北海道はお盆を過ぎれば秋の風が吹くはずなのに、昨日、今日と今年一番の暑さになっている。

登別市も例外ではなく、昨日は日中29度まで気温が上昇し、夕方になってもあまり気温が下がらず寝苦しい夜だった。そして今日も寒暖計の目盛は28度を指している。道外の人々にはこの時期、この程度の気温はなんともないと感ずる人が多いのだろうが、暑さに慣れない我々にはかなり厳しい暑さである。これはきっとお年寄りの方々も同じだろう。

さらにこの時期は、短い夏を楽しむ企画や外出機会が増えているので、熱中症対策や脱水予防は重要だ。今日の朝礼でもあらためてそのことの注意を促した。

しかしだからといって何かを制限して「出来ることをしない」ということで事故等を防ぐのは本末転倒だ。制限で暮らしをがんじがらめにして事故を防ぐことに何の意味があるというのだろうか。

北海道で問題となっている「浅漬け」によるO157感染問題にしても、このことによって一律に、施設の給食に「漬け物」を出さないとしたり、グループホームで野菜作りをして「浅漬け」を作ることを取りやめたりする話が聞こえてくる。

感染原因は確かに特定業者の浅漬けであるが、だからといってすべての漬物を食べさせないということで感染予防になるということにはならないことになぜ気づかないのだろう。そのことを教訓に、出入り業者と万全の対策を確認したり、そこで浅漬けを作る際に、万全の対策を講じたりする方法を放棄して、感染源と同じものを提供しないのは少し違うのではないかと思ったりしている。

外出だって、今の時期にしか行けない場所があるのだから、そこに行きたい人に外出支援をするというのが日常を守ることだ。我が施設でもこの時期いろいろな外出企画書が出される。

企画書
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少人数での外出機会をきちんと守るケアは大切だと思う。いちいち企画書を作成しなくとも、外出できる方法があればそれが一番であろうが、企画書を書きながら注意事項を確認したり、目的を再確認したり、後々の評価の資料になるというポジティブな意味を考えたって良いだろう。

我々は、我々ができる範囲の中で、最大限できることを探し続ければ良いのだと思うし、そのことを続けていくことでサービスは変化し、向上するという結果を生むのだと信じている。一人一人の利用者とって、もっとも望まれるサービスが何かということを、この時期の外出支援という行為の中で、現場のケアワーカーが知恵を絞って考える過程が大事なのである。その過程が存在することで利用者のいろいろな「思い」に気付くことができると思う。その時我々は「利用者の一番近くで気づく人」になるヒントをもらえるかもしれないし、そのことの重要性に気がつくかもしれない。

そしてこういう方法で地域の活動に参加したり、地域の社会資源を利用したりすることが、施設サービスというものが特別なものではなく、地域の中のごく普通の社会資源となっていく意識に変わっていくのだろうと思う。その向こうに地域包括ケアシステムには、当然特養という社会資源も重要な要素であるというコンセンサスが生まれるのではないだろうか。

誰の言った言葉なのかは定かではないが、「成功の反対語は失敗ではなく、何もしないこと」ということを聞いた覚えがある。我々の仕事は、高齢期もしくは人生の最晩年期の暮らしに関わっているため、そこでの安易な失敗は許されないが、だからといって何にもしないことで失敗もない、というサービスで終わってしまうことは大問題だ。なぜならそれは日がな一日ベッドの上だけの狭いスペースで、天井を睨んだままの暮らしを死ぬまで続けなければならないという方法にされてしまう危険性があるからだ。そして実際にそういうふうに人生最後の数年間を過ごしている人々もいるという事実がある。

人の暮らしの支援に関わるものは、そこでサービスを利用する人々の喜怒哀楽に誰よりも敏感でなければならない。そしてどうせそこに関わっているのならば、そこで暮らす人々が少しでも笑顔になれる時間をできるだけ多く作ることが大事なのではないだろうか。

例えば認知症の方々の場合、自分が何をしたいのかを表現できない人も多いし、何かをしてもそのことを楽しいと表現できない人もいる。楽しかった記憶が直後にすべて消え失せてしまう人も多い。しかしそれらの人々も、楽しい時は笑っていられるし、その記憶がなくなったとしても、楽しく穏やかに笑っていられる時間があるという事実は大事なことだと思う。

そのことを実現する方法を様々な場面で探すのが我々の職業なのだと思う。

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