誰によってもたらされたかという評価は難しいが、少なくとも介護給付費分科会などの氏の発言は、人の暮らしや命を守る介護保険制度の本来目的を歪めるものと、僕は感じた。
「介護保険という社会保険になったから社会福祉ではない」と詭弁を弄し、「自立支援」という言葉を給付抑制のために都合よく解釈して、自己責任を前面に出し、学者という立場で制度の方向軸を歪めたと評価するしかないと思っている。
サービス利用が自立支援に結びついていないと結論付け、その責任をすべて介護支援専門員に押し付けるかのような発言も目立った。このことに憤りを感じていた関係者も多いのだろう。
とにもかくにも介護給付費分科会の後任委員として、国が誰を選出するかということで、2017年の制度改正で国が目指す真の意図がわかるかもしれない。
訃報に接して、死者に鞭打つような発言に不快感を持つ人がいるとすれば申し訳ないが、今更飾り立てた建前だけ書いても、氏も喜ばないだろう。そう思って最後まで本音を書いて送ることにした。
ただ最後に、心より合掌の気持ちを持って、手をあわせたいとは思っている。いらねえ、って言われるかもしれないけどね。
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介護・福祉情報掲示板(表板)
予防給付を介護保険から外す話は消えないかもしれません。まだ一つの方針としては残っているようです。
社会保障制度国民会議の資料には骨太の方針を策定すべきとの意見があり、間違い無く出てくるでしょう。
参議院選挙では争点にもならないでしょうが、選挙結果次第では様々な抑制論が飛び出して来るかもしれません。
また、障害者総合支援法との統合もまだまだ燻っているようです。
責任なき委員会、責任なき調査報告に振り回される不幸は続くのでしょうか。