看取り介護の事後評価のために「看取り介護終了後カンファレンス」を行っているが、そこでは各職種それぞれの評価をまとめて、総合評価につなげるという作業が行われる。

そのためそこで議論があるのは当然で、その際に特定職種の意見だけが評価となるのでは困る。特に看護職員と介護職員との関係で言えば、どうしても看護職員の意見に介護職員が従わざるを得ないという流れになりがちで、当施設でも看取り介護終了後カンファレンスを行うようにした当初は、そうした風潮があった。しかしカンファレンスを重ねる中で、介護職員が意見を出して議論するという力がついてきたように思う。

そのことは昨年の老施協日胆地区の研究発表会で、当施設の主任ケアワーカーが「カンファレンスという他職種との率直な意見交換の場で、自分の意見をしっかりと伝える力をつけることができるようになってきた」と述べているところでも明らかだ。

つい最近看取り介護を行ったケースでは、血管確保が難しくなり、一度点滴を中止にしたが、食事の経口摂取ができなくなり、水分摂取も難しい状態になった後に、再度点滴を試みて看取ったケースがあった。

そのケースについては、点滴の針を刺す血管確保が難しくなったが、点滴を中止したことで再度血管確保ができる状態になり、点滴による水分補給が必要ではないかという家族と介護側と要求から、医師の指示をもらって対応したものである。しかし結果的には点滴により、手足にむくみが出て量を抑えざるを得ないという状況も生まれた。このことから本当にその必要性があったのかという疑問が話し合われたケースである。

報告書では、担当したユニットの介護職員チームからは、「当初点滴行っていましたが、ルートがないとの事で中止し、食事摂取できなくなってから再度開始となりましたが点滴が行えるならもう少し早く再開できなかったのか疑問です。」という意見が示されている。

これに対し看護側からは「急速な病状の変化はなく、スタッフやご家族との会話や、○月末頃まで経口摂取可能な状態であり、酸素使用により呼吸状態安静保持されていた。補液については、血管確保困難であったため、苦痛を感じていたと思います。」という意見が出され、さらに「点滴対応が早いから、また点滴を長く続けるから長生きできるという事には必ずしも繋がらない。今回に関しては、ご本人の血管がもともと少ない中で上手に使いながら、休めながら対応した事が功を奏した。少し血管を休める事で、再度点滴が可能な状態になる等の効果がある事がわかった。しかしこの判断や対応はとても難しく、例え同じような症状の方がいたとしても一概に全ての利用者に当てはまる状況ではない。特に点滴針を刺す・探す行為は痛みが伴い、ご本人にとってその時間が一番の苦痛だったのではないか。限られた時間を過ごすのであれば、少しでも楽なほうがご本人にとっては良かったのではないか。」と疑問が呈されている。そこには、むしろ血管確保が可能な状態になった後も、点滴を再開しないほうが良かったのではないかというニュアンスを感じ取ることができる。

このケースの、看取り介護終了後カンファレンスの報告書を読むと、どうも本ケースの評価について、介護職員側と看護職員側の意見の統一がされないまま消化不良で終わったような気がした。このまま本ケースの評価をなんとなく終わらせてしまうと、今後の看取り介護対応について疑問を残したままで、また同じような意見対立と、その都度の曖昧な対応が懸念されると思った。

そのため僕は、この問題に一応の結論付けをしようと思い、今朝の朝礼で僕自身の考えを述べさせてもらった。

その評価とは、介護職員の思いはわからなくはないが、本ケースに限って言えば、看護職員側の意見に軍配を上げるもので、血管の再確保ができる状態になった後の点滴の再開についても、「行わない方が、安楽に最期の時間を過ぎせたのではないか」「少量の点滴で体にむくみが出たという結果から考えても、既に体は点滴を必要としない状態だったのではないか」と疑問を呈した。

勿論、それには僕の価値観だけではない、根拠が必要だからだから、二人の医師の著書の中の文章を紹介した。

もっとも理想的な死に方は、点滴、酸素吸入などの医療行為をいっさい受けない“自然死”だ 
(中川仁一医師著:「大往生したけりゃ医療とかかわるな」・幻冬舎新書)

体が衰弱し口から食物を摂れなくなってきた高齢者に過剰な高カロリー点滴を施して延命を図るのは、百害あって一利なし。点滴するにしてもほんのわずかな水分だけにして、あとは文字通り「枯れるように最期を迎えさせる」というのが、本人にとっての苦痛が最も少ない。

せっかく楽に自然に逝けるものを、点滴や経管栄養や酸素吸入で無理やり叱咤激励して頑張らせる。顔や手足は水膨れです。我々は医療に依存しすぎたあまり、自然の摂理を忘れているのではないでしょうか。(中略)〜栄養補給や水分補給は人間として最低限必要な処置だ、それをしないと非人道的だと思ってしまうのです。しかしよく考えてください。自然死なのです。死なせる決断は既に自然界がしているのです。少なくとも神様は攻めるはずはありません。医師も家族も「自分が引導を渡した」ことになりたくないというのは錯覚に過ぎません。
(石飛幸三医師著:「平穏死のすすめ」講談社)

以上の文献を紹介しながら、「そもそも看取り介護で一番重要なことは、最期の瞬間まで安心と安楽の時間を過ごすことであって、少しでも長く生命を維持することではないはず。点滴による水分やカロリーの補給が、身体の安楽につながるなら別だが、実際にむくみが出る状態などから判断すると、点滴を行うことが安楽につながっていないのではないかと思える。」と論評させてもらった。

この問題については、「自然死」とはどのような状態か、そして我々の施設内での「看取り介護」の目的と、そこに求められているものはないかという観点から、今後も真摯な議論を続けていかねばならないだろうと感じた。

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