介護施設や、介護サービスにおける相談援助職の役割とはなんだろうか。それは当然社会福祉援助技術を持つソーシャルワーカーとして、利用者や家族と関わりを持つ役割である。

様々な生活課題を抱えた人々の暮らしをよくするために、それらの人々と、様々な社会資源と結びつけたり、調整したりするケアマネジメントの方法も、ソーシャルケースワークの技術の一部を構成するものだ。

ソーシャルワーカーは、社会生活の中で人の暮らしを支援するのであるから、利用者やその家族の抱える経済的問題についても、適切にアプローチしなければならない。経済的援助が必要な人であれば、様々な社会制度の中で、利用者に結びつけることができる経済的負担を減らす援助方法を探して調整することをもこの援助に含むのは当然である。

しかしそれはあくまで社会のルールとして許された方法でなければならないし、法令を無視してまで援助することが許容されるわけではない。結果的に利用者負担が減って、それで誰にも迷惑がかからなければ良いという理屈は通らない。社会正義というのもを無視して何が相談援助だ。

利用者の利益になりさえすれば、法を無視しても良いと言うことがあってはならないのだ。たしかに法律は所詮、文章にしか過ぎないから、悪法も不完全法も存在する。しかし法律が不備であるという自分の価値観だけで、法律で定められたルールを無視してしまっては、この世は無法地帯だ。そんな社会を自ら創りだす方法論に国民の支持は得られるのか?国費を使うことを認めてくれるのか?

しかし実際には、法令を無視して、法の網の目をくぐって利用者の経済的負担を減らすことを、社会福祉援助だと勘違いしている相談援助職員は多い。利用者の経済負担が減ることが、社会全体からみて不利益になる場合もあるという視点が欠如している相談員が存在する。

「費用的な問題で、必要なサービスを利用できないとなれば、何とかする方法を模索する事は、決して不適切な対応だとは思えません。」という屁理屈で、法律を破って減免適用を受けることができることを勧めることも許されると考えるのは社会に対する無責任だ。ソーシャルワーカーとしての使命感の欠如だ。

それともソーシャルケースワークは、法の網の目をくぐる方法を示唆することだとでも言うのか?そんなの相談援助でもなんでもない。社会福祉援助技術とは言えない。

法律を変える必要性があるという正論を主張するためには、悪法でも法律を守って、なおかつ法の瑕疵を明らかにして、正当な方向に変えるためのアクションを起こすことではないか。

高速道路の料金徴収に反対だからといって、料金所を強行突破する連中にソーシャルアクションが起こせるとでも思っているのか?

許せないのは、施設の相談員という冠をかぶって、施設の中だけでしか責任を負おうとせず、社会全体の視野がない相談員である。経済的負担を減らす方法があるからといって、その方法を適用できない状態であると知っているにも関わらず、認定する機関や担当者は自分ではないから、その方法をアドバイスすることは自分の責任ではないと考える輩がいることだ。

いつからソーシャルワーカーは、特定個人の利益だけを追求して、社会全体のあるべき姿を見失う人になったんだ。自由で公平で幸福な社会とは、ルールを無視する人が得をする社会なのか?

参照:表の掲示板:「世帯分離の考え方について

それとこのような相談援助者が多いという実態は、将来的には社会全体の不利益となることを指摘しておきたい。

制度改正議論の際に、いつも議論されるのは、施設サービス費に減免制度があることはおかしいという議論だ。今まではその必要性が認められて、減免をなくそうという意見は阻止できてきたが、実態の伴わない世帯分離という方法を、施設の相談援助職という専門職が勧めているという実態が明らかになれば、減免制度の悪用ということで、この制度そのものの存続が危うくなるだろう。

そうすると真に経済的負担の減免が必要な人が、救済不能となるだろう。一番経済的援助を必要とする人が、一番困る結果になるということだ。そういうことまで考えているのだろうか?

その時、実態の伴わない世帯分離を勧める人々はどのように責任を取るのだろうか。
法令遵守


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