認知症高齢者の記憶について、直前の記憶が失われても、過去のエピソード記憶をはっきり思い出せることがある理由について、「記憶とは箪笥の引き出し」という記事で説明したことがある。

しかし、その記事に書いているように、認知症の進行とともに、思い出すことができた記憶も徐々に失われていくのも認知症の特徴である。

ところで人の記憶とは、大きく分けると3つに分けることができるとされている。

特定の時間に特定の場所で起こった出来事などに関する、その時の感情を含む記憶のことを『エピソード記憶』という。

物の名称や人の名前といった一般的な知識としての記憶で、感情の伴わないものを『意味記憶』という。

仕事の手順を覚えていることなど、技能のように、いわば体で覚えているような記憶を『手続き記憶』という。

大脳には、「海馬(かいば)」と呼ばれる細長い組織があるが、これは大脳皮質側頭葉の内側に位置し、認識したことや体験して得た情報を取捨選択して、一時的に保管する(短期記憶)役割を担っている。つまり、記憶の入り口となる器官であり、これが完全に障害されると、それ以後の新しい記憶が一切残らなくなる。

アルツハイマー型認知症は、この海馬周辺に血流障害を起こす特徴があるため、発症後の新しい記憶を保持できなくなるし、この海馬はエピソード記憶、意味記憶に関与しているため、アルツハイマー型認知症を発症して、海馬周辺に血流障害等が見られることにより、エピソード記憶の衰えにより「置き忘れ」などが目立ったり、意味記憶の衰えで、人物の認識ができなくなり、家族であっても「あなたは誰?」という症状につながっていく。

ところが手続き記憶は、制御する機構と脳回路は、エピソード記憶や意味記憶とは全く異なると言われ、アルツハイマー型認知症になっても、比較的保たれやすいと言われている。

だから一家の主婦であった女性なら、認知症になっても家事の手順の記憶は比較的残っていることが多いし、男性でも家で日常的に行なっていた習慣的な行為に関するものや、自分が担っていた家事の記憶は残っていることが多い。さらに趣味や仕事に関する記憶も残っていることが多い。

ユニットケアは、単にハードを小規模化する方法論ではなく、この手続き記憶が保持されやすいという特徴に注目して、残された手続き記憶を利用して、日常生活でできることを続けることを支援するという方法論である。

勿論、手続き記憶が残りやすいといっても、家事の手順をひとつ残らず完璧にこなすことは困難で、特に2つ以上の動作が重なったら、動作と動作をつなげることが難しくなるという、「実行機能障害」も現れるため、一連の家事動作も繋がらないことが多い。

調理一つとっても、調理動作の一部はできるが、全体としての動作が繋がらず、料理として完成品を作れないことが多い。しかしだからといって、「料理を作る」という家事を行うことを諦めるのではなく、できない部分や、繋がらない部分を支援者が見つけ、それを援助することがユニットケアのソフトの部分である。だからユニットケアとは、「生活支援型ケア」と呼ぶことができ、その方法論に着目してケアを提供するのが、グループホーム等のユニットケア施設である。

しかし手続き記憶も、認知症の進行とともに徐々に衰えてくるので、昨日まで出来ていたことが明日も出来るとは限らない。その時に失われた手続き記憶があったとしても、さらに残っているものは何かを探して、できることをできるだけ続けられるように支援して、日常生活の中で役割を持って、混乱をできるだけ防いで、安心し安定して生活できることを目的としたものがユニットケアである。だからグループホームは、「認知症対応型共同生活介護」と呼び、職員が利用者の生活をサポートしながら、共同生活を作り出すという意味がある。そこでは、認知症高齢者が、一方的なケアサービスを受ける人ではなく、グループホームの住人として、共同生活を送る主体性を尊重される必要がある。

だからグループホーム等では、共同生活の主体者として、暮らしの中で何ができるかを探すのが職員の役割だ。大きなことではなく、小さなことでも良いから、「出来ること」を見つけるのが職員の役割だ。その「できること」とは、完璧にこなせることではなく、やろうとする行為そのものを、「できること」と考えればよく、調理のための「いもの皮むき」が完全にできなくなったとしても、皮をむこうとする動作を続けられるうちは、それを行う環境と時間を作れば良い。できない部分は、後で職員が直しておけば良いだけの話だからである。動作のできない部分に着目しすぎて、すべての「行為」を取り上げ、何もさせなくなるのが一番の問題である。

その時、支援者に求められる態度は、待つ、見守る、想像し代弁するということではないかと思う。

ところが、最近のグループホームでは、食事作りに参加する利用者がまったくいないホームも存在する。そもそも調理参加を想定せずに、調理済みの料理をデリバリーサービスとして届けてもらうだけのグループホームも現れている。共同生活の意味が、どんどん失われつつあるのは問題ではないだろうか。なぜならそのことは決して利用者の生活の質を向上させるものとは思えないからだ。

認知症の人々の、残された記憶や能力を、もっと大事にすることが求められているのではないだろうか。それを大事にすることが、認知症の方々を大切な存在と思う心につながっていくのではないだろうか。

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