アルツハイマー型認知症は、アミロイドβタンパクといわれる物質が蓄積することによって脳内に影響が出始め、特に記憶を司る海馬周辺が大きなダメージを受けるので、初期症状は記憶障害として現れることが多い。それはやがて進行し重度化することによって、短期記憶が全く保持されず、過去の記憶も失っていく場合が多い。
発症当初は現在起こっていることを記憶できなくとも、過去の記憶は残っている場合がある。これは海馬という器官が、そこで起こった情報を一旦溜め込んでおく機能を持っており、情報を貯めることができなくなったことで、新しい記憶は全く保持されないということによるもので、認知症になる以前に処理された記憶というものはまだ残っているという意味でもある。
しかしアルツハイマー型認知症は、アミロイドβタンパク質の蓄積と、それによるタウ蛋白の出現という脳内現象は止まらないため、脳の神経細胞の壊死が進行し、症状も進行していく。
この過程で、過去に保持した記憶さえも失ってしまうことが多い。自分の子供がまだ小学生で、腹をすかせるからご飯を作らねばならないという理由で、「帰る」と訴える人は、子供が大人になったという記憶がすっぽりと抜け落ちて、自分自身も子供にご飯を作っている時代までの記憶しかなくなっている場合が多い。
こうした認知症高齢者は、自分が年をとったという記憶がないのだから、自分自身はまだ若いと思い込んでおり、鏡に映った年老いた自分の顔を見ても、それが自分であるという認知ができずに、他人だと思って鏡に向かって話しかけたりする。それは知らない他人がそこにいるという意味で、どうして自分の家に他人が入ってくるんだと、鏡に映った自分の顔に向かって怒りの感情をぶつけたりする人も多い。
ところで、この記憶というものについては、3つの種類に分類することができる。
過去にあった出来事の記憶は「エピソード記憶」と言われる。自分がいつ結婚したとか、子供がいつ生まれたとか、楽しかったり、辛かったりする思い出などがエピソード記憶に含まれる。
言葉の意味の記憶は「意味記憶」と言われる。誰々さんはなんという名前だとか、りんごの色は赤という色だとかの記憶である。
技能や手続き、物事のノウハウの記憶は「手続き記憶」と呼ばれる。これは仕事の手順を覚えることなどが含まれる。
このうち、最初に失っていくのがエピソード記憶と意味記憶であり、手続き記憶は比較的晩期まで残ると言われている。その理由について、認知症の専門医等に尋ねると、「記憶の回路が違うので、差が生ずる。」と説明されることが多い。おそらくこれは脳の情報伝達と記憶の回路という意味だと理解している。
手続き記憶が最後まで残される記憶であるからこそ、ユニットケアにおける「生活支援型ケア」が有効になる。生活支援型ケアとは、過去の生活習慣を参考にしながら、残された能力をできるだけ生活の中で活用維持して、日常の暮らしを続けられるように援助するもので、例えば若い頃農家であった人なら、田や畑で作物を育てることに関する残された記憶や身体能力を活用しながら、家庭菜園などで食物や花を育てることを続けたり、グループホームで日常の家事を行うことを支援したりするものだ。
特に女性の場合、一家の主婦として毎日の家事を行っていた人が多いので、この家事における「手続き記憶」が最後まで残されることを利用して生活支援を行うことになる。具体的には調理や配膳、掃除や洗濯といった、日常の家事の記憶が残されていることを利用して、できることをしてもらうというものだ。
これらはすべて「手続き記憶」が残されていることを利用したものである。
この手続き記憶には、「車の運転操作」も含まれる。つまりエピソード記憶や意味記憶に障害が出て、日常生活に支障が出るような状態になっても、「車を運転する」という行為はできてしまうことがあるのだ。しかし正常な認知能力で運転する人とは異なり、自分は正常に運転していると思い込んでいても、車庫入れができなくなっていたり、信号機の意味がわからなくなって事故につながるなどというケースが出てくる。
車の運転ができても、駐車した場所の記憶がなくなって、どこかに行っても帰れなくなるというケースもある。車線逆走も重大な社会問題だ。特に高速道路に迷い込んで、車線を逆走すると、そこは走行車線ではなく、追い越し車線なので、スピードを出した車と正面衝突してしまうことになる。こういう事故が近年、増えていることが問題である。
ところでこれらの記憶はすべて「情報の記憶」であり、それは海馬の機能不全によるものであることを前述したが、こうした記憶の障害が進行した人でも、嫌だ、嫌いだ、好きだ、嬉しいなどという感情はなくなっておらず、そしてその感情の記憶は、情報の記録とは、これも回路が違って、認知症になった後でも、感情の記憶は残ることが多いというのである。
つまり記憶障害があって、直前の出来事は全く覚えていない認知症の人だからといって、その人にとって嫌な行動をして不快な感情を与えても、その記憶もなくなって、大した問題ではないだろうと考えることは間違いだということである。
感情の記憶は残るので、嫌な行為、不適切な関わりをする人間に対して、認知症の人は悪感情を持ち、怖がったり、嫌ったりできるのである。
逆に言えば、適切な関係を構築することで、認知症の方にも信頼してもらえ、好きになってもらえる可能性があるということだ。
認知症の人は、意味記憶がなくなっていくので、その好きになった人の顔は忘れてしまうため、次の日には初対面の人のように、最初は警戒されたとしても、本当に信頼される関係を作っておれば、感情の記憶が残っていることから、信頼関係を寄せている人が対応すると、落ち着いたり、穏やかになったりすることができるのだと思う。
だから記憶を失っても、感情は残されていると表現されるのである。そして我々は、この感情を大切にしながら、認知症の方々が良い感情を持てるように、日々かかわらねばならないのである。
「人を語らずして介護を語るな2〜傍らにいることが許される者」のネットからの購入は
楽天ブックスはこちら
アマゾンはこちら
↑それぞれクリックして購入サイトに飛んでください。
介護・福祉情報掲示板(表板)
来週に所内で認知症研修の講師を務めるのですが、3つの記憶・感情記憶への配慮を学ぶことで、利用者様に心地よい関係であると感じてもらえるように、練りたいと思います。いいタイミングで気づきをいただきましてありがとうございます。