起きてはならない事件が起きた。許されないことが行われた。
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朝日新聞デジタル 1月18日(金)2時6分配信
 広島市東区の高齢者施設で昨年12月、入居者のベッドに火をつけて殺害したとして、広島県警は17日、施設で働いていた広島市東区戸坂千足1丁目の介護福祉士、入沢亜加音容疑者(21)を殺人と現住建造物等放火未遂の疑いで逮捕し、発表した。「間違いないが、殺すつもりはなかった」と一部容疑を否認しているという。

 広島東署によると、入沢容疑者は昨年12月5日午後6時半ごろ、広島市東区戸坂大上4丁目の「ホスピス・ナーシングホーム クリーム」内で加登久恵さん(当時85)=広島市安佐北区=のベッドの布団にライターで火をつけ、寝たきり状態だった加登さんを殺害した疑いが持たれている。

 加登さんは全身にやけどを負って約24時間後に死亡。死因は焼死だった。入沢容疑者は昨年5月から同施設で働いており、「人間関係などのストレスがあった」などと供述しているという。

 県警や市東消防署によると、この火災で鉄筋3階建ての2階部分にある加登さんの個室の電動ベッドと天井や内壁など周辺約10平方メートルが焼失。職員らが消火器を使って消火したが、加登さんが死亡したほか、消火に当たった職員2人がやけどなどを負った。ベッド周辺の焼け方が激しく、周辺に火の気がないことなどから、県警は発生当初から放火とみて捜査していた。
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事件が起きた施設は「ホスピス・ナーシングホーム」と銘打っている。つまりそこは終末期を過ごすために選ばれる場である。その施設のホームページによれば、母体となっている医療機関の医師のサポートのもとで、協力機関による看護師、ヘルパーが24時間体制で訪問対応するシステムである。おそらくサービス付き高齢者向け住宅の一形態であろう。どちらにしてもそこは、利用者にとって最も安全で、安心して暮らせる場所でなければならない。

そこで暮らしている人が、最も信頼すべき施設の職員に放火されて焼死するなんて、なんという悲惨な死なんだ。なんとむごい死なんだ。亡くなられた方の苦しみや悲しみを思うとやりきれない。

動けない人が寝ている布団に火をつけたら死んじゃうのは当たり前じゃないか。殺すつもりはなかったなんて言い逃れが通用するわけがない。放火した介護福祉士にどのような心の闇があろうと、それがどのような理由で生じたものであろうと、情状酌量の余地などひとかけらもない。

これは専門職としてどうこう言う以前に、人として許されないことだと思う。

それにしても容疑者は、せっかく介護福祉士という資格を取ったのに、なぜ人を愛することをやめてしまったのだろう。

世のすべての介護福祉士の皆さんにお願いがあります。あなた方は、せっかく介護福祉士という資格を得ているのですから、介護することを「好き」でいてください。その仕事を続けることで喜びを感じる人でいてください。

「介護」は心にかけて護る(まもる)、という意味です。利用者を護るのが介護サービスです。何もできない時でも、よっと傍らに寄り添って護るだけでも良いのです。利用者の方々との心の交流を通して分かりあうのが私達の仕事なのです。有資格者はリーダーとしての資質も求められるでしょうが、それは資格に胡坐をかいて上から目線で指示を出すリーダーではなく、介護の現場ですべてをやりつくして、苦しみとやりがいを味わったうえで、人の上に立って指導する人なのです。

利用者の傍らに、誰よりも近く寄り添い、手で触れ、見守ることが介護福祉士という資格を持つ専門家に何よりも求められていることだということを忘れないでください。机の前に座って、手も心も動かさず、利用者も見つめることのない状態では生活支援とは言えないのです。

資格をとったあなた方だからこそ、どうぞ利用者に一番近い存在でいてください。

哀しいことですが、人は最後の最後まで自分の力だけで自分の望むように暮らし続けることは難しいのです。その時、誰かが替って、その人の真の思いに寄り添って、その人が望むであろう様々な思いを代弁して、その実現を図ることが「傍らに寄り添う」という意味です。

だから傍らに寄り添うとは、単にそこにいるだけを意味しません。大事なことは思いをくみ取るために「気づく人」になることです。そして「気づくことができる人」とは、しっかりと目の前の人をみつめ、その人生を見つめ、その暮らしを見つめ、一人の人間として尊重することなのです。

私達は寄り添ってあげる人ではなく、寄り添うことが許される人になる必要があるのです。

我々の笑顔は、利用者が笑顔になることでより輝けるのです。そのためには我々が職場で笑顔を忘れないという姿勢も大事なのです。それがプロです。しかしできれば、プロとしての意識なんか持たなくても、高齢者の方々も介護者も、ともに自然に笑顔になる、そういう介護の現場であれば、これは理想ですし、そうしなければならないと思います。

少なくともプロであるなら生活の疲れを職場に引きずってはなりません。家庭で何があろうと、プライベートな時間に何があろうと、何かあったということが職場の同僚や、利用者に容易に気づかれるような態度しかとれないのではプロではありません。それは素人が素人の援助技術でしか仕事をしていないというレベルで金銭対価を得ている状態と言え、詐欺まがいと言われても仕方がないのだということを自覚する人になってください。

しかし同時に考えて欲しいことは、笑顔と「笑う」という行為は必ずしもイコールではないということです。

笑うという行為は時として人を蔑んで「あざ笑う」ということを意味する場合があります。それは本当の意味での笑顔ではありません。それは第3者から見ればとても「醜い顔」なのです。同じように自らのストレスを解消するために誰かを不幸にすることは、決して許されないし、それは自らの心の闇を深くする結果しか産まないのです。人を不幸にした結果は、自らに返ってくるものだということを忘れないでください。

誰かの赤い花になれる職業を、悪魔に変えないでください。

我々が求める笑顔や笑いとは、人を愛する笑顔です。人が愛されることを尊ぶ笑いです。そして我々の仕事は、大きな愛を持って、その愛で人をつないでいくことです。だから・・・。

どうぞ、人を蔑み、あざ笑う人にならないでください。
どうぞ人の不幸を笑ってみていられる人にならないでください。
どうぞ人を愛する喜びを知る人になってください。
どうぞ人を愛する笑顔が美しいと感ずる人になってください。
どうぞ人を愛する人でいてください。

その時の貴方の笑顔はきっと誰にも負けない素敵な表情になっているでしょう。

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