何度か書いていることであるが、僕のこのブログという場所は、極めて個人的な領域で、公共性なんて全くないし、公益を意識しているわけでもない。

世のため人のために何か役に立つことを書こうという動機に基づいて立ち上げたわけでもない。

ここのルールは、僕の極めて勝手な価値観と、狭い了見によって決められている。それは誰からも文句を言われる筋合いがないものだと思っている。

そもそもここは読み手の都合を全く意識せず、書くために作った場所である。そのことに不快な思いを抱く人がいたとしても、それは仕方のないことである。そういう人は、この場所に繋げなければ良いだけだと思うからである。

そんなわがままな場所の、乱暴で勝手な文章を読んでくださる方がたくさん居られることはありがたいと思うし、感謝もしている。何かの機会に読者にお会いして、「ブログを読んでいます」と言われるときは恐縮するし、心からありがたいと思って感謝の気持ちを伝えている。そのことはまったく嘘偽りのない僕自身の真実だ。

だからといって読み手に媚を売る文章を書こうとは思わないし、書くための場所を、読む人を意識した場所に変える気持ちはまったく持っていない。

僕はいつも壁にぶつかって叩きのめされそうになる。僕はいつも何かに迷って袋小路から抜け出せなくなりそうになる。僕はいつも困って答えを見つけ出せなくなりそうになる。

僕はいつも苦しがっている。僕はいつも哀しがっている。僕はいつも逃げ出したくなる。僕の心はいつも泣きじゃくっている。

僕は人一倍弱い人間だ。僕は人一倍女々しい心を持っている。

その思いに自分自身が潰されないように、僕の心の叫びを強い言葉で鼓舞している。それは慟哭であったり、激情であったり、怒りであったりする。その時の飾らない素の姿を現す言葉をあえて使っている。だから下品で激しい表現となる場合も多い。もともと上品な人間ではないので、そこのところは仕方のないところである。

ここには虚構を作りたくない。

なぜならそれは僕の心そのものだからだ。それに嘘をついてしまえば、僕は僕自身というものを見失い、地に足をつけることができない不安定な存在にならざるを得ないだろう。そしてその状態は僕自身を壊してしまいかねない。

いや、それも真実ではないな。

正直いうと、そんなことも考えないで、その時々の思いつくままの気持ちをそのまま言葉にしている。ただしそれがストレスのはけ口となっているという意味ではない。ここは勘違いして欲しくない。

乱暴な言葉を吐いてストレスを発散させているわけではなく、思いを言葉にすることで、僕自身がその言葉に気づかされ、鼓舞され、立ち上がることができるという意味だ。前を向くことができるように書いている場所だ。そうすることで立ち止まらなくて済むのである。

自分のために Why? Why? Why? Get up!!Get up!!Get up!!と言い続けている。それがこの場所だ。

ここに書いている言葉は、心の底から湧き上がってくる言葉だから、書こうと努力する必要もなく書き続けることができるものだ。頑張らないでも毎日書き続けられるものだ。書くための努力なんて全くしていない。だからコメント返しもほとんどしない。

逆に言えばこの場所で、こうした文章を書く事が苦痛になって、頑張らなければ書けなくなったときは書き続ける必要はないと思う。自分のためだけに書いている文章を、苦痛に感じながら努力して書き続ける必要はないのである。工夫も努力もしないから書き続けることができるのだ。

これは自らに課した義務でもない。だからいつでもやめられる。

やめたい時に誰にも断らずにやめられるから、今は続けていられるだけの話だ。今現在は、僕自身にとってこの場所は必要で、この場所に文章を書く事が大切な時間となっており、それは僕にとっては日常になっている。それだけのことだ。

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