2年前の10月のことを思い出してください。愛知県岡崎市の特養のショートステイを利用していた認知症の男性(77歳)が、同室者で、同じく認知症の女性(93歳)の首を絞めて殺害したという事件がありました。

雑魚寝

画像はその犯行現場となった居室です。

左側は床に畳を敷いて、3組の布団が敷かれています。右側は畳さえも敷いていない床に直接布団が敷かれています。

このように本来は4人部屋しか認められていない特養なのに、犯行現場の部屋には男女6人が布団を敷いて寝かされていました。他人の男女が雑居させられていたんですよ。

施設によれば夜間徘徊(はいかい)があるなど、目が離せない認知症高齢者を6人部屋で就寝させることにしたというものです。

見たとおり入口から反対側の真正面には、なんの囲いもないむき出しのポータブルトイレが置かれていますよね。この部屋で、他人である男女が混合処遇(この言葉自体不適切と思いますが、あえて不適切さを強調するために使います)を受けて、他人である異性の目から隠されることもなく、おしり丸出しで排泄させられていたということです。

認知症になったら何もわからなくなるんですか?認知症になったら羞恥心への配慮はいらないんですか?認知症になったらなんでもありですか?

そんなことはない。そんなことはありえません。

自らの意思や希望を正確に表現できない認知症の人であるからこそ、我々はそれらの方の気持ちを想像し、望むであろう暮らしを作るために、それらの方々の本当の気持ちを代弁することが求められているんです。認知症の人に対するケアって、そこから始まるんです。それがアドボケイトでしょう?

この状態が、加害者になった人や、被害者として亡くなられた人が望んだ状態だというんでしょうか。それはあり得ない。

100人近くいるであろう、この施設の職員は、こういう部屋を作って、見知らぬ男女が他人である異性の横で寝かされて、こういう部屋でおしり丸出しでポータブル便器への排泄をさせられていることに何の疑問も感じなかったんでしょうか?

夜勤者の対応が大変だからという理由のみで、そういう押し込め部屋を作ることに何の疑問も抱かなかったのでしょうか?

そういう部屋に自分の親が入れられて、そこで同じような対応をされるとしたら、そのことを哀しいと思わないんでしょうか。

これはケアとは言いません。これは介護ではありません。

もちろん、職員の中にはこの状態をおかしいと感じている人もいたのでしょう。でも云えなかったのではないでしょうか。

でもね。云い合わないとチームにならないんですよ。云わないとチームケアには魂が入らないんですよ。云い合わないと、魂という文字から、云という字が離れて、鬼になっちゃう。

それは自分自身の心を鬼に変えることとかわりない醜い姿なんですよ。

そういう状態を放置してしまったら、だんだん感覚が麻痺しますよ。そうなればあの和歌山県の南風園で行われている虐待と同じことをする人になりますよ。

云いあって正常な感覚を失わずに、誰かの心に咲く赤い花でいましょう。

この部屋で、見知らぬ男性に首を絞められて命を落とした93歳の女性。人生の最期がそんな状態で、怖かったろうなあ。苦しかっただろうなあ。辛かっただろうなあ。哀しかっただろうなあ。

僕たちは過去を変えることはできないけれど、過去を教訓にして新しい明日をつくることはできるはずです。

こういう哀しい事件を再び起こすことがないように、この画像の部屋の寒々しい風景を忘れないでください。こういう状態がおかしいと気づく人になってください。

そのためには、人に対して愛情と関心を持ち続けることですよ。気づくために、他者に対する関心を持ち続ける専門職が、我々に求められている役割ですよ。

愛の反対は憎しみではなく無関心です。(マザーテレサ)

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