高校1年生の途中まで通っていた高校の所在地、名寄市で行う講演(9/14・金)は、35年ぶりに懐かしい故郷に帰るような気持ちで心待ちにしていた。
同講演は当日入りでは間に合う列車がないため、前日の13日(木)に現地入りする必要があった。僕はその日、札幌で行われていた北海道デイサービス協議会主催のデイサービス職員スキルアップ研修の講師2日目であったため、講演を終えたあと、慌ただしく札幌駅に向い、稚内行きのサロベツ号に乗った。
その前に、この研修の講師役としてご一緒した、有限会社「笑う介護士」代表取締役・袖山 卓也氏とツーショット写真を撮らせていただいた。袖山氏も業界では知らない人がいないほどの有名人であるが、壇上の熱い語り口とは違って、演壇を降りると、とても紳士である。僕と比べて人間としての品格も高いと思った。おまけに酒豪であるのが嬉しいところだ。また素敵な方と繋がることができた。

僕は小学校の頃は背が高くて、整列するときも後ろから2番目か3番目かであったが、中学生の頃身長の伸びが170センチで止まって、袖山さんと並ぶといかにもちびである。シークレットブーツでも履こうかな・・・。
さて場面を戻そう。12:30札幌発・稚内行きのサロベツが名寄駅に着いたのは、15:15。この日の名寄は30度近くまで気温が上がり暑かった。名寄盆地と呼ばれるこの地域は、冬は氷点下30度以下になるのに、夏は逆に30度近くまで気温が上がることが珍しくないのである。

駅舎は懐かしい昔のままの姿で建っていた。僕が暮らしていた「下川鉱山」は駅のない街だったので、名寄まではバス通学であったが、この駅の駐輪場に自転車を置いて、ここから名寄高校まで自転車通学していたのだ。せっかくの機会だから、ホテルまではタクシーを使わず、ぶらぶら歩いて、懐かしい街並みがどうなっているか見て歩くことにした。
駅前にあった「三星食堂」は、すっかり新しい綺麗な食堂に建で替わっていたが、店の名前はそのままである。代替わりしているのだろうが、店自体は残っていたので感動した。
名寄のアーケード街も、昔の面影が残っていた。しかしよく見ると、空き店舗や、シャッターがしまったままの店舗が目立っている。僕が子供の頃は、もう少し活気があったように思えるが、この街も高齢化しているということだろう。
子供の頃、名寄で買い物するといえば、西条デパートか、山田デパート。マルヤマ山田は、下川鉱山にも支店を出している懐かしいデパートだったが、ご覧のように、一階に何か店舗が入っているが、デパート自体は閉鎖されてる。何かしら寂し思いを感じた。


右の写真は、名寄に行くといつも両親が連れて行ってくれたレストラン「緑や」。小学生低学年のころは、ここでお子様ランチを食べるのが最大の楽しみだったし、かなり大きくなってからも、ここで家族全員で食事するのが名寄に行く楽しみだったが、今では看板だけが残っていて、そのビルは廃墟のように街の真ん中に建ったままだ。デジタルカメラのシャッターを押したとき、なぜだか知らないが涙がこぼれてきた。
でもそこから少し歩くと、西條デパートはまだ残っていた。しかも以前より大きく、新しい建物になっていた。建っている場所も変わっているように思った。このデパートで、はじめて軟式野球のバットを買ってもらったことを思い出して、中に入ってみた。平日木曜日の夕方であったが、学校帰りの高校生が、ミスタードーナッツや、ケンタッキーフライドチキンを食べながら談笑していたり、店の中はそれなりに活気があった。僕が知っている西條デパートとはすっかり様変わりしていたが、少しだけホッとした。


今回の名寄入りは、名寄に在住している親戚や友人にも伝えず、ひっそりと訪問した。平日の忙しい時に、気をつかて予定を変更させて付き合わせても悪いし、何より一人で自由に35年ぶりの名寄の空気を感じたかったからである。義理を欠いて申し訳ないがご容赦いただきたい。
ということで夜も一人で居酒屋に・・・。どこが良いかわからないので、安心して呑める「つぼ八」に入った。前日札幌のオフ会でも食べたが、北海道ではさんまが旬の時期を迎えているので、「さんまの刺身」をその日も食べた。脂がのって甘くて旨い。あんまり旨いので、このあと塩焼きも追加したが、これも旨かった。また「つぼ八」といえば、「だし巻き卵焼き」は欠かせない。ここのは味といい、食感といいい最高である。それと定番の「ザンギ」。飲み物は角ハイボールと決まっている。
その日は移動の疲れもあり、少し早めに就寝。翌14日(金)、講演会場まで送っていただく途中で、母校である名寄高校を見に連れて行ってもらった。

僕らが入学した当時の校舎は、普通科と機械科が同居していた校舎から、普通科だけが移転して間もないまだ新しい校舎だったと記憶しているが、当時の新校舎も建替わっている?形は同じようだがさらに立派になっているような気がした。勘違いか?
その後、名寄市社会福祉総合センターという、僕の記憶の中にはなかった新しい市の施設で、100分の講演と、グループワークの助言を行い、16:20に講演会場をあとにし、16:34名寄駅発のサロベツに乗って、35年ぶりの名寄をあとにした。ちょっとした感傷旅行になった。
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