奄美大島での最初の朝を迎えた。台風の影響で風がやや強く、雨も時々降っているが、以外と穏やかな朝である。今日午後から奄美大島での老施協研修が始まるが、この2日間は、無事に研修は開催できそうである。二日間約320分の僕の講義を受講してくださる方々は、それぞれの職場に何かを持ち帰って、日々の業務に生かすことができるものを得られるだろうか。そのために僕は力になれるだろうか。
そう考えると、僕はいつも身の引き締まる思いを抱かざるを得ない。ただ話をすれば良いというものではないと思うからだ。
これは自分の職場における職員に対する教育や、日々の指導でも同じことである。僕が話したことを職員がどう受け止めてくれるかということが常に気になるところだ。
組織であるから、時にはトップダウンで有無を言わせず方針に従ってもらう必要がある場面もあるが、ケアサービスが利用者に満足されるレベルで提供され、それが維持できるということは、トップダウンという方法では限界がある。職員が方針なり目的なりを、自分自身の中で十分に納得し、理解していなければ、上辺だけ取り繕って目に見えないところでは何をやっているかわからないということになってしまうからだ。
それだけ介護サービスの現場は、ひとりひとりの職員自身が神様のようになんでも決定し、どのようにも振る舞える場面が多いという意味だ。例えば夜勤における職員の振る舞いを、すべて管理者が把握することは不可能だ。トップダウンで渋々行わせていることが、そこで同じように行われているとは限らないのである。
納得したことしかケアにつながっていかない、継続したケアサービスにならないという視点を持っていないと、管理者の思いとは、かってな幻想空間を作り出す考え方でしかなくなる恐れがある。
先日も、年一度の全職員を対象にした、僕の職場内講義を数日間かけて行ったが、そこで示した考え方、僕の思いが職員にどのように伝わっているかが非常に気になるところである。
そこでは「緑風園にも世間の非常識がまだまだたくさんある」とひとつ、ひとつ具体例を挙げて改善を求めた。ただ単に「こうしなさい」と指示するのではなく、どうしてそれが非常識で、どうしてそれが問題かを具体的に、わかりやすく説明した上で、それを改善した先に何があるのか、利用者の満足度が上がる暮らしにつながるのかということを同時に説明したつもりである。
それから数週間が過ぎているが、指摘したいくつかの問題は改善されて、その状態が維持できている。いくつかの問題は、完全に改善されたとはい言い難いが、良い方向に向かっている。そう言う意味では、ある程度、職員の意識改革につながる講義ができたのではないかと思っている。
そんな中、介護支援専門員の業務のフォローのため、久しぶりにケアカンファレンスの司会役を務めた。カンファレンスの場所は相談室で、そこのPCデスクの前に座るとこんな光景が。
先日の講義では、あらためて言葉遣いの大切さを指摘した。家族に負けないケアを目指すのは良いが、家族そのものになれない我々は、利用者は顧客であるという意識を持って会話を交わさねばならないし、その時には家族であれば許されるであろう「ぞんざいな言葉遣い」は許されないし、言葉を汚くすることをフレンドリーだと勘違いしてはいけないことを指摘し、マザーテレサの言葉を紹介した。
配布資料に綴られているその部分のペーパーがこうした形で貼られていることは、講義を行った者としてはとても嬉しいことである。
きっと心を打つ言葉で、それを忘れないようにしようという心構えを持ってくれたのだろう。きっと彼らはまだまだ成長して、この職場を暮らしの場として、もっと良くしてくれると思った。
そのことが信じられる出来事だった。
「人を語らずして介護を語るな2〜傍らにいることが許される者」のネットからの購入は
楽天ブックスはこちら
アマゾンはこちら
↑それぞれクリックして購入サイトに飛んでください。
介護・福祉情報掲示板(表板)
これからも、全国飛び回って頂きたいです。和歌山に再来する日を楽しみにしておりますよ。