今朝5:30過ぎに、この地域に北電の電力が通電され、全面復旧した。あとは発電機を外して業者に返すだけである。一安心といったところだが、前日の記事からの続きを書こうと思う。
(登別大停電の影響と教訓(その1)の続き)
僕は、27日(火)の夜に急遽施設に泊まることにして、施設長室のソファーで仮眠することとした。しかし施設長室は暖房が通っていない本館に位置しており、夜10:00を過ぎると寒さが厳しくなってきた。毛布を3枚重ねたがかなり寒く、0:00近くから2時間くらい仮眠した後に起きてしまった。
そのあと眠ることができず、館内を見回ったり、暖かい新館のホールで座って休みながら外を見ていた。月の光もわずかで、外灯は全く灯らない暗い夜のはずであったが、雪あかりがひときわ眩しく感じる夜だった。
新館のボイラー室外には、2機の発電機が並んでいるが、稼働しているのはこのうち1機のみ。稼働していない発電機は、この他に本館ボイラー室外の2機がある。その3機が動けば全館に電力供給され、普通の生活が送れるのに、それができない理由は、キューピクルにつなぐケーブルがないためだ。
発電機とケーブルが必ずセットで借りられるわけではなく、基本的には発電機とケーブルのレンタル業者は異なり、さらにそれをつなぐ電気設備会社に発電機やケーブルがあるわけではないという理解の上、電気設備会社を通じて、発電機とケーブルを緊急時にスムースに確保する協定等を作っておくべきであるということ。今回は、職員個人のコネクションをフル活用して発電機の数を確保したが、必要最低限の電源確保ということで言えば、75Kwの発電機2機あれば。全館の日常生活必要電力がまかなえたと言えるだろう。容量の把握が出来ていなかったことと、最初に確保できた発電機の容量が小さかったことが今後の教訓といえよう。
特別な問題もなく夜明けを迎えようとした4:30頃、突然非常用の緊急予備電源が落ちた。そのため館内は真っ暗になってしまった。そのため一部の場所にロウソクを置いたが、この状態で利用者が朝を迎えると危険である。
暖房に影響はないし、そのあと1時間30分ほどで夜明けを迎える時間だから特に問題はないだろうと思った時に、はたと気づいたことがある。この電源が落ちれば、水の供給圧力電源も落ちたという意味で、数分で水道から水が出なくなることに気がついた。そうすると、この時間以降の排泄ケア、モーニングケア、朝食作り、すべてに影響が出ることが考えられる。
緊急予備電源が落ちた理由は、軽油燃料がなくなったからであろうことが考えられ、すぐに担当職員を呼び出して、燃料補給と再起動を試みたところ、5:30に電源回復。事なきを得た。
この日の朝の食事も無事に提供することができた。
ただ緊急予備電源と新館の暖房用電源しか通じていない状況に変わりはなく、お風呂もはいれない状況が続いている。
そんな中、前日休止した通所介護事業所は、暖房も普段通りで、暖かい食事が提供でき、温泉浴槽は停止しているものの、シャワー浴が可能であり、浴室内も暖かいということで、その日から再開することにした。前日急遽利用できなくなった方の振替利用を含めて、17人の利用があったが、利用された皆さんは、自宅に電気が通っていない人が多く、大変喜ばれた。
発電機ケーブルはお昼に到着したが、それを接続する電気設備業者が、市内のあちこちで作業があるため、当施設の作業を開始したのは午後3時すぎ。そして全館に電気が通ったのは、午後4時を過ぎた時間であった。全館に電灯がついた時には、館内のあちこちから歓声が上がっていた。普段明るいのが当たり前、通っているのが当然の電気というものがない生活をわずか1日半経験するだけで、そのありがたみが実感できたというわけである。
結果的には、当施設は75Kwの発電機2機のみで全館の電源を回復することができた。そのため最初暖房のみ動かした50Kwの発電機と、あとから持ってきた75Kwの発電機1機は引き上げた。このことは今後の発電機手配の教訓にしたい。
しかしその時点から1晩明けた29日の朝の時点でも、この地域には未だに北電の電気は通っておらず、信号も停止状態であった(今朝5:30すぎに復旧)。画像は信号の電気が消えている交差点。この地域の在宅高齢者の方々は、多くが避難所生活のままであった。
関連法人の老健も、必要最低限の電気は確保しているが、入浴ができない状態のため、29日午前中に、デイケア利用者11名が、当施設の温泉入浴利用しに来た。地域社会の日常はまだまだ取り戻せていないのが現状だ。
今回の停電期間中、外部との通信手段として携帯電話の果たした役割は大きいが、この携帯電話の充電を、停電期間中にどうするのかは重要な問題である。当施設でとった方法は以下の3つである。
1.車のバッテリーを利用した充電器による充電
2.蓄電式のノートパソコンに携帯電話をつないでの充電
3.非常災害用の手動式充電器による充電。
このうち最も重宝したのは3の手動式充電器である。ラジオと一体化した充電器は、携帯電話をつないでハンドルを回すだけで充電可能になる。充電時間は3つの方法の中で一番かかるが、どこでも手動で充電できるということに大いに助けられた。災害時の必需品である。
今回の停電で生じた問題をいくつか挙げておこう。
1.冬場の停電で致命的なのは、暖房電源がなくなるということ。大規模施設ではその電源となる発電機とケーブル、配線する設備業者を緊急手配できるような体制が必要。小規模な施設や家庭では、電源が必要のないポータブル式の石油ストーブを備えておく必要がある。
2.ランタンや懐中電灯がいくらあっても、電池がなければ使えない。大規模な災害時に、電池を小売店で購入することは非常に困難。予備も含めて電池を普段から備えおくことも必要。
3.当施設では水の供給に問題はなかったが、非常用飲み水の確保も不可欠。
4.トイレの排水は、飲料水の予備電源と回路が違うため、排泄後の水洗が流れなくなった。このため汲み置きの水をバケツで流した。普段から排水に使える水を浴槽などに貯めおく習慣は役に立つ。排水用の水を貯めるバケツや重たいそれらのバケツを運ぶキャリアも数必要となる。
5.電源を失うということは、冷凍食品はすぐにダメになるということ。停電時のメニューを考える際は、冷凍食品をそれにどのように活かすかもコスト削減のポイント。
6.同じように、冷蔵が必要な食品管理の方法。北海道の冬であれば、廊下等火の気のない場所が冷蔵庫がわりになるだろうが、地域によって対応が必要だし、季節が夏であればこの部分の注意が一番必要になる。
7.電源を失うことで、熱発者に対するアイスノンや氷が使えなくなる。雪で代用してみたが、氷のような効果はない。むしろ電源を失った直後から、外の雪の上でアイスノンを冷やす方が効果があった。特に夜のそれは、冷蔵室とほぼ同じ効果があった。北国の冬なら、電源を失った直後に、熱発者対応の道具は、冷蔵室から出して、外の雪の上、氷の上に置いたほうが良い。
8.電源を失うことで、ナースコール、ギャッジベット、各種センサーが使えなくなる。利用者の観察がより一層重要になるし、転倒防止センサーが使えない際の対応方法の確認が常日頃から必要。夜勤者は特に神経を使って大変だった。
9.サクションは使えなくなるので、他の対応策の日頃からの確認が必要。
10.食器類が洗えなくなることも想定されるし、滅菌装置が使えないので、使い捨て食器をある程度加数揃えておく必要もある。
11.洗濯機の使用ができなくなるので、衣類等の汚れ物をどうするか対策しておく必要がある。当施設ではこの2日間全く洗濯ができなくなったため、毎日取り替える下着が(汚れた際などにも取り替えるため)足りなくなることが心配な人がいて、既に限界に近かった。
12.電源を失うということは、エレベーターが使えなくなるということ。車椅子の人の他の階への日常移動は不可能になるし、配膳車や重たいものをエレベータで上げ下げすることができず、毎食の配膳も看護・介護職員以外の協力が不可欠となり、全職員の日頃からの緊急時の協力意識が求められる。
13.厨房ではミキサーが使えなくなるため、ミキサー食等はすべて手作業で行う必要があり、時間と手間がかかること。
14.蓄電式のノートパソコンなどは作動できても、メインサーバーの電源が失われているので、ケアプラン、給付管理、請求などに関するあらゆる業務が止まる。時期によっては居宅サービス計画書が作成できないとか、1月分の請求ができないなどが考えられ、今後対策を講じる必要がありそうだ。
ざっと思い浮かんだことを順不同で書いてみた。他にも思い当たることが出てきたら随時更新追加したい。
今回得た一番の教訓は、大事なことは人に頼らず、自施設で対応する以外ないということだ。特に北電は何にもしてくれないということを前提にせねばならない。
今回当施設で一人の死者も出なかったのは、職員が様々なコネクションを使ってたまたま発電機を確保し暖房を復旧できたからである。100人以上の要介護者が暮らす当福祉施設への配電車の優先配備は、道からも要請していただけたが、北電は最後までそれを無視し、今現在も配備されていない。大型スーパーには配電しているにも関わらずである。
配電車は地方自治体の庁舎、避難所、医療機関、小中学校区域などには優先配備されても、福祉施設はおざなりにされるようだ。自己責任でどうにかしろというのが北電の姿勢らしい。高齢要介護者の命などというものに対する関心は無いに等しい姿勢である。
道や市は、具体的要望があればいつでも協力してくれることを約束してくれて心強かった。道社協からも同じように連絡を頂き感謝申し上げたい。
ただし現地到達すべき物品の確保を、必要な時に行うということでは、自分たちが日頃から準備を怠らず、その場で覚悟を持って、行うしか方法はないということだろう。
そんな状況でも、全国の福祉関係者、僕と様々な関係でつながっているみなさんからもたくさんの励ましを受けた。本当に仲間はありがたい。
今日のお昼には、福岡県北九州市八幡西区にある社会福祉法人・援助会、特別養護老人ホーム聖ヨゼフの園の木戸施設長さんから依頼があったとのことで、食品業者から非常食「マイクロレボライス」が届けられた。栗ご飯と炊き込みご飯とちらし寿司の3種類。これがなんと360食分。ありがたいことである。木戸施設長さんには、同法人の勉強会に講師として僕を招いてくださったり、今年も11/3の北九州高齢者福祉事業協会主催研修の講師として僕を推薦してくださるなど、日頃からお世話になっているが、今回の災害においてもこのような心遣いを頂き感謝の気持ちでいっぱいである。
その姿勢から学ぶものも多い。今度は僕たちが、誰かにそういう心遣いを返す番だと心から思うのである。
ところで、今回の登別大停電では、停電発生の10分後に僕が施設に到着し、緊急非常用電源の作動状況などを確認するとともに、電源回復まで施設に泊まり込んで、様々に発生する想定外状況に対応した。
昨晩も北電の電力が通電するという情報があり、発電機からの切り替えと、通電時の事故発生に備え、事務長以下、担当職員が3名、2:30まで待機した。
この間様々な想定外の状況が生まれ、利用者の暮らしへの影響が及び、それはケアサービスの方法を変えるなどの必要性も生じさせた。その時でも必要な指示の元、看護・介護スタッフが迅速に対応して停電に関連した人的被害を発生させずに済んだ。これは住まいとケアが分離していない「介護施設」であるからこそ可能になる対応であり、そのおかげで暮らしと命を守ったと言って過言ではない。
北電に見捨てられた命を守ったのは、暮らしとケアが分離していない場の方法論なのだ。
一方、介護保険制度改正で構築される「地域包括ケアシステム」が推進しているのは、住まいとケアを分離してサービス提供することである。その基礎となるのが、サービス付き高齢者向け住宅と定期巡回・随時対応型訪問介護看護だ。
しかしその場所で、今回のような大停電が起こったならば、住まいとケアが分離しているだけに、大混乱が生じたはずである。少なくとも当施設で行ったようなリアルタイムの必要なサービス提供は不可能だったであろう。だからこそ住まいとケアが分離しない場で、要介護高齢者が住まう意味があるということだろうと思う。
このことを特養や、その他の介護保険施設関係者は、大いに誇るべきである。
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介護・福祉情報掲示板(表板)
わたくし、島根県で福祉施設さんなどにお邪魔してリスクマネジメントなどのお話をさせていただいているものです。
いつも記事を楽しみにしています。
今回もお忙しい中、大変貴重なお話ありがとうございます。
こちら山陰地方も豪雪地帯ですので参考にさせてください。
今後ともよろしくお願いします。