2012年11月27日未明に発生した暴風雪による影響で、北電の鉄塔が倒れ、27日午前7:40頃から、登別市や室蘭市をはじめとした周辺市町村が停電となった。当施設もその影響と被害を受けている。その記録としてこの記事を書こうと思う。

27日朝5時ころ、2階寝室のベッドで寝ていた僕は、家が揺れているのを感じて目が覚めた。地震ではなく激しい風で揺れているのだ。しかもそこには湿った重たい雪が混じっている。まさに暴風雪である。しかしその天候が施設に直接的被害を与えるなどということはその時点では思っていなかった。ただ通勤の時間はいつもよりかかるだろうし、施設の様子も気になったので、朝7時前に家を出た。

27日朝の自宅前27日の通勤道路

家の前(画像左)はまだ雪が積もっているという感じではないが、ともかく風が強かった。この時間は停電していないので、信号も止まっていないが、朝早い時間で車が少ないにもかかわらずノロノロ運転で、前に進まない。普段25分程度で到着する職場に、この日は50分かけて到着した。それにしても悪い予感があったのか、普段なら車の運転中、車内からカメラ撮影することはないが、この日は信号待ちで車内から右の画像を撮影した。

緑風園に近づいてくると、風雪がかなり強くなり、道路上の雪も深くなってきた。恐ろしいことに道の両側から、重たい雪と激しい風で倒れた木々が道を塞ぐようにしている。

27日朝の緑風園周辺道路
27日朝の緑風園周辺道路2
27日の道道倶多楽湖公園線

倒木を避けながら職場にたどり着いたが、緑風園の敷地もかなり雪が積もって、駐車場の裏の山の木は倒れかかっているものが目立っている。

27日の緑風園正面玄関前
27日の緑風園駐車場
27日の緑風園駐車場2

さらに様子がおかしのは、施設内である。緊急用の予備電源が点滅している。何かと思って館内に入ると、停電で緊急予備電源が自動的に作動したものであることがわかった。停電発生時間は僕が施設に到着する5分ほど前の7:40頃であることもわかった。しかしこの時点で停電の原因はわからなかった。

当施設は昭和58年に50床+ショート2床で開設した「本館(旧設備)」と、平成11年に通所介護を併設した増床50床+ショート10床の「新館」部分があるが、電気設備にも新旧による違いがあり、新館は緊急作動する電源により、燃料(軽油)による運転が行われる限り、予備の電源は作動し、非常時の電灯が灯り続けている。しかし本館は旧設備であり、緊急予備の伝統は蓄電式で、数時間点灯後には切れてしまう。そのため停電が長引けば本館を照らす光はなくなってしまうことになる。

幸い緊急予備電源は水を全館に供給する圧力を確保しているので、水道管に被害のない今回の停電で、水が止まる心配はなかった。

しかし電源を失ったことで、ボイラーが停止し、温水暖房パネルへの給湯も停止し、全館の暖房機能が失われた。ただ鉄筋コンクリートで、気密性の高い当施設は、数時間程度の暖房停止では急激な温度低下はないことが分かっていたので、この時点で暖房は心配していなかった。停電も午前中くらいで復旧するだろうと甘い見通しをしていたためである。

電話は固定電話(IP電話)は全て使えない状態であるが、施設の代表番号にかけると夜間切り替えで携帯電話につながるようになっている回路は生きており、この携帯電話と、個人持ちの携帯電話が外部との通信手段となった。

午前8時を過ぎた頃から、この携帯電話に職員から続々と連絡が入ってきた。自宅の駐車場の雪かきが出来ておらず車が出せないために遅れるという電話や、渋滞で前に進まないので間に合わないという電話である。応対に当たった僕は、やむを得ない状況なので、無理せず、遅れる心配より事故を起こさずたどり着くように指示した。後でわかったことだが、渋滞の原因は、信号機が停まったことと、それにより交通事故の多発であった。

さらにこの頃から、施設の近くまできているのに、倒木で前に進めないという連絡が増えてきた。僕自身が倒木を避けて施設にたどり着いているのだから、「慎重に脇をすり抜けてきて」と指示したが、「無理だ」という。実は既に僕が通ってきた道路の状況が変わっており、雪の重さに耐え切れないで倒れた木がいたるところで道路を塞いでいたのだ。

27日の道道倶多楽湖公園線2
27日の道道倶多楽湖公園線3

そのことにやっと気がついたため、除雪車と人海戦術で倒木撤去作業に入った。小さな倒木は手作業で道路から撤去した。

倒木撤去作業2倒木撤去作業
倒木撤去作業3

こうしてなんとか道路は通れるようになり、徐々に職員や配達業者の車が円に到着したが、北電からの電源普及の見込みの連絡は全くなく、問い合わせの電話も繋がらない状態が続き、道や市から、どうやら停電が長期化する見込みであるという情報が流れてきた。
(※この時点で北電は状況を下記市町村等にFAXで流していたそうだ。停電している状況が一番分かっている北電が、停電で繋がらないFAX通信で緊急対応しているというのは笑止千万である。)

携帯電話で様々なところから情報をもらいながら、どうやらこの停電は午前中どころか今日中に復旧しないかもしれないことがわかった。道と市の職員の方が施設を訪れてくれて情報をいただいたり、できる限りの協力をすることを申し出てくれて勇気づけられた。この時点で、停電が3日ほど継続する可能性を示唆されたが、配電車が当市に向かっており、当施設も優先的に配電されるように依頼してくれることになって」、そこに期待を寄せることができた。しかし結果的にいえば、道からのこの依頼は、北電側に伝わった後に、(どのような経緯か不明だが)無視され、当施設への配電は今なお行われておらず、結果的に当施設は北電から見捨てられた状態が続いている。

この時点で一番の問題である暖房の普及対策を講じる必要性が生じた。少なくともボイラーを起動する電源を確保するため、発電機を手配したが、どこにもすぐに配達できる発電機がなく、出入りの電気設備業者を通じて50Kwの発電機を一台確保した。しかしこの容量では全館のボイラーと電気を復旧させる事は無理なので、新館のボイラー電源に発電機をつないで、新館の暖房が復旧したのが午後5時である。

幸いなことに、暖房停止時24度程度であった館内温度は、その時点でも21.5度までしか下がっておらず。暖房停止の影響で体調を崩された方はいない。

ただ本館は午後5字を過ぎる頃から真っ暗な状態で、外から車のヘッドライトで照らさなければ廊下も歩けない状態となった。

27日17:00頃の緑風園本館

本館は暖房も復旧していないため、夜までに温度が急速に下がることが考えられたため、やむなく全員を新館側に移動していただく決断をし、新館の他者の部屋や、ホールで一晩を過ごしていただかざるを得ない状況となった。

27日18:00頃の緑風園ホール

上の画像の床部分が銀色になっている部分が、本館と新館の境目である。

食事については食材が配送されているし、水も出て、ガスも使えたので、調理はできたが、昼を除いて、朝ごはんと、夜ご飯は、暗い中で調理作業をせねばならず、懐中電灯とランタンでなんとか作業した。ここで問題は、近隣の電気店等では電池が売り切れ、ほとんど手に入らなくなったことである。日頃から、ある程度の買い置きが必要だと感じた。

また食器の洗浄機械が停電で使えず、しかも厨房は本館部分にあるため暖房も給湯も復旧していないため、お湯が出ない。このため冷たい水で、全ての食器を洗うことは不可能で、使い捨ての紙食器を使うこととしたが、この手配にも時間と労力を要した。

全館の電源復旧に向けて発電機の手配に全力を傾けたが、なかなか見つけることができず、夕方になってなんとか3台を確保したが、キューピクルにつなぐケーブル手配ができず、結局その日は電力復旧は不可能になり、夜を迎えた。そのため緊急対応が想定されると判断し、夜勤者と当直者の他に、僕もその夜、泊まることとした。
(続く)

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