昨年度の老施協日胆地区支部職員研修で研究発表を行った当施設の主任ケアワーカーは、「看取り介護終了後カンファレンス」を実施するようになった後の職員の意識の変化について、次のとおり述べている。

・家族と一緒に「その方がその方らしく生きるために何ができるか」を考えたいという気持ちが強くなり、普段からの関わりを大切にするようになってきた。
・ほんの小さな「気づき」を行動に変える力がついてきた。→一番近くで気付く人、一番近くで代弁する人としての介護職意の役割が肌で感じ取れるようになった。


本当にこの発表内容のとおり、職員の意識が高まっているのかが問題であるが、そのことについて過日、「看取り介護終了後カンファレンス」において、対象者の遺族の方から次のようなご意見をいただいた。

亡くなられた利用者の長女より
「本当に感謝の一言に尽きます。看取り介護が始まってから、まさかここまでよくしてもらえるなんて夢にも思わなかった。初めての経験で戸惑う事も沢山あったけど、本当にいい学びをしたと思います。昔はとても厳しく、嫁に嫁いだ私の事は『今後は他人だ』とつき放したり、とても辛くあたる“鬼”のような人が、最期は“仏”のように優しい人になった事が忘れられない。昔ではとても想像できなかった『ありがとう』という言葉を沢山かけてもらった。私よりも嫁さんにずっと言ってほしかった言葉だったので、その言葉が聞けて本当によかった。」

次男の妻より
「毎回逢いに来るたびに、沢山の職員さんに声をかけてもらって安心したし嬉しかった。退勤時などにケアワーカーさんが声をかけに来てくれる様子をみて、義母はここに来てこんなに大切にしてもらっているという事が実感できた、義母はとても幸せだったと思う。壁に貼ってあった写真を葬儀の時に親戚に見てもらったら『おばさんが笑顔になっている。』と驚かれたし『ここで生活できて幸せだったんだね。』と言っていた。本当にその通りだと思います。本当に感謝しました。」

このような評価をいただくと大変嬉しいし、職員のモチベーションも大いに高まると言えるだろう。

このことについて「看取り介護終了後カンファレンス報告書」の総合評価の中に、「その他」として次のような記述が見られる。

今までのご家族のアンケート内容や評価コメント、またその他でも退園されたご家族のお話などから当園での対応が、いかにその方だけではなく、ご家族の方にとっても救われるものであったのかが理解できる。葬儀の際に、誕生日プレゼントで渡された写真などを飾る方が増えてきており、それをみた親戚の方々に「大切にしてもらったんだね」と言われる事があるとのコメントを受ける事も併せて増えてきている。
ご家族にとって「自宅で介護できない事」が、どれほど心苦しく、後ろめたく思っている事なのか。毎日の援助、その一つ一つがご本人だけではなくご家族にも届き、今まで抱えていた思いが少しでも払拭できるものであるという事を、私たちはしっかりと受け止め、自信を持ってこれからの援助に繋げていきたいと思う。


このような思いを職員が感じてくれることは、とても大事なことだと思う。

命とは、一人の人間の中に宿る最も貴重で最も個別性の高いものであるが、それは同時に、大切な家族に脈々とリレーされていくものである。人としての個体に宿る生命に終わりが来たとしても、その人が持つ思いは、大切な誰かに伝わって行くものだろうと思う。そうして人間社会というものが、歴史が創られていくのだと思う。

我々の看取り介護の実践とは、そうした命のリレーに深く関わる支援である。そうであるがゆえに命に対して、思いをつなぐことに対して、真摯に関わって行かなければならないと思う。謙虚に関わって行かなければならないと思う。

だから看取り介護は、「死」の援助ではないのである。

それは、人の尊厳ある生き方に対する介護であり、尊い命が燃え尽きる最期の時まで、その人らしい生き方ができるための支援であり、旅立つ方々の思いを未来に脈々とつなげるための介護である。

そこに関わることができる職業とは、胸に誇りを持つことが出来る職業だ。だから介護って素晴らしいのである。

ただし、そこに関わることのできる人とは、誰でも良いというわけではなく、旅立っていかれる人々から本当の意味で信頼を寄せてもらうことが出来る人でなければならない。そうであるがゆえに、我々は最後の瞬間、「傍らに寄り添うことが許される者」になろうとしなければならないと思う。

誰かの心に咲く赤い花になろうと日々努めなければならないのだろうと思う。

シリーズ第3弾


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