特別養護老人ホームで、一番大事にされなければならないことは、暮らしの主役であるひとりひとりの日常生活を守るということである。

特別な行事やアトラクションが、いくら素晴らしかったとしても、そのことを行うために、暮らしを営んでいる人々の日常が犠牲になったり、おざなりになったりするのであれば、それはそうした行事やアトラクションが「生活障害」以外の何ものでもなくなってしまう。

日常の暮らしがきちんと守られてこそ、「生活の場」となり得るということを忘れてはならないし、そういう生活を地域の中にある特養が守って、日常として地域の社会資源を利用し、そこに出かける日常があるということによって初めて、特養という社会資源が、地域社会の一部であると認められることになるだろう。

逆に言えば日常が守られず、世間の非常識が当たり前に残されている施設は、地域の中に存在しても、地域社会とは言えない密室として、「必要悪」としての存在価値しかなくなり、それはやがて消えてなくなるべき存在として、他のサービスにとって変わられていくだろう。何より国民の税金や保険料が、いつまでもそのような施設に支給され続けることはあり得ないのである。

我々はこうしたことを自覚して、危機意識を持って、本当の意味での生活施設を作っていかねばならない。それは住まいとケアが分離していないからこそ可能となるサービスの質を示していかねばという意味でもある。

しかし我々の生活には、潤いが必要であることも忘れてはならない。日常をきちんと守った上で、暮らしの潤いとなる「非日常」を創ることもあって良いだろう。特に季節の行事や、日本人の慣習に関連したアトラクションなどは、暮らしの潤いとして同時に守って行くべきものだろう。そこに施設独自の恒例行事も含まれて良いのだろうと思う。

当施設では、暦が秋から冬に変わるこの時期に、プロの寿司職人さんを招いて、施設内をお寿司屋さんにする「寿司パーティー」を恒例行事としている。本来なら施設を寿司屋にするのではなく、街のお寿司さんに利用者が出かけていくことのほうが望ましいが、それも同時に行っているが、どうしても行けない人たちもいる。だから最低ねn1回程度は、こうした形でお寿司を食べる雰囲気を味わってもらうのである。勿論、他に寿司を食べる機会はあるが、目の前で寿司を握ってもらって、それを食べるということは、また格別な意味があるだろう。

何はともあれ、画像で雰囲気を伝えて、今日の記事更新を終えたい。

寿司パーティー5
寿司パーティー
寿司パーティー2
3
寿司パーティー4
寿司パーティー6

全員が何らかの形でお寿司を食べることができるように、タイプを4種類用意している。↓この画像の上から順番に、普通の「寿司御膳」。握りが食べられない人用の「柔らか生ちらし膳」。生ものが苦手な人用の「チラシ寿司膳」。最後に「刻み食膳」。

寿司パーティー10
寿司パーティー7
寿司パーティー9
寿司パーティー8


いま食堂では、食事の真っ最中であるが、皆さん美味しそうに、嬉しそうに食べておられる。そういう表情を見ると僕も嬉しくなる。

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